女王と王配の初恋
リーリアの代わりに、ディアナの身体の側に付き添っていた侍女は、非常に戸惑っていた。まず、隣室からルベウスの声がしていたのに、ちっともルベウスがやって来る様子がない。ディアナの呼吸状態は落ち着いていたから、少しなら離れていいだろうと、隣室の扉の傍まできた。
そして、侍女は見た。
次期国王と目されている男が、ソファーにちょこんと座った猫を前に跪き、なぜか悶えているという奇妙な光景を。
頭を抱えて膝に顔を埋めているから表情は読み解けなかったが、耳が薄っすらと赤い。そんな彼に向って、猫がなんとも可愛い声で鳴いている。
外見の麗しさとは裏腹に、どうやら相当な猫好きらしい、と侍女も誤解した。迷いながらも、「あのう⋯⋯」と声をかけると、ルベウスは弾かれたように顔を上げ、侍女に気づくと目が泳いだ。
「あ、あぁ⋯⋯すまない。下がっていい。ご苦労だった」
「かしこまりました」
侍女は一礼して部屋を横断し、そのまま扉から廊下へ出て行った。扉を閉めた直後、「可愛い所もあるのね」と呟いて、口元から笑みが零れた。
そんな侍女の生暖かい目に、ディアナは当然気づいている。ルベウス本人も恥ずかしくなったのだろう。自分を見返してきた顔が真っ赤だ。先ほどのアンバルにも軽視されていたが、今も彼の威厳はちょっとばかり傷ついた気がする。これは問題だ。
『なにをやってるのよ』
いくら猫好きだと言っても、こうも態度に出すと侮らかねないじゃないか、と思うディアナである。詰られたルベウスは、辛うじて呟いた。
「⋯⋯いきなりで、驚いた⋯⋯」
『こんな事でいちいち動じないの。私にしてみたら、いつもの事よ』
リーリアからは神だといわんばかりの崇拝する目を向けられたが、侍女からは怖がられ、口さがない貴族たちからは蔑視を受けた。王として立つ身である以上、様々な思惑の入り混じった目を向けられるのは当然である。全てに動じて反応していたら、身が持たないではないか。
そんな事を言いながら、ディアナはまた眠くなってきて欠伸をした。
おかげで「いつもそんな事を思ってくれていたのか⋯⋯」などと彼が呟いて、更に落ち着かなくなったことなど気づかない。
ソファーの上で丸くなろうとしたディアナに気づき、ルベウスは手を差し出した。
「眠いか。寝室で休むと良い」
寝室にはディアナの身体がある。本来なら魔術師達を呼び出して、彼女の魂を戻したいところだが、傷ついたままの状態では難しいというから、今すぐは無理だろう。しきりに眠気を訴えるのも、猫の特性というだけでなく、少なからず負荷を感じているからかもしれないとルベウスは思う。
ならば、一晩中でも抱きしめて、触れていたい。身体と魂が傍にあることは、きっと良いことだ。
そう思うのだが、ディアナは半眼である。
『お断りするわ』
「⋯⋯⋯⋯」
『また入るくらいなら、軒下で寝るわ。あそこが一番マシだったし』
ディアナは何の気なしに言っただけだが、ルベウスは凍りついた。
考えてみれば、彼女はまるで野良猫のように王宮に彷徨い込んできていた。食事にも窮していた彼女は、今まで何度も野宿をしてきたに違いない。
辛かっただろうに、また外で寝てもかまわないと言う。人であった頃も頑なに自分と同衾することを拒んできた。自分の余命を知っていたからだ、とようやくルベウスは理解している。
彼女は、今更夫婦の寝室に入る訳にはいかないと思っているのだろう。前に半ば強引に連れて行った時、暴れるはずである。
ただ、その時に寝台に自分の身体がある事も、彼女は見て知っているはずだ。身体は生きていると分かっているにも関わらず、近寄りたがらない。
――――⋯⋯まさか、戻りたくないのか⋯⋯?
ルベウスが困惑している間に、ディアナは睡魔に負けた。丸まって居眠りを始めてしまった。
「ディアナ」
呼びかけるも、応答がない。抱き上げて連れて行くのは簡単だが、無理強いはしたくない。前に寝室から逃げ出して、行方を晦ましてしまいそうになったこともある。
ルベウスは上着を脱いで彼女の身体を包み、立ち上がった。
夜になって、ディアナは目を覚ました。外は闇に包まれ、窓から差し込む月明りが薄っすらと室内を照らしている。欠伸を噛み殺しながら体を起こし、また彼の上着に包まれていた事に気づく。
――――⋯⋯優しいわね。私が猫だからなんでしょうけれど⋯⋯。
もしも人間に戻れたなら、また冷たい眼差しで見られるだけだろう。それは自分が仕向けた事で、辛くもないはずだった。しかし、ルベウスの優しい一面を目の当たりにし続けているせいか、何だか辛い。
――――まぁ、もう戻る事もないのだから、杞憂よね。
魔術師たちは、彼が癒しの力を持ち、自分の魂の傷を癒してくれるはずだと言っていた。触れてもらえば、一夜を共にすれば尚良しなどとも。
絶対に嫌、とディアナは突き放した。
自分は国のためとはいえ、彼に相応しいであろう令嬢たちとの縁談を断らせ、強引に結婚を強いた女だ。結婚してから、彼が治癒の力を持つことが分かったからといって、今更助けてなんて言えるわけがない。
それに、民を苦しめ続けた現王家は――――自分の代で絶えた方がいい。
彼に知らせれば、いくら嫌悪している妻とはいえ人情として見捨てていいのかと、不要な悩みを与えることになるかもしれない。だから、魔術師達には口外を禁じた。
魂が離れた身体はやがて死に至るというから、自分の身体はとうに死んだだろう。
――――そろそろ土の中で腐り始めているかしら。国土の栄養になれたわね!
あとは魂が力尽きるのを待つだけだ。それまで折角だから、自堕落な生活を謳歌しよう⋯⋯と思っていたのに、何の因果か、まだ王宮にいる。
早く出て行かなければと思いながらも、ディアナはつい彼の姿を探し、すぐに見つけることができた。
息を呑み、立ち上がると、ソファーの上から飛び降りる。そのまま彼の元へと歩み寄った。
ルベウスは、夫婦の寝室とディアナがいた部屋を繋ぐ扉の間に座っていた。扉は開け放たれ、どちらの様子も見ることができる。傍にランプを置き、ディアナの魂と身体、どちらに異変があっても気づけるようにしたのだ。
「ん⋯⋯? 起きたか」
驚いた様子で歩み寄って来たディアナに、ルベウスは微笑んだ。
『貴方⋯⋯寝台で寝なさいよ。なんでここにいるの』
「中に入るのが嫌なんだろう?」
『それは⋯⋯そうだけど』
自分に気を使う必要などないと思うが、彼は譲る様子はない。しかし、だからといって、また寝室に入って、ルベウスの恋人に鉢合わせるのは――――嫌だ。
前は困ると焦るばかりだったが、今は心の奥がもやもやする。
おかしい、自分はどうしたのだろう。
ディアナが悩んでいると、ルベウスは微笑み両手で抱き上げて、腕の中に抱きしめた。
『ちょっと!』
「寝室が嫌なら、ここにいろ。撫でてやる」
『油断も隙も無い人ね! 私は触られたく⋯⋯な、い⋯⋯』
抗議するが、哀しいかな、喉が勝手にゴロゴロと鳴る。首の後ろを掻かれて、とっても気持ちが良いのだ。
猫の身体は魂が作り出した仮の器に過ぎない。しかし、人間だった頃のディアナが、『猫とはこういうもの』という認識が強く反映されているらしく、本物の猫と同じような反応になってしまうのだ。
そして、四六時中寝ている姿を見ていたこともあってか――――とにかく眠い。
ルベウスに撫でられて、ディアナは気づけばまた眠りに落ちていった。
そんな彼女を見つめて、ルベウスは笑みが止まらなくなる。
猫になった彼女の表情は読み解けない。しかし、率直な想いを知ることができた。言葉をかわせるだけでも、嬉しいと思った。
こんな気持ちは初めてだった。




