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鏡の中

作者: 村崎羯諦
掲載日:2022/11/04

「私が発明したこの技術によって、我々はついに、鏡の中に映ったものをこちら側の世界に持ってくることが可能となったのです」


 集まった報道陣の前。鏡の前に立つユーマ博士はそう言うと、助手から受け取ったリンゴを鏡の前に掲げた。鏡にはもちろん、ユーマ博士が持つリンゴが映っている。


 しかし、ユーマ博士が黒いグローブを嵌めた手を鏡へ近づけると、博士の手は鏡の中へと潜り込んでいき、鏡の中のリンゴを勢い掴んだ。そのままえいやっと手を引き戻すと、ユーマ博士の右手には鏡の中に映っていたはずのリンゴが握られており、そして鏡の中には、先ほどまで存在していたはずのリンゴが消えて無くなってしまっていた。


「もちろん今の技術では、手で掴める程度の小さなものしかこちらの世界へ持ってくることはできません。ですが、今後の研究次第では、より大きなものを、鏡の向こうからこちらの世界へ持ってくることが可能になるでしょう」


 ユーマ博士の解説を遮るように、興奮した記者の一人が質問を飛ばす。


「博士! 現時点ではまだ無理だとしても、例えば生き物……さらに言えば、鏡の中に映った自分自身もこちらの世界に持ってくることが可能なんでしょうか?」


 ユーマ博士は記者の方へと顔を向け、待ってましたと言わんばかりの不敵な笑みを浮かべる。それから、もちろん理論上は可能ですとだけ答えた。博士の言葉に会場内にざわめきが起こり、会場全体がカメラのフラッシュで眩くなるのだった。


 鏡に映っている物体を取り出す技術。この技術は全世界に衝撃を与え、各国の天才科学者がこの分野の研究へと参入していった。発表時点では手で掴める程度の小さなものに限定されていた対象はどんどん広がって行き、装置の量産化も並行して進められた。自分の好きなものを鏡にうつし、そして鏡の向こう側にある物体をこちら側へと持ってくる。それはつまり、あらゆるものが単純に二倍になるということ。金や宝石といった高価なものから、ハンガーやボールペンといった日常用品に至るまで、様々なものが鏡に映され、そして鏡の中からこちらの世界へ引っ張り出された。革新的なこの技術は世間から熱狂的に受け入れられ、その熱がさらに、この分野の研究を加速させていった。


 そして、ユーマ博士の発表から数年後。世界各国のメディアを集めた記者会見が再び開かれることになった。会見の場には、この分野の先駆者であるユーマ博士を筆頭に、名だたる天才科学者が勢揃いしており、誰もが世紀の大実験を前にそわそわしているのがわかった。会見が始まり、ユーマ博士がこれから行う公開実験の内容を説明する。その説明と並行して、ユーマ博士の後ろに等身大の鏡台が設置される。鏡の中にはもちろん、今まさに記者を前に説明を行うユーマ博士とは別に、もう一人のユーマ博士が映っていた。


 ユーマ博士が大袈裟に胸の前に手を置き、深呼吸をする。それから共同研究者へ合図を送る。重たい機械音が会場内に響き渡り、巨大なロボットアームが鏡に映るユーマ博士の鏡像へ向かっていく。アームが鏡の中のユーマ博士を掴む。そして、息を着く間も無く、鏡に映っていたユーマ博士が、こちらの世界へと引きずり出された。驚きのあまり息を飲む会場。それでもユーマ博士は落ち着き払った表情で鏡の前で倒れたもう一人の自分へ手を差し伸ばした。もう一人のユーマ博士は辺りをキョロキョロ見渡し、一体何が起きているのかまったく理解できていない様子だった。それでもユーマ博士が無理やり彼を立ち上がらせ、熱い抱擁を交わすと、会場内に、ユーマ博士を含む研究者たちへの賞賛の拍手が沸き起こるのだった。


 ついに人間さえも鏡の向こうから引っ張り出すことが可能になった結果、鏡の向こうに存在するありとあらゆるものがこちらの世界へと持ち込まれるようになった。自分が二人いるのは気味が悪いと考える人が少なからずいる一方で、これは便利と、鏡の向こうにいる自分の了解も取らないまま、勝手にこちらの世界へと引き摺り込む人間も少なからずいた。その結果、戸籍制度などに一時混乱が生じたものの、鏡の向こうからあらゆるものを引っ張り出すことができるこの技術への批判は一切起きることはなかった。


 こちらの世界に引っ張り出したものはもう鏡に映らなくなり、鏡の向こうの世界からは、その存在自体がなくなってしまう。つまり、こちら側の人間が鏡の向こうのものを引っ張り出せば出すほど、鏡の向こうの世界からそれだけ物や人がなくなってしまうということになる。世界中の人間が好き勝手に鏡に映ったものを引っ張り出したせいで、鏡の向こうの世界では、インフラが少しずつ崩壊し、荒れ果てていく光景を鏡越しに見ることができた。


 しかし、それもあくまであちら側の世界の話。こちら側の世界に住む人々にとって、鏡の向こうに存在する世界の事情など、どうでもよかった。人々は自分達の欲望のままに鏡の向こうの物質を引っ張り出し、物質的な豊かさを享受するのだった。


 そんなある日のこと。とある地域から、鏡に関する怪奇事象が報告された。その怪奇現象は、鏡の中が真っ黒になって何も映らなくなっているというものだった。一部の地域でのみ報告されたこの現象は、オカルトチックな現象として世間の関心を集めたものの、それ以上に話題が広がるということはなかった。それでも、報告件数は日に日に多くなっていき、鏡の向こうから物質を取り出す研究を進めていたユーマ博士をはじめとして、調査にあたることになった。しかし、この現象の原因はなかなか突き止めることができずに時間だけが過ぎていく。そうしている間にも、報告の数はどんどん増えて行き、いつしかこの世界に存在する鏡のほとんどが、真っ黒になり、何も映らなくなっていた。


「原因がわかりました! 鏡が真っ黒になる直前の瞬間を偶然カメラが捉えていたんですが、そこに鏡の向こうの人間が意図的に鏡を破壊している姿が映っていました。これはあくまで推測なのですが……鏡を通して、こちらの世界にありとあらゆる物質を引き摺り込んだことに対する報復だと思われます!」


 ユーマ博士を初め、企業の取締役や政府高官が集まった会議。息を切らしてそこへ飛び込んできた若手研究者が、まくしたてるようにそう報告した。その報告を聞いた企業の取締役や政府高官は、安堵のため息を漏らす。


「なんだ、そういうことだったのか。鏡がなくなってしまうと、あちらから物質を取り出すことができなくなってしまうが、これ以上あちらの世界から引っ張ってくるものはないからな。別に鏡がなくなっても問題ないんじゃないかね?」

「ええ、私もそう思います。数ヶ月前に鏡の向こうの世界をちらりと見たことがあるんですが、あちらの世界はひどい荒れようで、そりゃあひどいもんでしたよ。もうあちらの世界には何も残っていないでしょうな」


 そう言って政府高官と企業の取締役が笑う中、ユーマ博士を含む研究者は顔面蒼白だった。どうしたんだ、そんな深刻な表情をして。政府高官から話しかけられたユーマ博士が怒鳴り声にも近い声で返事をする。


「あなたたちはなんでそんな悠長に構えているんですか!? これは……とんでもない事態ですよ!!」


 ユーマ博士の言葉に会議に集まった人々が不思議そうに互いに顔を見合わせた。


「とんでもない事態って……どういうことかね?」

「いいですか!? 鏡を間に挟んで二つの世界が独立して存在するわけではないんです。現実世界があり、そして鏡にその世界が移ることによって初めて鏡の向こうに世界が存在しうる。つまり、鏡があって初めて、現実世界と対になるもう一つの世界が成立し、逆に鏡がなければ、対となるもう一つの世界は存在自体が消えて無くなってしまうんです!」


 その言葉を聞いた瞬間、会議室に集まった人々が、ようやく事の重大さに気がつく。ユーマ博士はぐるりと周りを見渡した後で、恐怖と興奮でうわずった声で言葉を続けた。


「そうです! ()()()()()()()()()()()()()()から鏡が一つ残らず消えてしまったら、()()()()()()()()()()()()も消えてなくなってしまうんです!! 今すぐにあちらの世界とコンタクトを取り、鏡をなくしてしまうことを止め────────

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