猫バカ
ルベウスに連れられて、彼の私室へと入った時、ディアナは非常に腹を立てていた。彼がソファーの座面にそっと降ろし、新しく首輪をつけてきても、怒りの矛先が向かなかったくらいだ。
言った通り、彼は赤い石を付けた首輪を用意してきた。ご丁寧にも、輪の一部に金具が使われており、引っ張れば外れるからと、律儀に説明もしてきている。
それはまだいい。だが、何故首輪がピンクなのだ。しかも、大きなリボンまでついている仕様なのだ。
「今度は大丈夫だからな」
と、真顔で言ってくる元・夫に、貴方はどういう趣味をしているのだ、と言いたくもなったが、ディアナの怒りは今、首輪などではない。
――――貴方、言われたい放題じゃない!
ディアナを連れてルベウスが廊下を歩いていると、数人の若い貴族たちとすれ違った。彼らはその場では礼儀正しく挨拶をしていたが、彼が離れていくと、明らかに嘲笑の目を向けていた。
その中の一人には、ディアナも見覚えがある。かつてリーリアを傷つけて、ディアナが平民に落とした男の兄でアンバルという者だった。
確か年もルベウスと同じだったと記憶している。金髪碧眼に、長身痩躯という優れた容貌の持ち主で、見目が良い事もあって、令嬢たちからは熱視線を送られている。女癖の悪かった弟と違って浮いた噂は聞いていなかったが、とにかく一々癇に障る物言いをしてくる男だった。
頭の回転が速いのもあるのだろうが、一つの話題に関しても重箱の隅を突くように細かく、ねちっこい。弟を追放された恨みは強いようだ。その敵意が自分に向いていた分にはかまわなかったが、今はルベウスに一直線だ。
しかも、ルベウスは公の場では大人しく立っている事が多かったせいか、侮ってもいるらしい。
『見てください。あの皺だらけの上着⋯⋯これで王宮の主になれますかねえ?』
小声であったし、ルベウスは聞こえなかったかもしれないが、猫の耳はきっちりと捉えていた。
――――あぁ、腹が立つわ! ルベウスの上着に皺がついたのは、私が寝ていたからよ!
そう言ってやりたいのに、やはり声は届かない。にゃあという、猫の鳴き声で終わってしまった。
悔しい。先ほどのリーリアの時もそうだったが、意思が伝わらない事が、どうにも歯がゆい。
一方のルベウスは、ディアナから怒気を感じ取り、しかも彼女が何も言ってくれないものだから、不安がこみ上げる。
「具合が悪いか?」
『⋯⋯そうね。色々と頭にきすぎて、血圧があがりそうだわ。貴方を馬鹿にするなんて⋯⋯後で噛んでやるわ!』
それとも爪で引っかいてやろうか。猫になってからというもの、毎日のように爪とぎをして、けっこう鋭いのだ。我ながら名案だとご満悦の彼女を見て、ルベウスは目を丸くした。
思わず自分の腕に嵌まっている腕輪に目を落とす。効果は同じく、彼女が身に着けた魔導器を通して、意思を伝えてくれるもののはずだ。
聞き間違えでなければ、彼女は今、自分の為に怒ってくれているらしい。
――――嘘だろう⋯⋯?
返す言葉を失っているルベウスを見て、よもや自分の言葉が彼に丸聞こえだと思っていないディアナは、ここぞとばかりに、アンバルに抱いていた日々の不満を話した。リーリアに迫った彼の弟の事も含め、自分が恨まれるのは仕方がないと思いながらも、ルベウスまで詰られるのは承服しがたいと言い切る。
ルベウスは、ディアナが女王として辣腕を振るっていた頃と同じく、黙って聞いていた。慣れたもので、自然だったものだから、ディアナも口が滑り続ける。
『全く⋯⋯あの男のしつこい事と言ったらないわ。何がしたいのかしら』
ウンザリしたように呟いたディアナを見つめ、ルベウスもまた表情が険しくなっていた。
――――私に妙に敵意ばかり向けてくる男だったが⋯⋯ディアナにも絡んでいたのか⋯⋯。
ルベウスは陰口を叩かれていることを気づいていたが、別に気にしてこなかった。それよりもディアナの事で頭が一杯だったし、悪女と謗られていた彼女の方がよほど辛かっただろうと思うからだ。
ただ、アンバルがぶつけてくる感情は、他の者に比べて度を越しているような気もしていた。最近では、ルベウスを見る目は敵意どころか、憎悪すら滲ませている。
日々衰弱していたディアナは、さぞ消耗させられたに違いなかった。
「大丈夫か?」
そんなありきたりの言葉しかかけられない自分がもどかしくなったが、饒舌に語っていたディアナは目を丸くして、驚いたようにルベウスを見返した。
『私の心配なんて⋯⋯しないでちょうだい』
「ん?」
『⋯⋯どうしたらいいか⋯⋯分からないじゃないの』
宰相や気心のしれた臣下達や、リーリアには強がれた。主である自分が、護るべき存在だと思ったからだ。
だが、ルベウスは曲がりなりにも夫である。本来なら心通わせ、救いを求めてもよい相手かもしれないが、強引に夫にした負い目もある。
『それに⋯⋯私が弱ったところを見たら⋯⋯貴方は困ると思うわ』
ルベウスは優しい男だ。
百に一つもないとは思うが、もしかしたら同情して、後々まで気に病んでしまうかもしれない。そんな目に遭わせるくらいなら、稀代の悪女のままでいいと思っていた。
ディアナは小さくため息をつき、食い入るように自分を見つめているルベウスを軽く睨んだ。
調子に乗って本音をポロポロと出してしまったが、今更ながらに気恥ずかしくなってくる。
『なによ』
「⋯⋯馬鹿だな」
ルベウスがぽつりと漏らした言葉は、これ以上は言うまいと閉ざしかけたディアナの口をこじ開けた。
『馬鹿ですって!? 貴方の方が馬鹿よ! 言われっぱなしでいるなんて、だめよ! そもそも私がなぜ貴方と結婚したと思っているの⁉』
「分からん」
――――そうでしょうね。猫語は通じないもの!
だから、思いのたけをぶちまけても、誰も困らない。言いたい事をいっていいのだ。
それが何だか妙に気持ちが良くて、ディアナは叫んだ。
『貴方がとっても良い男だからよ!』
あまりに意外過ぎる発言に、ルベウスはまたしても固まった。お陰で彼の表情は何も変わらなかったものだから、ディアナはますます勢いづく。
『貴方は賢いし、強いし、誠実だったわ。女癖は知らなかったけど、それはまぁ⋯⋯いいわ。私は貴方の子を産めるような身体ではなかったし、万が一妊娠しても育てられないのだから⋯⋯ぜんぶ諦めたの。でも、貴方はまだ若いんだから、再婚して幸せになってね』
「⋯⋯⋯⋯」
『王族というのは色々言われる立場だけど、貴方がちゃんと妻となった子を守ってあげるのよ。国を守るために私みたいな女と結婚できたのだから、根性もあるわよね。周りにとやかく言わせないで!』
ディアナはそうまくしたて、ハアハアと息も荒くなっていた。自分でも何でこんなに興奮するのだと思い、原因となった男を見つめ返す。
ルベウスはまじまじと見つめ、やがて急に頭を抱えると、呻いた。
「⋯⋯ちくしょう。もっと聞いていたいが限界だ、可愛すぎる⋯⋯」
ディアナは半眼になった。にゃあにゃあと鳴かれて喜んでいるに違いない。
――――また出たわ、猫バカね! 私の話を聞きなさいよ! ⋯⋯猫だから、無理か。




