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ルベウスの結婚

「私は国と結婚したと思う事にした」


 ディアナにそう告げた時、悪女と名高い彼女の眼は、優しくなった。


 ディアナの父王は散財が酷く、ルベウスや実家の伯爵家はたびたび苦言を呈してきた。彼女が王位を継いだ時、少しは変わるだろうかと、ルベウスは父と共に期待したものだった。


 だが、彼女の政事はことごとく不評だった。


 父王の悪政に苦しんできた民へ、さらに税を課した。国を支える貴族達に対してはもっと悪辣で、倍以上の負担を求める事さえあった。そのくせ、自分は様々な物を買い集め、豪奢なドレスを身に着けていたから、人々の目は厳しくなり、『稀代の悪女』と詰られるようになっていた。


 化粧はいつも厚く塗りたくっていたから、見栄っ張りだとも言われていた。


 結婚したというのに、まともに触れることも許されず、寝室も別にされたルベウスに、人々は同情的でもあった。

 

 しかし、ディアナの数々の悪評と、自分への同情の声を聞くたびに、ルベウスは複雑な心境に陥るようになった。


 結婚した当初は、あまりの強引さに腹を立てていた。でも、王配という立場になった以上、ずっと王家に批判的でもいられない。懐柔策として夫にされたのかもしれないと不愉快に思いつつも、女王に最も近い身となったのだから、好悪のどちらの感情に流されてはいけないと自戒した。


 ディアナを助ける事は、祖国のためになるはずだ。


 そう胸に誓ったのだが――――ほとんど、公務をさせてもらえなかった。


 結婚して早々に突っぱねた事への嫌がらせかと思いつつも、ディアナの傍らで仕事ぶりを見ていると、彼女がとにかく優秀だという事に気づく。判断は迅速かつ的確であり、無駄が無い。公務はきっちりとこなし、だが時間を大きく超過することもない。


 周囲の者達が安心して仕事をしているのが、その場の空気からも感じたし、横暴な先代の悪政から国を守ったと賞される宰相も、ディアナを深く信頼しているのが、言葉の端々からもにじみでていた。

余所者だったルベウスが手伝う余地はなく、黙って見ている方がいいとさえ思った。


 仕事に関しては、間近で見る姿と噂で聞く姿は、あまりに違った。


 ただ、仕事の時も、私事の時も、彼女は常にルベウスにだけは冷淡だった。宰相や近臣には時々優しい眼をむけるのに、とにかくルベウスには厳しい。政に関しての問答で誤ると、特にだ。


 どうして、私だけ――――そんな苛立ちを覚え始め、結婚した時に告げた台詞が頭を過り、自分が招いた事だと思うと、ばつが悪くなった。


 今更、撤回しようなどと、虫が良すぎる。


 悩んでいる間に時は過ぎ――――ディアナは倒れた。



 女王を失ったというのに、その後の事はあまりに順調だった。結婚してまだ間もないというのに、ルベウスが次期国王となる事に、誰も異を唱えなかった。民や貴族から徴収されていた税は全て国庫におさめられており、ディアナ自身の資産は微々たるものだった。


 それも遺言により、全てルベウスに譲っていた。


 ルベウスが使用できない物は、全て売るようにとも書いてあった。


 その一つが、ディアナが一人で使っていた天蓋つきの豪奢かつ下品な寝台だ。あまりに大きく、他の男を寝所に招いて浮気でもしていたのだろうと野卑な噂をたてられていた。


『これは売れと言わないんだな』


 そう言ったら、居合わせたあの侍女の瞳が更に冷たいものになり、宰相がとりなすように言った。


『元々はディアナ様のお父君が使われていたもので⋯⋯王家の紋が入っておりますので』


 自分の迂闊さに気づいたルベウスは、気まずくなって、更に尋ねた。


『もともとの自分の寝台もあったはずだが、それはどうしたんだ?』


 すると、侍女の目が殺意すら持ったように見えて、また宰相が申し訳なさそうに、告げる。


『⋯⋯ルベウス様が、今お使いになられているものです』


 マットレスやリネン類は新しい物が用意されたが、ベッドや調度品は、ディアナが使っていた物だった。妙齢の女性の物とは思えない、質素な品だ。


 彼女自身は散財する父を見て育ったせいか、人の目に触れにくい私物には極力金をかけなかったのだと、宰相は教えてくれた。

 そして、結婚に際し、ルベウスに私物を譲る時も、彼女は散々迷っていたという。


『ルベウスは将来、国王になる男なのよ』


 使いまわしたりなどせず、全て新しい物を用意して迎え入れてやりたい。でも、国王夫妻のための寝室を使うようになれば、部屋に相応しい品がいるだろう。その時は、彼の好きな物を選べばいい。


 ただ、今の時点で近々買い替えると分かっているのに用意したら、民に示しがつくだろうか、と。

 汚さないようにしていたドレスも、宝石も、全ては死後、国の財になると思っていたに違いなかった。財にならない物だけは、仕方なく使用していたに過ぎない。


 彼女は、墓場も指定していた。

 それどころか、自分が入る墓穴も掘らせていた。あまりの事に、ルベウスは自分の目で確かめに行ってしまったほどだったが、そこで墓石までも作らせていたのを目の当たりにした。


 刻々と迫る死を、ディアナは受け入れた。


 どれほど周囲から謗られようと、夫である自分に冷たい目で見られても、彼女は己の道を貫いた。


 ディアナは悪女なんかじゃない。この国に欠かせない、気高い女王だった。


 ルベウスは自分の過ちと短慮を、恥じた。目の前の事しか見ず、諫める事が役目だと思い込んでいた傲慢さに打ちのめされた。


 あまりの無力感と絶望に、ルベウスは立ち直れずにいた。


 そうしている間にも政務は舞い込んできて、せめて彼女の期待に背くまいと思った。


 公務自体は苦労しなかった。ディアナの側で彼女の仕事ぶりを見ていた事もあったが、彼女は仕事がやりやすいように文書で残し、近臣たちにも内容を伝達する配慮をしておいてくれたからだ。


 お陰で困らなかったが、ルベウスは彼女の有能さを痛感し、もう立ち直れない気がした。

 

 公務が滞りなく終わるせいで、ルベウスは夕方から夜にかけて、よく時間が空いた。さりとて、日中は深い眠りに落ちている女王の傍にいる事ができなかった。懸命に女王の世話をする例の侍女が、なかなか近寄らせてくれないのだ。


 ルベウスがディアナに散々冷たい態度をとってきたことを、そうとう根に持っているようだった。


 宰相は王配であるルベウスに対して非礼であると侍女を窘めたが、侍女は身も心も鋼鉄のような娘だった。


 まずルベウスには、ぴくりとも表情を動かさない。

 しいていえば時々、極寒の眼差しで見てくるだけだ。さらには鋼のような強い意思で、ディアナの傍にいると言い張る。


 ディアナから引き離されたり、役目を解かれたりするくらいなら、死ぬとまで言い出した。


 宰相がルベウスに同情し始めたのを敏感に察して、宰相までも敵視した目で見るほどだった。

 ただの侍女に関わらず、いい度胸である。


 こうなると宰相もお手上げだった。二人には自分には与り知らぬ深い絆があるようだと、前置きしたうえで。『どちらがディアナ様の夫か分かりませんな』と、悪意もなしにぼやいて、無自覚にルベウスの心を抉った。


 それでも、ルベウスはディアナが選んだ夫であると重ねて説得してくれたおかげで、侍女は夜は引き下がる事をしぶしぶ承諾した。


 だから、ルベウスは仕事が早く終わって夕方に時間があくと、最悪である。


 王宮内をうろついても皆の仕事の邪魔になるだろうし、気も休まらない。私室にいれば、自己嫌悪に陥るばかりである。いつしか、ふらふらと庭を歩き回るようになった。


 そんな時、ルベウスは一匹の猫に出会った。


 ディアナの髪とそっくりの黒い毛を持ち、瞳の色も同じく、サファイアの色と同じ青だった。

 今の自分は、ディアナからすれば、さぞ無様に見えるだろう。落胆しているかもしれない。見つめているうちに胸が苦しくなって、眉の間がぎゅっと狭まる。


 すると、自分を見返してきた猫が、驚いたような目をしているのに気づいた。陰鬱な気配を察して、妻とそっくりの猫までも逃げて去っていってしまいそうな気がした。


 それは苦痛でしかなく、ルベウスは出来る限り優しい声で、猫に声をかけた――――。


 ルベウスは寝息をたてて、穏やかに眠る猫を見つめ、微笑んだ。彼女の身体は相変わらず『仮死状態』で、なぜその魂が『猫』になっているのか、理由は定かではない。


 ディアナが危篤状態に陥ってから、何やら挙動不審だったという魔術師達を締め上げる、と心に決めつつも、まずディアナに告げた。


「⋯⋯すまなかった」


 今度は、彼女と向き合おう。

 なんとしても、元に戻って貰わなければならない。国を導くのは己では無い――――ディアナだ。


 孤高の女王に夫として選ばれた事が、ルベウスは今、とても誇らしく思えた。

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