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愛するあなたへ

 定期的に訪れる憂鬱の病気を短縮させた君の光。それでも私は君を理由に死にたいと心の奥底から願ってしまうような弱い男で、しかし君のために死ぬことを考えることは無くなっていった。

 たった1ヶ月と二週間の間に十数回も会って唇で体温を分け合い、指を絡めて暮れなずむ街を闊歩し、暗がりの中で柔らかな髪から香るヘアオイルの匂いを繰り返し確認しましたね。その中で交わした抱擁と相対して一線を越えることはなく、代わりに胸に秘めてきた家庭問題や犯罪歴を打ち解け、その度に深まる恋情は浮き草に根を生えさせ、私は1人でも生きていける足を我が物にしました。

 私はあなたに何かしてあげられましたか?あなたの中に私は明晰たる居場所を獲得していますか?

 あなたの言葉に触れ、私は世界に顔向けし、文章の中に籠ることはなくなりました。日に日に強くなる胸の思いをあなたと分け合うために、あなたの好きなメゾンマルジェラの香水をつけて、眉にピアスを開けて、キスのたびにそれが触れ合うことに胸を昂らせていました。

 あなたが私の口癖を真似し、上目遣いで微笑むその笑顔、しなやかな背中、私より一回りも小さな手のひら、それら全ては未だに私の中で燃えています。

 きっと、私は何もしてあげられていませんね。

 私ばかりがあなたに救われ安堵していたこと、雰囲気を明るくするためあなただけが必死に話し続けていたこと、私は自分が憎くて堪りません。


 健康が売りのあなたが高熱にうなされ、処方された鎮痛剤や睡眠導入剤に魅せられて、私に頼ることもなくひとりで全てを決めてしまったのを知ったとき、私は久しぶりに嘔吐しました。あなたの所為ではありません。私はそんなあなたに、私の死因を与えられたような気がして、あなたを思うと悲しくてたまらないのにそれでもひとひらの涙も零れず、そんな自分に嘔吐したのです。あなたに会えず向かったアルバイト先での仕事が存外上手くこなせてしまうこと。それが私の最大の短所で、死に至らしめる所以です。

 あなたは確かに活力を与えてくれました。

 私もそれに応えようと必死に思いを伝えました。かっこつけることなんか忘れて、ただただ真っ直ぐに言葉をあなたに伝え続けました。

 あなたが好きな黒髪で、ストライプのシャツを羽織って、夜には気温が下がることを鑑みてあなたに着させるパーカーを着て会いに行きました。今では私もあなたのように男梅サワーが大好きになりました。飽きられないように時にディオールの香水をつけて、背伸びした焼肉屋に誘いもしましたね。

 付き合った日のことを覚えていますか?

 憂鬱に嗚咽する私のため、終電で会いにきて、思いをままに吐き出し、深夜のコンビニエンスストアで買ったカップラーメンと缶コーヒー、その後微睡むあなたと体重を寄せ合い、紫色に浮かぶ雲を見ながら告白しました。告白を聞いたあなたは子犬のように跳ね起き、三周したあと私の隣に座って左手を掴むや否や「離さない」と言って笑っていましたね。

 この約束はもう時効なのですか?

 離さないでください。地の底でも遙か天空でも私を連れて行ってください。

 私とあなたは生まれた星が違うと、いつの日か痛感いたしました。そして今日になってそれが紛れもなく真実であることを私は思い知りました。酸素がなくても構わない。私はあなたの星まで会いに行きます。簡単な道でなくとも走る足が私にはついています。あなたがくれたものです。あなたの逃避行はあなただけのものではありませんよ。太腿が捩れ千切れても、私はあなたに追いつき手を取り合って逃避行を完遂させます。マップなんか必要ありません。私には逃避行に繰り返し挑み失敗を重ねる中で身につけた経験があります。私を信じ身を委ねてください。あなたはどこまで行ってもひとりではありません。私がいるのですから。

 しかし、本当に情けないことです。死にたいと願い、あなたに会い活力を得てもやはりあなたを理由に死ねたならばと考えてしまうような私だったのに、いざその場面に遭遇して私は死にたくないと思ってしまっております。

 あなたは確かに死ぬ理由を与えてくれました。それが暗闇に唯一輝く光です。しかし、知っていますか?暗闇のどん底にいて、周囲を壁が囲み、その壁の薄いためにわずかな光が漏れ入り、次第に慣れた眼はものの輪郭を写し始めます。しかしそこに強い一線の光が差し込むと、とうとう眼は闇に慣れず、暗闇は一層暗くなることを。それこそ発狂するには十分すぎるほどに。愛想笑いできてしまう私を、私はどうやって殺せばいいのですか?

 どうかもう一度会えるのなら、どんなに痩せ細り毛髪の脂が欠け不精に絡まっている状態でも構いません。話すことが叶わなくても、肌に温もりさえあれば私は涙に溺れるほど喜び、君を愛します。だからどうかその小さな手や耳を私にください。死にたくてたまらないのなら一緒に旅に出ましょう。片道切符の旅路を詩に書いて、最期は雨に看取られながら永遠に愛を語らい合いましょう。

 繰り返し用いたせいで色褪せた言葉でも、他に然るべきものがないのでやむを得ませんね。私はあなたを愛しています。

 もし来世でも会うことができるのなら、私の小さな心臓をあなたに、あなたの強い心臓を私のものにして、もう一度ふたりで愛し合いたいと心の奥底から願っております。

 弱い私をどうか許してくださいませ。愛してくれたあなたの今後が素晴らしいことを祈っております。

 本当にありがとう。

 人は必ず死ぬ。少なくとも身体と心は死ぬ。その果てに何が残るのか、あるいは残らないのか。存在だけがふわふわと揺蕩うのであれば、私は未だ生きよう。果たせぬ夢を、それでも思い描こう。君のもとへと赴き、ともすれば同化できるかもしれない、そのための手段は手中にある。

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