猫の首輪
ジェミナイに見つかってしまったせいで、ディアナは王宮から抜け出すこともできずにいた。挙句に、主君命の男に何か火がついたらしく、延々とルベウスがいかに素晴らしいかを延々と語られた。
――――知ってるわよ⋯⋯。
もちろん、全部ではない。ただ、ルベウスが実直な男だと見込んだからこそ、王配に迎えたのだ。自分が知らなかった彼の日々を知る事は嬉しかったが、さも自分だけが知っていると言わんばかりの彼に、何故かちょっとばかりイラっとする。
そんな自分にも戸惑い、段々頭が働かなくなってきたせいだろうと思った。
猫は年がら年中寝ている生き物であるせいか、途中から眠くて仕方がなくなっていたのだ。
――――そろそろ寝たい⋯⋯わ。
頭がぼうっとしてきた時、ルベウスがやって来た。
「⋯⋯ここにいたのか」
ディアナの側にいたリーリアから、部屋にいると聞いたルベウスは、さっそく彼女の部屋に向かった。さりとて独身の女性の部屋に立ち入るわけにいかなかったから、同僚の侍女にディアナを連れてくるように頼んだが、姿がないという。慌てて近くを探してみたら、ジェミナイと一緒にいる彼女を見つけた。
ほっと胸を撫で下ろすとともに、胸の奥がチリッと何か痛む。
「下がっていい」
と言って、早々にジェミナイを追い払った。腹心が立ち去っていくと、ルベウスは猫となった妻の前に膝を追って屈んだ。
「私の話を聞いてくれるか?」
ディアナが一度頷いたのを見て、ルベウスはほっと安堵する。
よもや彼女が睡魔に負けそうになっていることも、頷いたのは船を漕いでしまっただけだということにも気づかない。
彼はそのまま明瞭簡潔に魔術師達から話を聞いてきたことを伝えた。ディアナが猫になった経緯も理解した上で、自分は癒しの力を持っているようだから、触れさせてほしいとも頼んだ。彼女が黙って見返すだけだったので、ルベウスは魔導器の説明も始めたが。
ディアナは朦朧としていた。
―――あぁ、眠い。頭上でなんかゴチャゴチャ言ってるわ⋯⋯。貴方は部下自慢かしら⋯⋯? あとに、して⋯⋯。
瞼が重い。その場で丸くなって寝てしまいたい。しかし、そうなるとまたルベウスに抱き上げられかねない。どうしたものだろう。そんな事が頭の中でグルグルと回る。
「――――貴女と会話ができるものだ。このままだと使いにくいと思って、首輪にさせてみた」
――――ん? なんか⋯⋯言った?
「だから⋯⋯いいか?」
どことなく心配そうな顔をしながら、ルベウスに問いかけられたディアナは、冷や汗が出てきた。人間だったら顔面蒼白ものである。
女王であった時は、ルベウスを傍に置いて公務を学ばせた。閣僚たちとのやり取りも、ちゃんと聞いていたか、質疑応答を重ね、少しでも誤ることを許さなかった。
さまざまな欲望が渦巻く王宮では、いつ何時、ルベウスの足を引っ張ろうとする者がいるか分からない。
自分の身を最も守れるのは、自分だ。ディアナは心を鬼にしてきた。
そんな自分が。
――――話を聞いてなかった、なんて⋯⋯!
申し訳なさと恥ずかしさに打ちのめされたディアナは凍りつき、そのお陰で、彼が自分の首にすっと首輪を通したのを看過してしまった。
『え⋯⋯?』
「これもサファイアみたいだろう。よく似合う」
高く売れるからといってサファイアを集めていた彼女は、一度も身に付けなかった結婚指輪までサファイアだった。ただ、死に装束に選んだ服の色も青だったから、満更でもないはずだ。
そう思ってルベウスは微笑みかけたが、ディアナにしてみると冗談ではなかった。
――――私を飼いネコにする気⁉ 困るわ!
ディアナは慌てて前脚で引っかいて取ろうとしたが、外れない。ならばと後ろ脚を伸ばしても、同様である。
「どうした。身体に合わないのか?」
首にはぴったりのはずだったが、魔導器の類である。なにか苦痛を覚えているのかと、ルベウスが慌てて手を伸ばして外そうとしたが、ディアナはすかさず飛びのいた。
『触らないで!』
「⋯⋯⋯⋯っ」
ルベウスは凍りついたが、ディアナはかまっていられない。サイズ調整などされて、もっと外せなくなったら困るからだ。茂みに飛び込んで暴れてみたが、やはり駄目だ。どうしよう、と焦り、ルベウスが追ってきたのが分かり、更に動揺した。
『来ないでって言っているでしょう!』
「頼む。行かないでくれ!」
ディアナは彼が茂みに入ってきたので、反対側から抜け出して、今度は木の枝に飛び乗った。爪をたてて攀じ登り、枝から枝へと飛び上がっていく。
『ここなら届かないわ!』
猫の身軽さを舐めるな、とちょっといい気になっていたのが、とっても不味かったのだろう。茫然とするルベウスを見下ろして、更に上に飛び上がった時。
『んぎゃ⁉』
いきなり首が締まり、ディアナは珍妙な悲鳴をあげた。手足を必死でばたつかせたが、虚しく空を切るだけだ。そうしている間にも息はどんどん苦しくなる。
ルベウスもまた蒼白になった。ディアナが目指した枝とは異なる細い枝がちょうど飛び上がった先にあり、首輪が引っかかってしまったのだ。首輪は容赦なく彼女の首を締めつける。
――――死ぬ! 死んだわ! 二度目の死は首吊りかしら⋯⋯。それはちょっと嫌!
薄れゆく意識の中で、ディアナはそんな事を思ったが。
「待ってろ、今助けに行く!」
力強い男の声が、はっきりと耳に届く。そんな事を言ってもらえるような身ではない。猫だからかもしれないが――――途方もない安心感を覚えた。
苦しいのに、辛いのに、なんだか怖くない。
大きな手に包まれて、ディアナは不覚にも涙が滲みそうになった。




