リーリアの想い
結婚指輪の宝石の側に前脚を乗せたまま、じっと自分の目を見つめる彼女を見て、ルベウスは閃いた。首輪に下がっている青い石を見て、問いかける。
「もしかして、赤が良かったか⋯⋯?」
「みゃ⁉」
素っ頓狂な声が漏れ、ディアナの尻尾が爆発した。挙句に目が散々彷徨って、落ち着きを無くす。自白したも同然である。
「赤い石だったら、身に着けてくれるか?」
重ねてルベウスは問いかける。彼の目が何だか必死で、ディアナはうろたえた。これでまた拒否することは簡単だが、彼を傷つけるような気がした。
「また何かに引っかかっても困るから、引っ張ったらすぐに外れるような首輪にしておく。嫌なら取っていい。だから、もう一度だけ⋯⋯つけてくれないか」
ルベウスの目は真剣そのものだ。
もともと端正な顔立ちをした男だったが、こうも熱く見つめられると、ディアナは何だか気恥ずかしくなってきて、今度は自分の意思で頷いた。
「よかった。新しい物を持ってくる。待っていてくれるか?」
――――いいけど⋯⋯また眠いのよ⋯⋯。
堪えきれずに欠伸をすると、ルベウスはすぐに理解した。
「そういえば、リーリアの所から抜け出してきたんだな。心配するだろうから、そこにいてくれ」
ディアナも異存はない。地面に寝るよりも、部屋の床で寝た方がましだ。
重い腰を上げて、リーリアの部屋の窓の傍まで来ると、窓枠の上に飛び乗る。そのまま傍の机の上に移動すると、そこで丸くなろうとした。
後を付いてきたルベウスは、それを見るなり上着を脱いだ。素早く丸めて、彼女の側の机に腕を伸ばして置く。
「硬いだろう。これを使うと良い」
寝床を作ってくれたらしい。どこまでも猫好きだ、とディアナは思いながらも、彼を軽く睨んだ。
――――だめよ、貴方。そんな事をしちゃ⋯⋯!
心ではそう咎めたが、猫の習性が発揮されてしまう。前脚でせっせと何度も自分の服を押して、寝床を整え始めた彼女に、ルベウスは目を瞬いた。
「面白い事をするものだな⋯⋯?」
――――さっさと行きなさい!
シャーっと牙を剥いたディアナに、ルベウスは慌てて庭を駆けて行った。
三十分後。ルベウスの服を寝床にして、ディアナは安眠を貪っていたが、扉を開ける音に目を覚ました。入って来たのは、リーリアだ。
「⋯⋯私に休憩時間なんていらないのに⋯⋯」
不満げに呟いた彼女に、ちゃんと休みなさいと思ったディアナである。リーリアは机の上のディアナを見て目を和らげたが、彼女の下に敷かれていた見覚えのある服に眉を顰める。
今日、ルベウスが着ていたものだ。
「いやだ。あの人⋯⋯私の部屋に入ったのかしら?」
――――違うわよ。外からよ?
ディアナは彼の代わりに弁明して鳴いたが、やはり通じない。その間にも、リーリアの口から彼への文句が続き、ディアナはもどかしくて、何度も鳴いた。
――――違うのよ。リーリア、違うの⋯⋯!
貴女達は和解して、仲良くなったのではなかったのか。こんな事で誤解してほしくない。
必死の訴えも、単なる鳴き声にしかならず、ディアナは切なくなってきた。猫になりたいと思ったのは自分なのに、どうしてこんなに辛いのだろう。
とうとう目を伏せた彼女に気づいたリーリアは、ルベウスへの苦言を止めた。
「まぁ⋯⋯貴女に言ってもしょうがないわね」
苦笑して、猫の側にあるディアナの遺品に視線を向け、目を潤ませる。
「ディアナ様⋯⋯私は強くなります」
ぽつりと呟いたリーリアに、ディアナは安堵した。自分の傍に行きたいなどと泣いていたから、心配だったのだ。もう少し寝ようと思った時。
「ふんっ」
年頃の乙女が出しちゃいけない声が床から聞こえて、ディアナは固まった。
恐る恐る下を見てみれば、リーリアがどこから取り出したのか額に鉢巻をし、床で腕立て伏せを始めていた。腕まくりまでしていて、本気度が伝わってくる。
「あの男より、強くなります!」
――――⋯⋯貴女⋯⋯一体何を目指しているのよ⋯⋯。
しかも、鉢巻きには、打倒の後に丸が四つ書いてあった。
これで秘めているつもりらしい。確かに、広言できるものではないんだろうが、分かりやすすぎる。
どうやら和解したわけではなさそうだと項垂れながら、ディアナは呟いた。
――――見なかったことにしてあげるわ⋯⋯。
そして、心から嘆いた。
早く良い男性を見つけて、嫁がせておくんだった、と。
何しろ可愛い侍女の細腕は、しっかりと筋肉がついていた。
やがてリーリアは仕事に戻ると言って部屋を後にし、ディアナはのんびりと昼寝を続けた。次に彼女が戻って来たのは、夕方に差し掛かる頃である。
夕食を持ってきてくれたので、ありがたくお腹を膨らませたディアナが満足していると、部屋の扉がノックされた。
扉を開いたリーリアからは、無論、一切の表情が消えている。そこに立っていたのは、ルベウスだったからだ。
「迎えにきた。いるか?」
「はい」
短く答え、リーリアは一度部屋に入ってディアナを抱き上げると、物凄く嫌そうな顏を一瞬だけした後、指先で彼の上着を摘まんだ。それをばっちり目撃したディアナは呻く。
――――貴女⋯⋯父親の服を触るのを嫌がる、思春期の娘みたいよ⋯⋯。
さりとて、そのまま持っていくとあまりに非礼と思い直したのか、リーリアは表情を消し、しっかりと上着を手で持って、彼の元に戻った。
ルベウスの上着は丸まっていたために皺だらけだったが、彼は気にせずに身に纏い、そしてディアナを両手で大事そうに受け取った。
「助かった。どうも、ありがとう」
「ど⋯⋯どういたしまして」
穏やかに微笑まれ、リーリアは少し気まずい思いをしながら答えた。ルベウスが猫を抱えて去っていくのを見送ると、リーリアは部屋に入り、扉を閉める。
「⋯⋯優しい所もあるのよね」
ため息とともに呟き、ディアナの遺品を見詰める。
――――⋯⋯あの優しさを、ディアナさまに向けてくだされば良かったのに⋯⋯。
リーリアが忠誠を誓ったディアナは、どんな誹りにも動じない気高い女王だった。
鉄の女と揶揄されていたことも知っている。彼女は決して弱い所を他人に見せたりしなかった。衰弱して死が近づいてきている時でさえ、リーリアに笑いかけてくれたものだ。
親の愛情を与えてもらえなかったというから、弱音の吐き方も知らなかったのかもしれない。優しく触れて貰うこともなかったに違いない。
どれだけ寂しい思いをしてきたのだろうと、リーリアは胸を痛めた。




