3話
読んでいただきありがとうございます。
いきなりの事にパニックになってぶっ倒れてから、一週間が経った。
病み上がりに詰め寄る事は、僕の看病をしてくれる少女が禁止命令を出したそうで、角の男とヒレの男の二人は渋々従っているようだった。
余所者の僕に対して、随分寛容と言うか、普通なら格子の着いた牢に放り込むなどの対処が必要だと思うが、そのような事にはならなかった。
僕はお言葉に甘えて体力の回復、そして記憶を思い出すことに時間を費やした。
その間、あの三人が顔を出して、色々な話を聞かせてくれた。
あの三人、一番の大柄な男性は、この黒の一族の村の長を務めているガロンと言うらしい。
黒の一族、と聞いて、薄らと思い出すことがあった。
――この世界には、五人の「色」を冠する王が存在する。
それらが統べる五つの王国によって、この大地は支配されていた。
最も強大な権威と技術を誇る、白の王国。
情熱と戦いに塗れた戦闘国家、赤の王国。
無限の知恵と知識を囲う賢者の巣窟、青の王国。
漲るエネルギーと広大な緑の大地に生きる、緑の王国。
そして、暗澹たる沈黙の魔窟、黒の王国。
この五つの王国は、時に手を取り合い、時に争いながら領土を拡大して行った。
その中でも、最も大きな国である白の王国は、白蓮という宗教により信仰を集めることで大国を維持していた。
しかし、この白蓮が黒の王を害なす者、と定めている事から、白の民は総じて、黒の民に対して差別的な意識を持っている。
思い出した記憶は、ガロンによって裏付けがなされた。
記憶が戻った、と言って集まってもらったは良いものの、自分に関する記憶ですらない事実に、僕を含め三人ともガックリと肩を落とした。
その中でも、ガロンだけは意味合いが違ったように思えた。
ガロンだけはいつ来ても、「白の民の目的は」「何をしにここまで来た」と僕に対して警戒心を剥き出しに迫ってきていた。
体も大きく、お腹の底に響くような低音にドスを効かされると、物怖じしたくなるけれど、ヒートアップし始めた頃に、あの少女が間に入ってくれて難を逃れている。
あの目は、いつ僕を殺しに来るか分からない目だ。
もう一人の、太り気味の腕にヒレの付いた男だが、彼はミドウと名乗った。名乗ったというか、明かされたというか。
彼はいわゆる研究者気質のようで、僕が飲んだあの薬も、彼が解析し、薬だと判明したのだと言う。
僕が白の民だと分かってから、ガロンと同じように白の民に対する憤りはあるそうだが、それは僕に対して晴らすものでは無いと語り、よく出来た人間だなと驚嘆した。
しかし、彼は一度自分の研究について語り出すと、それはもう止まることは無かった。
昼から夕暮れ時まで話に付き合ったのは昨日だったか一昨日だったか。
彼の話していた内容の中でも興味を惹かれたのが、黒の魔法だ。
覚えている限り、僕の使える魔法は三種類。
光源等に引用できる赤の魔法。
自然に干渉できる緑の魔法。
自然の中でも、特に水に強い青の魔法。
白の民であるはずなのに、白の魔法が使えない事にミドウは驚いていたが、それはただ単に忘れているだけなのか、元々使えなかったのか。それを知るためにも、記憶の修繕が急がれるが、先の『五色の王』の記憶以外、思い出せたものは無かった。
そして、最後の一人が、僕を助けてくれた少女、名をリューネと言った。
彼女は、黒の一族の村の中で、巫女と呼ばれているようで、僕の休む部屋も彼女に与えられた家のものだった。
ガロンとは兄妹の関係で、あのガロンでさえも、リューネを前にすると眉尻が下がっていた。
巫女と言うのがなんなのか分からないが、リューネは薬師になりたかったそうだ。
代々村に伝わると言う薬師の物語のように、動物達に囲まれて薬屋をすることが夢だったらしい。
部屋で恩獣を撫でていた彼女が、話のタネとして夢を語ってくれたのだ。
だが、どうしてならないのかなんて、夢を語るリューネの表情を見て、尋ねられるわけがなかった。
僕の世話をしてくれる中で、彼女は恩獣に良く構っていた。
それはもう、しつこいと言うか、執念深いと言うか。
しかし、リューネやガロン、ミドウ達は全員口を揃えて恩獣の事を「ネグロヴァニア様」と呼んでいる。
そんな名前は聞いたことも無いし、このオコジョともテンとも取れる動物の種族名なのだろうかと思い、今も幸せそうに愛でるリューネに尋ねた。
恩獣はどこか不服そうに膝の上で丸くなっている。
「その、恩獣……、じゃなくて、ネグロヴァニア様って言うのは、なんなの?」
「おん、じゅう……?ネグロヴァニア様はこの子の事ですよ。ですから、クロハもそう呼んで下さいね?」
リューネとは仲良くなれたものの、恩獣、もといネグロヴァニア様を愛でている時は邪魔されたくないのか、少しつっけんどんな態度になる。
僕は「はい……」と答えることしか出来なかった。
その時、ちょうど部屋に遊びに、訪ねに来たミドウにも同じように尋ねると、しっかりと答えとなって返ってきた。
「話すと長くなりますが、良いですか?」
「お願いします」
ようやく軽く動かせるようになった体でベッドの縁に腰掛け、適当な椅子をミドウに渡す。
「そう堅くならずともよろしいですよ。それで、ネグロヴァニア様について、でしたね。それを話すにはまず、白と黒の関係、及びに黒の瘴気について話さねばなりません。どうですか、クロハ殿の記憶に覚えはありますか?」
「……いや、覚えてない、と思う」
そう答えると、ミドウはベッド横のテーブルの上に黒と白の駒を置き、説明を始めた。
「まず、黒の王国とは、王国とは言いますが、我らが王の生み出す瘴気によって閉ざされ、我々黒の一族でも近寄る事は出来ません。出来るのは異形と化し堕ちた魔物か、黒の王が見初めた眷属のみ。この村のように、瘴気の薄い外周部は他の色の王の領土が近く、特に白の王国付近では我々の変質化を侮蔑の対象として見世物とする人攫いがかつては多く存在しておりました。それも近頃は瘴気の濃さ故か、なりを潜めておりますが」
記憶にある家族との光景では、白の王国での生活が薄ぼんやりと浮かび上がる。
その影に、ミドウが今言ったような行為が起こっているのだとすれば、ミドウやリューネ、ガロンにとって僕は敵になるはずだ。それなのに、ここまで手厚く看病をしてくれた彼らに、僕は一体何を返せば許してもらえるのだろうか。
ガロンの抱く憎しみが、敵意が、少し理解出来た気がする。
「そのような外敵は、黒の王が放った黒の瘴気によって、迂闊に近寄る事は出来ません。黒の瘴気は我々黒の一族を守る殻のような役目もあるのです。……しかし、その殻は身を突き破る棘を持っていたのです。我々黒の一族と言えど、黒の瘴気の致死性を完全に無効化する事は出来なかったのです」
ミドウはそこで言葉を止め、心配そうに見上げるリューネを見やりゆっくりと頷いた。
黒の瘴気……。
ミドウの説明からすると、この村の外は黒の瘴気で覆われていて、簡単には外に出る事は出来ず、外から内に入る事も難しい、という事。
ならば、僕はどうやってこの中に入って来れたんだろうか。
こちらへ向き直ったミドウが続けて口を開いた。
「瘴気は全ての命を黒へと堕とす魔の霧。それは人間だろうと魔物だろうと変わりなく、人が吸い込めば、たちまち息が苦しくなり、一分と経たずして異形への変質化が始まり激痛に喘ぎ、二分と経たずして自我を失う。そう言われています。しかし、我々黒の一族は生きるためにその黒の瘴気への耐性を会得し、黒の瘴気内部にて、黒の一族として生きることを決めたのです。しかし、耐性を得たと口にしても、四六時中瘴気の中で活動が出来るという訳ではありません。そこで、我々のご先祖さまが見つけたのが、『王墓』なのです。そう、クロハ殿、貴方が見つかった場所ですね」
自慢げに言い放つミドウとは反対に、その後ろで見るからに落ち込んだ様子のリューネが目に止まった。
「『王墓』とはその名の通り、我らが王、黒の王の名を冠したもので、あの『王墓』には、ネグロヴァニア様の名が刻まれているのです」
「だからネグロヴァニア"様"って――」
「まず『王墓』と言うのがですね、とあるモノを捧げる事で起動する、言わば黒の瘴気を制御するもの、といったところでして、外から隔絶する事も、内に穴を作ることも可能にする未知の技術によって作られたものなのです。ですから――」
熱の篭った様子で、ミドウは周りの声など耳に入らないかの如くまくし立てる。
こうなったのはいつぶりか、三日前か、四日前だったか。
呆れた様子で苦笑するリューネに目をやり、今度はたちあがって熱弁を続けるミドウの肩に手を置いた。
「それで、ネグロヴァニア"様"って言うのは?」
「――でして、……あぁ、それはつまり、『王墓』より生まれし動物は皆、黒の王の生まれ変わり。すべからくネグロヴァニア様なのですよ」
……はて、何を言っているのだろうか?
黒の王の名前が、ネグロヴァニア。『王墓』とやらに刻まれていたのならば納得が出来る。
しかし、だからと言ってたまたまそこに居た動物が黒の王だなんて、言っちゃ悪いがこじつけが過ぎないか?
それなら、恩獣ではなく、他の動物でも良いんじゃないか?
「ふむ、どうやら信じられない様子。……それならば、見てもらった方が早いですね。クロハ殿、歩けますか?」
「あぁ、お陰様で回復してきたんだ。それで、何処に?」
ミドウに手を借りてベッドから立ち上がる。
長時間の運動は厳しいが、少しずつ動けるようになってきた。
僕が動いたのを見ると、恩獣……、じゃなくて、ネグロヴァニア……、も長いから、ニーアと呼ぼう。
ニーアがリューネから逃げるように肩まで登ってくる。
「わ、私も着いていきます!」
後ろからパタパタと駆け寄るリューネ。
豊かに実った体躯を揺らしながら振り向いたミドウは、ゆっくりと口を開いた。
「散歩、ですよ」
僕はこの日、初めて彼らの暮らす村を見て回る。
ずっとベッドの上だったからか、知らず緊張している事に気づきながらも、導かれるがままリューネの家を出る事になった。