いろんなあだ名
やがてリーリアが、二つの器を持って調理場から戻って来た。
一つは温めたミルク、もう一つは解した焼き魚だ。
ルベウスが去り際に指定していってくれたからだが、何故か彼は得意げだった。そんな彼を睨みつけていたリーリアだったが、ディアナが夢中で食べるのを見つめる目は優しい。
「私はお仕事に行ってくるわね。あの木偶の――――いえ、ルベウス様が戻られるまで、ここで過ごしていると良いわ」
――――リーリア、今、木偶の坊って言おうとしなかったかしら⋯⋯?
聞き間違いだろうかと思っている間に、リーリアはさっと立ち上がった。ルベウスのお気に入りらしい、という事を除けば、この猫は可愛い。さりとて自分には、眠り続けるディアナの世話がある。
仮死状態の彼女は、意識が戻らなければ死ぬと言われている。許される限り、傍にいたい。ディアナが危篤状態に陥った時、医師たちに部屋から追い出されてしまったから猶更だ。
このままディアナが息絶えるというのなら、いっそ後を、とも思い詰めたこともあるが、自分の人生を前向きに生きると誓った彼女との約束も違えたくない。
お傍にいける日はいつかしら⋯⋯。
日が経つにつれ、全く目覚めようとしないディアナを見て、リーリアは思い詰めるようになった。
ただ、ディアナの特徴によく似た猫を見ていると、涙と共に何だか胸が暖かくなった。涙を零している自分を心配そうに見つめる目など、そっくりだ。
それに、慰めようとしてくれているのか、手が持ち上がっていて可愛らしい。
ディアナがこのまま息絶えると諦めたら駄目だ、とリーリアは今一度奮い立ち、部屋を出ようとしたのだが。
焦ったのは、ただいま猫になっている女王である。
――――待って。私は出て行こうとしていたのよ⁉
このままルベウスが戻ってくるのを待っていたら、また昨夜の二の舞になると、焦る。しかし、必死で訴えても、全ては猫の鳴き声だ。
リーリアは困った顔をして、首を傾げた。
「どうしたの? まさかとは思うけど⋯⋯ルベウス様がいなくて寂しいの?」
――――ち、違うわ!
「違うわよね!」
嬉々として続けたリーリアに、ディアナは目が点になる。言葉が通じないのに、よく分かると思いながら、立ち上がった。そのまま部屋の扉まで行くと、前脚で掻いて開けてと訴えた。
「だめよ。預かっているんだから」
――――これは、どうしたものかしら⋯⋯。
ディアナは悩み、うろうろと歩き回った。落ち着かなさげな猫を見ていたリーリアは、はっと閃く。
「貴女、もしかして⋯⋯お手洗いかしら!」
――――⋯⋯もう、何でも良いわ⋯⋯。
ディアナは、一声鳴いて答えた。すると、リーリアも流石に部屋の中で粗相をされては困ると思ったらしく、中庭へと通じる窓を少し開いてくれた。ディアナは隙間からするりと外へ出て、茂みに向かう。適当に時間をあけて、もう一度リーリアの私室に戻った。
「貴女は賢い子ね。あの唐変木とは違うわ」
ちゃんと戻ってくると理解したリーリアは、柔らかな笑顔を向けてディアナの頭を撫でると、部屋を後にした。扉が閉ざされると、ディアナは小さく息を吐く。唐変木だの、木偶の坊だの、ルベウスは散々な言われようである。
本当に仲良しなのかしらと、ちょっとばかり疑念を抱きつつ、ディアナは再び窓から外へと出た。ようやく自由の身だ。ルベウスとリーリアのお陰で、お腹はいっぱいである。そのせいか、何だか活力も湧いてきて、ディアナは太い尻尾をゆすりながら、ご機嫌に中庭を進む。
さぁ、このまま出て行こうか。
そんなことを考えていた時、庭に面した渡り廊下から、驚いたような男の声がした。
「お前⋯⋯こんな所でどうしたんだ?」
嫌な予感がして、そろそろと見てみれば、ルベウスの腹心ジェミナイが慌てた様子で駆けてくる。
――――出たわね、猫好き男、その二!
そして、ルベウス同様に、嫌悪の眼差しで見つめてきた男でもある。リーリアとはまた違った意味で、自分が猫になったと知られてはいけないと、ディアナは思った。
「リーリアの所にいたんじゃないのか。どうした、迷子になったのか?」
――――私がここで迷う訳ないじゃないの⋯⋯。
心の中で反論しつつ、ディアナはじりじりと後退する。何しろ、この男に一度首根っこを掴まれて、持ち上げられた忌まわしい過去がある。
すると、ジェミナイは俄かに焦った顔をした。
「待ってくれ。お前がいなくなると、きっとルベウス様は寂しがる」
――――他の猫を連れていらっしゃい! 新しい恋人なら、なお良しよ!
フンっと鼻を鳴らし、駆け去ろうとしたディアナだったが。ジェミナイは突然顔を歪め、その場に座り込んで、項垂れた。
そんな彼をディアナは怪訝な目で見る。
――――貴方もか。主従揃って何を落ち込んでるのよ⋯⋯。
呆れているのが伝わったのか、ジェミナイは小さく苦笑いした。
「⋯⋯本当に、よく似ているな」




