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結婚指輪の宝石

 ルベウスは枝に足をかけて素早く木をよじ登り、彼女に必死で手を伸ばして、まずは彼女の身体を片手で支えた。足で踏ん張りをきかせ、もう一方の手で枝を首輪から外すと、彼女の身体を抱きしめて、そのまま飛び降りる。


「大丈夫か?」


 ケホケホと咳をするディアナの背中を、ルベウスは何度も擦った。やがて、呼吸が落ち着いてくるのが分かり、彼はほっと胸を撫で下ろす。


 ――――もう、平気よ⋯⋯。ありが⋯⋯。


 ディアナはルベウスが今にも倒れるんじゃないかと思うほど、顔面蒼白になっている事に気づき、目を丸くする。


「すまない。そんなに嫌だったか」

『⋯⋯嫌よ。二度とつけないわ』


 また同じ目に遭いたくないディアナは、まず先に釘を刺した。すると、ルベウスはほろ苦い笑みを浮かべ、ディアナの首輪を外す。これ幸いと、ディアナは彼の掌の上から首輪を前脚で叩き落した。


 こう強く主張しておけば、大丈夫だろう。


 ディアナはくるりと背を向け、歩き出す。ルベウスが追ってくる気配はない。このまま王宮を出ようと思ったが、しばらく進んで足が止まった。


 ――――私⋯⋯お礼をまだ言っていなかったわ。


 言葉は通じないけれど、このまま立ち去るのも、礼を欠いているように思える。


 ――――そういえば⋯⋯貴方、前にも高い所に上って降りられなくなっていた猫を、助けにいっていたわね⋯⋯。


 三年ほど前に父親と一緒にルベウスが王宮に出仕してきた時、ディアナは庭先で彼の姿を見かけた。一本の木の前で従者たちが騒然としていたので、何かと思ったのだ。


 彼らの視線を追って、木の上の方を見てみれば、ルベウスが木の上によじ登っていた。彼が目指していたのは、一番上の枝にしがみついて鳴いている子猫だった。どうやら登ったはいいが、降りられなくなったらしい。


 従者に任せればいいのに。自ら危険な事をする必要など無いのに。見て見ぬ振りができなかったのだろう。


 ルベウスはやがて子猫を腕に抱え、素早く降りてきた。


『もう怖くないからな』


 ルベウスが優しく声をかけて降ろした子猫は、動揺して気が高ぶっていたのか、なんと彼の手に噛みついて逃げて行った。従者たちは恩知らずだと詰ったが、ルベウスだけは笑っていた。


 穏やかな優しい笑顔だった。


 ――――⋯⋯。だから猫になろうと思ったわけじゃないわよ⁉


 ディアナは自分で自分に言い訳をする。


 そして、あの時の子猫と同じにはなるまいと振り返ったが、ルベウスはその場に留まり、背を向けていた。だから、彼の表情は読み解けなかったが、その広い背はひどく寂しそうにみえた。


 ルベウスはその場に屈み、土に塗れた首輪をしばらく見つめた後、小さくため息をついて拾い上げた。


 ――――私とは話もしたくもなかったか⋯⋯。


 自業自得だと思いながらも、思った以上に自分が堪えていることに気づく。自分からの贈り物だという時点で嫌だったのかもしれない。サファイアが輝く彼女の結婚指輪も、宝石を傷つけまいとしていただけじゃなく、本当は身に付けたくもないと思われていたのかもしれない。


 心が重く、身体までも鉛のようになった気がした。


「ん⋯⋯?」


 ふと隣に気配を感じ、ルベウスが視線を向けると、隣に猫がちょこんと座っていた。彼女は汚れた首輪を見て、さらに気まずくなる。やり過ぎた、と思ったのだ。


 ごめんなさい、と言ったが、通じない。


 どうしたものかと悩んでいると、ルベウスが我慢できずにそっと彼女に手を伸ばした。だが、また逃げられてもと躊躇し、左手が宙に浮く。


 引っ込みがきかなくなった彼の手を見て、ディアナは閃いた。彼の指に、ぽんっと前脚を乗せる。


 ――――これで手打ちよ!


  握手みたいなものだ。


 何だか得意げなディアナに、ルベウスは目を見張り、微笑んだ。

 彼女の前脚がたまたま彼の左手の薬指の近くに乗っていたからだ。


 ――――あら、貴方⋯⋯まだしていたの?


 とっくに外しているものかと思ったのに。まじまじと見るディアナに、ルベウスは静かに告げた。


「あぁ⋯⋯結婚指輪が気になるのか。そういえば⋯⋯私だけどうしてこの色だったんだ?」


 結婚式も、結婚指輪も、ルベウスの希望は何一つ入っていない。結婚自体を苦々しく思っていただけに、進んで関わろうともしてこなかったからだ。そして、彼の拒絶も分かっていたのか、ディアナも尋ねてこなかった。


 結婚指輪も二人分用意され、ディアナの物はサファイアが嵌まっていた。


 だが、ルベウスの物は違った。

 独り言のような呟きを聞いたディアナは、彼を見あげた。


 ――――⋯⋯貴方の色だからよ⋯⋯。


 赤い情熱の色。燃えるようなルビーの、澄んだ赤。ルベウスの瞳の色は綺麗だと、ディアナは思っていた。

 だから、彼の指輪を作らせる時、サファイアではなくルビーを選んだ。


 ディアナが唯一、損得勘定抜きにして選んだ宝石だった。

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