7話
読んでいただきありがとうございます。
「黒の一族は、クロハ殿から見てもわかる通り、異形をしております」
「異形だなんて、そんな――」
「……そんな事を思ってくださるのはクロハ殿だけですよ。ワタシも、普通の人を見たのはクロハ殿で二人目ですし。ワタシの棘ヒレしかり、ガロン殿の歪曲した角しかり。我々黒の一族には、体に異形があるのです。しかし、これは先天性のモノではなく、黒の瘴気によって齎される、つまりは後天性のモノなのです」
この村にいる人達は皆、体の何処かに鱗や角、ミドウのようなヒレ、中には植物が生えている人も居た。
しかし、井戸で見た女性のように、変質化を体の一部としてお洒落をする様子や、子供達の無邪気でハツラツした様子を見た以上、それもまた個性だとしか思えなかった。
「後天性のモノとは言えクロハ殿。何か疑問はありませんか?」
「疑問?」
そう問いかけられ、思わず考え込んでしまう。
ミドウの話しっぷりは見事で、まるで一つの講義を聞いているかのように思えてくる。
「そう言えば、黒の瘴気は確か、致死性なんじゃ……?」
「そう、その通りです。黒の瘴気を吸い込んでしまえば、たちまち体に異変が生じます。一分も吸えば全身を突くような激しい痛みと共に呼吸困難、意識が朦朧とします。二分も経てば異形と化し、三分経てば魔物に堕ちる事でしょう。それは人にとっての死を意味します。しかし、黒の一族は生きている。これは黒の瘴気を克服したのではなく、瘴気に対抗する手段を手に入れたからです」
「対抗する、手段?」
「そう、それが『王墓』なのです」
『王墓』については以前に軽く聞いたばかりだ。
「でも、今『王墓』は確か……」
「そう、機能を停止しているのです。我々黒の一族は瘴気に対してある程度の免疫はあります。しかし『王墓』が機能を停止している今、黒の瘴気がこの村を飲み込んでしまうのは時間の問題なのです。――そこで!リューネの問題に繋がってくるのです」
「『王墓』が、リューネの悩み、なのか?それはリューネだけが抱える事じゃなく、この村全体の問題じゃあ無いのか?」
この村の行く末を左右する、なんて大きな問題をリューネが背負っているという事なのか?彼女たった一人が?
あの華奢な体で、リューネはそんな理不尽で重い荷物を背負わされていると言うのか。
「……話を戻しましょう。リューネの問題は、我々と異なると言う事なのです。リューネと我々が異なる存在と言うのは、分かりますか?」
リューネと、ミドウ達が違う……?
異形化、という事なのだろうか。と言っても、彼女も首元には鱗が見えていたし、その線は無いだろう。
全くと言っていいほど見当がつかない。
「リューネは異形化がほとんどありません。それは良い事とは別に、悪い事でもありました」
「っ!?どういう事だ……?」
確かに、リューネの異形化は首や脚にしか見られない。
異形化が無いことが悪い事?
この村から八分にされてしまうという事なのか?
しかし、昨日の様子からして彼女は村の皆との仲は良好のようにも見えた。
考えれば考える程、分からなくなってしまう。
「異形化のほとんど無い状態。この村でそれは、言い換えれば『王墓』の『贄』に選ばれた、という事なのです」
「『贄』っ!?そんな馬鹿な話がっ!」
「これは事実です。『贄』を捧げることで、我々黒の一族は村を守ってきたのですから」
思わず立ち上がりそうになり、膝に居たニーアが飛び起きてしまう。
無理やり起こされたせいか、お怒りのニーアは僕の手首をカジカジと歯を立てて噛み付いてくるが、僕はミドウの話に驚いてそれどころでは無かった。
贄、生贄という事だろう。
信じられない。信じ難いが、彼がこんな状況で冗談を口にするはずもなく、ミドウの語る歴史が真実だと彼の目を見ればすぐに分かった。
ならば、リューネは生贄にされる事が分かって今を生きているという事か?ならば昨日の態度はどういう事だろうか。
あんなものを見せられて、はいそうですか。と見殺しにできるわけが無い。
「ワタシも、信じたくありませんでした。しかし、実際に『王墓』は機能を停止し、黒の瘴気は範囲を狭めつつあります。こうなった以上、強者を生かすために……弱きリューネを……」
口にするのも辛いのか、ミドウの言葉は段々と弱くなっていく。
辛いのは当然か。僕よりもずっと長く過ごしてきたに違いないはずだ。そんな彼女を、見捨てるわけなのだから。
「ミドウ、リューネは、弱くなんてない」
だからこそ、ミドウの口振りに否定をしたくなった。
辛い運命が待っていることを知っていながら、リューネは僕の命を繋いでくれた。悲しそうに、今思えば、悔しさも滲ませていたであろう夢を語る少女の姿は、今も目を閉じれば思い出せる。
「知っておりますとも。リューネは強い子だ。けれど、この過酷な村の中では、異形化を果たせなかった者は生きてはいけないのです。異形化に伴い、我々黒の一族には特別な力が宿るのです。それがないリューネは、この瘴気に囲まれた世界では……」
「特別な、力……?」
「まだ教えていませんでしたね。黒の瘴気を克服しますと、特別な力が目覚めるのです。最も多いのがテレパス、念話でしょうか。ちなみにワタシは、人の嘘を見抜くことが出来ます。この里では、子ども達を叱る時くらいにしか役に立ちませんがね」
その言葉に、これまでのミドウの振る舞いに納得がいった。
「それじゃあ、ガロンも何か特別な力が?」
「ガロン殿はあの恵まれた体躯に加え、魔力を扱う事が出来るのです。この村では最強と言えるでしょうね」
「……それが、リューネには無い、のか?」
「えぇ、彼女は何も持っておりません。このまま『王墓』が復活せず、黒の瘴気に飲まれてしまえば、再び『王墓』を探す旅が始まります。我々のように、力に目覚めていれば黒の瘴気にはある程度耐性があるものの、力の持たないリューネはすぐに瘴気に飲み込まれ、魔物に堕ちてしまう。ならば、だからこそ……」
弱肉強食。
言葉は違えど、まるでリューネを犠牲にするための言い訳を並べているようにしか思えなかった。
分かっている。ミドウも、心からリューネを犠牲にしたいと考えているわけではないという事を。
それでも、リューネを犠牲にする事を受け入れているミドウに、腹が立って仕方がなかった。
「怒っているのは分かります。リューネの事を想って言って下さるのは分かります。長にのみ伝わるこの口伝、これを聞かされた時、ワタシも同じ気持ちでしたから。……けれど、この村を守るには、そうするしか無いのですよ。過去にも、贄を捧げて『王墓』を復活させたと伝えられているのですから……」
項垂れたまま、顔を上げることなく、まるで心を読んだかのようにミドウはそう言った。
だが、僕は言わなければならない。
だから僕は、立ち上がるんだ。
僕――が記憶を失ってでもここにいる理由は、きっとそれしかない。
「ミドウ、顔を上げろ」
「……?」
「リューネが弱いから、犠牲にすると、お前はそう言った。恐らくはこの村の誰に聞いても、そう答える事だろう。だが、俺はこう答える」
僕は息を全て吐くと、すぅっ、と大きく息を吸い込んだ。
「リューネは弱くなんてない!強い子だっ!特別な力など無くても、彼女は僕の命を救ってくれた。自分の未来が無いと分かった上で、助けてくれたんだ。夢を悲しそうに語る彼女を見たか?違うだろう!?大人ならば、その夢を諦めさせるんじゃなくて、叶うよう支えるのが使命なはずだ!黒の瘴気だろうと王墓だろうと関係ない。そんなもの、言い訳に過ぎないはずだ!特別な力があるんだろう!その力で、この状況を、未来を切り拓いて見せろよ!それが出来ないなら、リューネ一人に全てを押し付けるんじゃなく、全員で知恵を、力を合わせてみせろ!風習だ、歴史だなんて関係ない。僕は、僕は……、たった一人だろうと、リューネの味方でありたい!」
言い終わり、僕は肩で息をする。
道理も何も通っていないのは分かっている。ワガママだってのも分かっている。それでも、僕は言わなくちゃならなかった。
――犠牲になる事を誰からも認められてしまうなんて、そんなの……、そんなの、つらすぎるじゃないか。
最後まで下を向いていたミドウは勢い良く立ち上がり、僕の胸ぐらを掴んで引き寄せる。
「――っフーッ、フーッ……!余所者が、何を語るか!?」
荒い呼吸を繰り返し、鋭い眼光でこちらを睨み付けてきたが、僕は決して怯まない。
ミドウの八つ当たりのような睨みに僕は絶対に目を逸らしたりしない。
鼻息荒く迫ってきたミドウだったが、僕が引き下がらないのを見ると、掴んでいた手が離れ諦めたように力なく椅子に腰を下ろした。
「……ワタシだって、何度も『王墓』について調べようともしました。けれど、過去の資料など何一つ存在しない。自力で調べるにも限度がある。もう、諦めるのが正しいとしか考えられなくなっていた訳だ……。思考停止とは。研究者として不甲斐ないばかりか、それを気づかせてもらうなんて、研究者失格だろう」
ミドウはそう言って、力なく笑いを零した。
「なら、早速『王墓』について調べよう。僕も協力するから」
打ちひしがれるミドウをよそに、僕は立ち上がる。
今になってニーアに噛まれた所が痛む。少し出血しているじゃないか。そう思い、消毒でもしようかと扉に手をかけたその時、思い出したかのように頭を上げたミドウが慌てて声を上げる。
「あっ、ちょっ、待っ――」
気になりはしたが、消毒もそうだが、少しでも早く行動に移すべきだと考え止まることはなく扉を開けると――
「――ッ!」
なんと、扉を開いたすぐ傍にリューネが口元に手を当てて小さくなっているではないか。
今の会話を扉の外で聞いていたのか、床には涙で水溜まりが出来ているし、リューネの目元は昨日よりも腫れぼったくなっていた。
まさか……。
「ぅ、うわぁーーーーーん!!」
誰かが口を開くよりも早く、リューネは素早く立ち上がり、ふらつきながらも僕に飛び込んできた。
あれだけ流れた涙も枯れることはないのか、むしろ溜め込んでいた堤防が決壊したのか。
とめどなく流れる涙に、リューネ自身も困惑しながら満足するまで泣かせることにした。
「クロハ殿、撫でて上げてください。リューネは、そうされるのが好きでしたから」
「う、うん……」
おいおいと泣き続けるリューネを心配してか、ニーアも肩まで登ってきて、涙を尻尾で拭おうとしている。コイツもまた、優しいよな。
暫く泣いたからか、リューネは泣き疲れてそのまま眠ってしまう。
そっ、と動かし、ベッドに横たえさせる。
「……『王墓』の機能が停止してガロンから『贄』の話を聞かされ、それからというもの、深い眠りは無かったはずです。ゆっくり休ませて上げましょう」
ミドウは落ち着いて椅子に腰掛け、僕もベッドの縁に腰をかけると、相変わらずニーアがひょい、と乗ってきては丸くなる。
今のリューネを見たせいか、ニーアも「私も撫でろ」と言わんばかりに手の平に頭を擦りつけてくるため撫でてやる。
「このまま行動に移りたい所ですが、クロハ殿が村へ出るのはよした方が……」
「それは一体……?」
そう尋ねると、ミドウは僅かに言い淀んで口元をモゴモゴとさせる。
「リューネに関係すること?」
「えぇ、まぁ。ワタシが伝えても、リューネを救う事は諦めないでいただけますか?」
俺は間を空けることなく即答で「もちろんだ」と答えた。
「リューネが今もこうして生きているのは偏に、クロハ殿が居るからです」
「僕が?」
「えぇ。そもそもクロハ殿を見つけた時、あの時は既に『贄』に参る最中だったのです。その途中にリューネが見つけたばかりか、助ける、と言い出した時には様々な意見が飛び交いました。しかし、結局はこうして運んで来て、助けることに成功しました。けれど、リューネはそれが目的だったのです」
「目的?」
「えぇ。クロハ殿が運び込まれた際は非常に重体で、それを診れる程の知識を有している方はワタシかリューネしかいませんでした。それを逆手に、リューネが看病するという事になり……」
「なるほど、僕をダシに、『贄』を延期した、というわけか」
「その通りです。察しが良くて助かります。話を聞く限り、クロハ殿が外に出て、看病の必要も無いと判断されればリューネは次こそ間違いなく『贄』となり果てるに違いない。そう考えたリューネが起こした行動と、我に返り自分の行動を省みた際の罪悪感から出た結果、クロハ殿の前で感情がもみくちゃになって溢れてしまったのでしょう。どうか、リューネを許してやって欲しいのです」
代わり、と言わんばかりにミドウは頭を下げる。
そこで、僕は少し考えが思い浮かんだ。
「――許すも何も、次は僕がそれを逆手に取ろう」
ん
「逆手に、ですか……?あぁ、なるほど。しかし、すぐにバレてしまうと思いますが」
幸いな事に、僕は意識を失って運び込まれた事になっている。一晩も経たずに目が覚めたのは何故か分からないが、これを利用して少なくとも三日は稼げるはずだ。
その間に、出来ることをやるしかない。
「それで、何か策はあるのですか?」
「……あると思う?」
「ははぁ……。では、行き当たりばったり、と。もちろん、ワタシも協力しますからね」
そう言って、ミドウは部屋を後にする。
空いた椅子に腰を下ろし、今後の事を考える。
ガロンの剣を前にした時の衝撃は、間違いなく僕の記憶に関係しているはずだ。
リューネの『贄』を止めるために、再びガロンと相対することになるだろうか。その時のためにも、また気絶する訳にはいかない。少しでも体を慣らしておく必要があるだろう。
外に関してはミドウに一任するしか無い。出られないしね。
ある程度の指針が決まり、ベッドの縁で毛繕いをするニーアに声をかける。
「少し忙しくなるかもな」
「きゅぅ〜」
分かっているのか分かっていないのか、間延びした返事で丸くなるニーア。
リューネが目覚めるまで、僕ももう一眠りしよう。
ニーアと同じようにベッドの縁に頭を付けて、僕は眠りについた。