人間型兵器彼女との約束
警報を見逃していた。
町に人間は一人もいない。皆、既にそれぞれのシェルターに避難済みだ。俺だけがアホの子のように、久しぶりに外へ出たついでに平和な川の流れなんかをのんびり眺めていた。
その間に携帯アラームは激しく点滅を繰り返していた。うっかりマナーモードにしていたので気がつかなかった。
ビルの壁面が赤く染まりはじめた。やがてそれが黒い影に覆われる。やつらがやってくる前兆だ。
空を見ると、既に姿を現していた。草原を駆けるように、禍々しい色をしたオオカミどもが、細くてしかし逞しい四肢を動かして空を蹴り、獰猛な緑色の目を光らせながら、獲物を探しはじめている。
隠れることはできない。やつらの目に埋め込まれたセンサーは、生体反応を嗅ぎ取る。建物の陰に身を隠したぐらいじゃ簡単に見つかってしまう。
地下深くのシェルターに逃げるしかないんだ。案の定、俺を見つけたオオカミどもが隊列など何もない荒々しさで、こちらめがけて空から押し寄せてきた。
「助けて……!」
俺にできることは、もはや女神に祈ることだけだった。
「助けて……! アーリン!」
走りながらそう叫ぶと、まるで俺の声に答えるように、彼女は現れた。
少し離れた上空に銀色の光が生まれたかと思うと、押し寄せるオオカミどもを防ぐ壁のように、華奢なその後ろ姿が、突如として出現する。
長い銀色の髪が風で横に揺れた。
オオカミどもはたじろぎもしない。音もなく、しかし激しく大地を蹴るような動きで、視界に捕らえた彼女に緑色の視線を集中させる。
オオカミどもの目が、一斉に強く光った。
そこから照射される光線はコンクリートの壁に一瞬にして穴を穿つ。人間の体など豆腐のように破壊してしまう。
「アーリン!」
無礼にも俺は彼女を心配してしまった。
彼女の銀色のメカニカル・ボディーが光を纏うのを見て、すぐに自分の愚かさを思い知る。彼女はシルバー・アーリン。オオカミ退治のエキスパートなのだ。
銀色の粒子弾が、彼女の流線型のボディーを取り巻く渦のように沸き起こり、四方八方へ飛び散ったかと思った時には、もうオオカミの群れは空からかき消えていた。
仕事を終えると彼女は何も言わずにすぐ帰っていく。どこへかは知らない。いつもそうだ。オオカミを退治する彼女しか誰も見たことはない。どこからやって来るのかも誰も知らず、会話をした者がいるとも聞いたことがない。
ただ彼女は人間を守り、オオカミを狩る。
人間なのか、ロボットなのか、あるいは宇宙人なのか──それさえも知る者はなかった。
ありがとうの言葉を俺が言う暇も与えず帰りかけるアーリンが、ぴくりとその肩を動かし、俺のほうを振り返った。
かなり遠くに彼女の美しい顔が見えた。俺を見ているのだろうか? と思ったが、すぐにその理由がわかった。
俺のすぐ横にあるビルの陰に一匹、オオカミがいた。
禍々しい色をした猛牛のような躯を、俺のほうから空中のアーリンへ、瞬時に翻すと、緑色の巨大なカタツムリのようなその目から、光を吐いた。
俺がそれを見たのとオオカミが銀色の粒子弾に消されたのが同時だった。しかし空中のアーリンも撃ち落とされていた。緑色の半円の穴を腰に穿たれて、銀色の長い髪を悲痛に揺らしながら落ちていった。
「アーリン!」
俺は駆けた。
彼女が墜落した地点をめがけて。
「アーリン!」
瓦礫の転がる車道を、平坦地を縫って、ビルの谷間へ。
裂けたアスファルトの上に彼女は静かに横たわっていた。
俺のシェルターは二人用だ。
以前はここに二人で避難していた。
妻とは結婚したばかりで、これから楽しい思い出をたくさん作っていこうとしていたところだった。
アーリンの身体は驚くほどに軽かった。まるで羽毛でも抱いているようだ。
薄暗い階段を彼女を抱えて下り、簡易ベッドの上に寝かせると、俺はうろたえた。ここへ運び、どう治療するつもりだったのだろう。
しかし心配はいらなかった。寝かせたベッドの上で、姿勢よく目を閉じている彼女のえぐれていた脇腹が、白い煙をあげて自己修復しはじめているのを見て、俺はほっとため息をついた。
彼女が意識を取り戻すのを待ちながら、彼女の姿を観察した。
いつも遠く空の上にしか見たことのなかったシルバー・アーリンが、自分のベッドの上に寝ているのが不思議な気分だった。
27歳ぐらいに見える。透き通るような美人だ。髪の毛も眉毛も輝くほどの銀色なのがとてもよく似合っている。
身体はすべて何かの軽合金でできているようだった。鳩尾から臍の下までは菱形に透き通っていて、その中には臓器も骨も何もないのがわかる。その代わりというように、銀色の何かの光が、中で炎のようにずっと揺らめいている。
オオカミがどこからやって来ていて、何を目的に地球を攻撃しているのかを誰も知らないように、シルバー・アーリンがどこからやって来るのかを知る者もいない。
人間の味方ではあるようだが、もしかしたら単にオオカミを駆除するようプログラムされているだけのロボットなのかもしれない。人間のことも、今まで攻撃したことがないだけで、今、目を覚まして俺を見たら、突然攻撃してくるのかも……
なんてことは、とても考えられなかった。
目の前で眠る彼女は、優しい顔つきをしていた。何よりボディーは軽合金でも、その姿は人間そっくりに作られている。
誰が造ったのかは知らないが、人間を守るための対オオカミ用人間型兵器なのだと思えた。
約半年前、シルバー・アーリンは突然現れた。
それまでオオカミ相手にシェルターに逃げるしか術のなかった人類に希望を与えてくれた。
ただ、もう少し早かったら……
妻がオオカミに豆腐のように殺された、あの8ヶ月前に、彼女がいてくれたら……
そんなことをつい思ってしまった自分を俺はたしなめた。
彼女のせいではないのだ、妻が死んだのは。憎むべきはオオカミだ。彼女はそれを敵としている。それでいいではないか。
アーリンが、ゆっくりと目を開けた。
「アーリン……」
俺は誰がつけたか知らないその名を呼んだ。
「気分はどう?」
ゆっくりと俺のほうを振り向いた。青いその目で俺をじっと見る。大人の女性を模したその造形に似合わない、なんだか無垢な子供のような表情だった。
「わたし……やられちゃったの?」
幼児がパパに聞くように、そう言った。
「仕方がないよ。あれは不意討ちだった。オオカミのやつ、卑怯な真似を……」
俺が弁護するようにそう言うのを、意味がわかってないような顔をしながら聞いている。
「コーヒー……淹れようか?」
彼女が何も喋らないので、間をもたせるのに困って俺は聞いた。
「コーヒー……とか……飲むのかな?」
「なんにもわかんないのです」
無表情に彼女は言った。
「ただ約束をおぼえているだけなの」
とりあえずコーヒーを2つ淹れながら、俺はドキドキしていた。
彼女とは会話ができることがわかった。以前から彼女と会話をしてみたかった。
ベッドに身体を起こした彼女は輝いていた。比喩じゃなく、ほんとうに身体の中から銀色に輝いている。
「約束って、誰と?」
彼女にコーヒーを渡しながら、聞いた。
「君を造った博士とか?」
約束とはプログラムのことだろうか? という気がしたのでそう聞いた。オオカミを滅ぼせというプログラム。それのことだろうかと思ったのだ。
すると彼女は答えた。
「オオカミがいなくなったら、一緒に海を見にいこうって」
コーヒーをこぼしてしまった。
それは生前、妻と俺がした約束と同じだった。
しかしそんなわけはない。妻は、俺の目の前で、思い出したくもない姿になって、死んだのだ。きっとアーリンは俺とは違う誰かと、そんな約束をしたのだ。その約束を叶えるためにオオカミと戦っているのだろう。
「君は……何者なの?」
誰もが知りたいことを、人類を代表して俺は聞いていた。
「なぜ人間を守ってくれるの? アーリン、君は……どこから来たんだい?」
コーヒーの揺れる表面を珍しそうにじっと見つめながらアーリンは、俺の質問に質問で返した。
「わたしの名前はアーリンなの?」
「あ……、ごめん。誰もがそう呼んでるから……つい。誰がつけた名前なのかは知らないけど、人間たちはみんな君をそう呼んでる」
「わたしの名前はアーリンなの」
そう言いながらこっちを向くと、無表情な顔に初めて微かな笑いを花開かせた。
「わたしの名前はアーリンなの」
「嬉しいの?」
「ウン」
「名前、なかったの?」
「ウン」
少女のようにうなずきながら、アーリンはコーヒーの表面を揺らして遊ぶ。すっかり仲良くなれた気がして、俺も顔を綻ばせた。
やはりどこか死んだ妻に似ていると思ってしまう。年齢も、背丈も、同じぐらいだ。しかし顔はまったく違うし、プロポーションも妻はこんなに見事な流線型はしていなかった。何よりアーリンはどう見ても人間ではないというのに、どうしても俺は彼女に妻の面影を求めてしまっていた。
「さっき言ってた約束だけど……誰としたの?」
俺は軽い気持ちでそう聞いた。
しかしそれを聞かれたアーリンが笑顔を消した。コーヒーの表面をガクガクと波打たせて、苦しそうな表情になる。
「あ……。ごめん。言いたくなければ……」
「あなたは?」
突然こっちにまた質問を返され、俺は意味がわからずにたじろいだ。
「俺が……何?」
「あなたは、誰?」
「あ、自己紹介がまだだったね。俺の名前は……」
「ミア?」
アーリンの口からその名前が出て、俺は言葉を失った。
なぜ、アーリンが、妻の名前を知っているのかと、頭の中が真っ白になった。
「なぜ……その名前を……」
「ミアと約束したの?」
「そうだ。俺は……ミアと、オオカミがいなくなったら一緒に海を見にいこうって……」
するとアーリンはコーヒーをテーブルに置き、立ち上がると、にっこりと笑い、言った。
「ありがとう」
「ミア……なのか?」
涙が勝手に溢れてきて、止まらなくなった。
「君は……ミアの生まれ変わり?」
すると彼女の顔からまた微笑みが消えた。ロボットのような無表情に戻ると、無機質な声で喋りはじめる。
「わたしは、対自動殺戮兵器用迎撃装置。人類を守るため、とある科学組織より遣わされた戦闘生命体。使命はオオカミより地球を守り、地上に平和をもたらすこと。わたしは一体だけではなく、世界中に何体ものわたしが存在し、それぞれに戦っている。わたしは使命を果たさなければならない」
「待ってくれ!」
そのままシェルターを出ていこうとする彼女の背中を、俺は呼び止めた。
「もう一度……約束してくれ!」
不思議がる幼児のような表情で振り向いた彼女に、願いを口にした。
「この戦争が終わったら……俺と一緒に海を見にいってくれないか? そして……それまで、絶対に死なないでくれ。俺も……できる限りのことをする! 今まで逃げてばかりだったが、そのつもりだ!」
するとアーリンはにっこりと笑い、こう言ったのだった。
「わかったわ、タカシ」
妻が死んでから離れていた職場へ、翌日から俺は戻った。
対自動殺戮兵器『オオカミ』防衛本部。俺はそこの技術者だった。
妻を失ったことで俺の中に生まれたのはオオカミへの復讐心ではなく、己の無力さに対する絶望だった。
何をしても無駄だ。オオカミには勝てない。そして妻との約束は叶わない。そんな思いに打ちひしがれていた。それで研究の仕事を辞めてしまっていた。
「大神タカシ、戻りました!」
勢いよく扉を開けてそう言うと、研究室のみんなが振り返った。
「大神くん!」
「よかった……。立ち直ったのね?」
「きっと戻ってくると信じていたよ……。お帰り!」
仲間たちの目は希望に燃えていた。妻を失う前の俺のように。
「シルバー・アーリンだけに任してはおけない!」
俺は白衣をひっかけながら、大きな声で言った。
「必ずや、あの憎きオオカミどもを地球から追い払い、我々自身の手で平和を取り戻すのです!」
そして海を見にいくんだ。
彼女が、約束してくれたから──