河川敷に咲いた一輪の花へ
昨日の雨から一転、翳りのない空は容赦なく日光を降り注ぎ、川面は次第に穏やかな歩調を取り戻しているようです。ところどころ黒く滲んだアスファルトに支えられた橋の上を数多の人や車が行き交い、その度に轟々と音を立てております。
高架下に潜ると幼い三日月湖のような小さな水たまりが風に揺らされながら、しかし流れを持たずただ前後左右に揺れ動き、その波面に蚊柱が白く立っております。川面から遠く、人工の草が生え茂る一帯のうちにカエルが鳴いて共鳴するように同じく人工の街路樹で蝉が囃し立てております。
あなたはその中心、形の様々な石ころがままに眠るこの河川敷で湿った空気に揺らされながら、薄い霧に輪郭を溶かす月の光を受け、凛と咲きながら、一体どのようなことを考えているのでしょう?
人工物が形作る整った一帯にいて、あなたや足元の石ころだけが自然の様相を保っているようにも見えます。
私はいつの日か、あなたのような花になりたいと申し上げました。『茎や根元のことなんか忘れて、我が物顔で咲き誇りたい』と。強かに月夜を見上げるその輪郭をこの目に入れ、私は改めてあなたのようになりたいと切望しております。その思いは決して変わっていませんが、それでも心のうちに小さな変化が起こり始めております。
それはあなたへの軽蔑であります。かつて私の心を奪ったのは、その傲慢さにありました。人は皆傲慢な生き物であります。自らの存在が他人や他生物の心持ちないしその存在に寄与し、時に悲しませ、時に喜ばせ、つまりは自らが他生物の心のうち意識や存在といったものを掌握出来るのだと思っているのであります。この甚だ傲慢な自己意識は人類の間で罷り通っており、自尊意識の低いために憂鬱を引き起こすような者でも些細な拍子にこの思考法から自らを悪と看做すことがしばしばあるのです。かく言う私もまた、愛人の涙に触れ、私の所為であると、誰に言われるまでもなく思ってしまうのでありました。
私があなたを尊敬するのは、あなたがそういった次元の遙か上、主体や客体の区別を持たない在るが儘の自然に立ち咲き誇っているという自分勝手な妄想のためでありました。そこには本来あなたを形成しているはずの根元やそこに含まれる栄養素などを無視し、大義そうで太々しく、自らの身体の一部すらも鳥や虫の喧騒と同一視しているという私の考えが含まれております。
しかしあなたの立ち姿は、まるで自分だけが本来としての自然であり、周囲の環境は全て人の手によって整備される管理された自然であるとでも言いたげではありませんか。私はやはり自分勝手なもので、一方的に抱いた幻想を一方的に解き、美しい花弁の重なりや艶やかな葉や華やかな茎の曲線に目見え、その異常と言える美しさに失望しているのであります。まるで野生から離れているような華美の様子は、コンクリートに形成された河川の流れ、青々とした健康意識から植えられた草花や木々と相対してより一層磨きをかけたようであります。とどのつまりあなたの絶対的な自然性はあくまで周囲が人工物であるが故のものであり、そこには二元性が混入しているもので最早絶対ではありません。あなたは茎や葉や根や穏やかな川面やけたたましく鳴く生物たちを喧騒として歯牙にもかけていない風を装っておりながら、実際のところ彼らのために健全な美を維持し、それを自覚した上で自然性を誇っているのです。そこにはかつて私を支配した不遜でありながら崇高な美しさの入る余地は御座いません。
同時に私はこうも思いました。あなた自身自然なものではないと。
川が人工なら海が人工であるはずで、草原や街路樹が人工であるなら虫や鳥が人工であるはずで、さらにはあなたの足元に転がる角の取れた石ころたちもやはり人工物であるはずなのです。つまりはあなたを産んだ粉々もあなたを育てた水も大地の恵みも高慢な生物の介入に支えられたものなのであります。
さて、あなたはこの手紙を読みどのように感ぜられているのでしょうか?
自分こそが唯一にして絶対の存在であると自負しながら、そうして煌びやかさを放っていたこの数ヶ月間、あなたは生産主義的で傲慢な生物によってもたらされた安全で不健全な世界に取り込まれていたのであります。最早あなたの生死を司るのは神ではなく、同じく呼吸をしていずれ風化し死んでいく愚かな人類なのです。
あなたはこの恥辱に耐え切れず、無為自然の頃より授けられた性質として血液を頭に集約させるでしょう。しかしその役割を支えるのは茎であり根であり、あなたの艶とはかけ離れていたはずの取り巻きなのです。そして血液は茎や何かよりも一層愚鈍な生物の営みによって作られているのであります。
さて、この生き地獄をあなたはどう乗り切るのでしょうか?爛々として咲けば咲くほどあなたは忌み嫌い軽蔑してきた者たちに取り込まれるのであります。死にゆくにしてもあなたは唯ひとり全ての営みから外れることはもう叶わないのです。その為の足を、あなたは営みの一部として捉えてしまっているのですから。
それでもきっと咲くことをやめない厚顔無恥な自尊心に最大の敬意を抱いて。