70話 許せないっ!
「きゃああああああああああああああああっ!」
「うわあああああああああああああっ!」
周囲から響いた悲鳴で、リリィは一つ体を震わせた。
リリィがワームを倒し続けたことで変わった雰囲気が、もとの絶望的な空気に戻ろうとしている。
その違和感にリリィが気づいたとき、その異形は彼女の上で嘲笑するかのように大口をあげていた。
「っ――何ですかっ!? えっ……」
周囲のワームより大きく、人のような顔と手足がミミズのような肌から生えている。
明らかに人間ではないが――僅かに残ったその人の原型を見て、リリィは顔を青ざめさせた。
「ゼダ……さん……??」
ワームの腹のあたりに浮かび上がっている人の顔。
それはまぎれもなく、先ほどまでリリィが話していたゼダのものだった。
その事実を前に、リリィは動くことすらできないほど驚愕してしまう。
「オレは――オレは、強いぃいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!」
「っ――!?」
その隙をつき、異形は大口を開いてリリィに襲い掛かってきた。
捕食される寸前のところで、リリィは我に返り杖を使って異形を受け流す。
弾力のある肌にまとわりつく粘液がはじけ、リリィの頬にかかった。
「づああああああああああああっ!?」
――焼けるような痛み。
実際、リリィの顔の一部……粘液がかかったその部分は、血だらけになって溶けてしまっている。
おそろしい威力を誇る消化液だ。
エターナルフォースの影響を受けた肉体ですら、一瞬で溶かしてしまうそれを体中に纏っていては物理攻撃を仕掛けるのは事実上不可能だというもの。
「お前より……お前らより……オレが! 俺があああああああああああっ」
浮かび上がったゼダの顔が叫ぶ。
激痛に耐え、リリィは杖を掴みなおして異形を見上げた。
「ペインインデュア……!」
苦痛耐性を付与するそのスキルをもってしても、頬の痛みはひかない。
それでも、戦えないほどの痛みではない。
「リリィ――リリィイイイイイイイイイイイイッ!!」
「っ――!」
――というよりも、リリィは既に理解していた。
この異形の強さは全て、その消化液に集約している。
それ以外の能力は全て平凡だ。
体の大きさはあるものの、動きは遅くリリィのスピードについてこれていない。
「お前……お前を……俺は……」
「ゼダさん……」
数回の攻撃を見た後は、もはやリリィは余裕をもって異形の攻撃をかわすことができていた。
飛び散る粘液の動きさえ見切り、リリィはゼダに対し憐れみの表情すら向けている。
「やめろっ――その目を、やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
それが異形の力を掻き立てたのか。
異形はさらに体を肥大化させ周囲を無差別に襲い始める。
「うわああああああああああああっ!」
「いやだあああああああっ!!」
逃げ遅れた者達を捕食しようと体をうねらす異形。
しかし、即座にリリィが反応し、その頭を杖で穿つ。
飛び散る粘液で杖はドロドロに溶解されているが、リリィは全く表情を変えない。
周囲の人々に被害が出ないように周囲の瓦礫を盾にして完璧に立ち回る。
「リリィイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!!」
どんなにゼダが激昂しても、異形の一撃は通らない。
手の内を晒してしまい不意がつけない以上、もともとの身体能力の差がものをいうこの状況は覆らない。
「ゼダさん……一体どうしちゃったんですか……? なんで貴方がこんな――」
ぎゅっと唇をかみしめて、リリィが異形を見上げる。
その牙はリリィの一撃で折れ、体のいたるところにはリリィが投げつけた瓦礫が刺さり、体からは血のように黒い液体が漏れていた。
そんな姿に変えたゼダを前に、リリィはただただ辛そうに声を震わす。
「お前のような女に何が分かるっ! オレがどれだけ苦労して――どれだけ勉強したかっ! 何が分かるっ!!」
「ゼダさん――」
「たかが貴族の娘なだけで――そんな目で、オレを見るなぁあああああああああああっ!!」
「…………」
荒れ狂う異形。
冷静に避けるリリィ。
魔法も使わず、派手に殴ることもせず――周囲の物を投げつけるだけの地味な反撃。
リリィが手加減をしていることは、異形は十分に認識している。
そして、リリィもまた、自分のその行動が異形を苦しめていることを認識していた。
「……リリィ、まだまだ子供です。だから……ゼダさんの言うことは分かりません」
だが、その理由は分からなかった。
ゼダが自らに向ける感情が想像できなかった。
彼の持つ嫉妬を理解するには、リリィは罪深いと言えるほど純粋だったから。
「でも……今のゼダさん、放っておけません。このままじゃ、皆が傷ついてしまいます」
「ォオオオオオオオオオオオオッ!」
何度も体を打ち付けようとしてくる異形を避け、リリィが大きくジャンプする。
溶かされた武器の代わりにリリィが手にしたのは、異形が破壊した壁の破片。
それを持つリリィの手には、虹色の光が集約していた。
「だから――リリィは貴方を止めますっ! 行きますっ!!」
すぅ――と息を吸い込んで。
代わりに目から涙をこぼして、リリィが叫ぶ。
「ジェノサイドブロウ!」
スキル名の詠唱と共に、リリィの持った瓦礫を纏う虹色の光が輝きを強めた。
それはまるで翼のように周囲に拡散し異形を飲み込んでいく。
一撃――リリィの振り下ろしが異形の頭に決まる。
それを追うように、巨大な虹光の柱が槌となって異形の体を押しつぶした。
「ぶっ……ぉ……」
その攻撃を受けてから、異形の姿は数秒ももつことなく消え去っていた。
あとにのこったのは、リリィの一撃が作り出したクレーターと、元通りのゼダの姿だ。
「……ごめんなさい。ゼダさん。痛かった……ですよね?」
「…………」
命はあることはすぐに分かった。
だが、ゼダがひどく衰弱していることもすぐに分かった。
傷を癒す力を持たないリリィが出来ることといえば、ただただ彼に謝罪することだけだった。
「……お前は」
かすれた声を絞り出し、倒れたゼダがリリィを見上げる。
「お前は……いいよな……貴族で……才能もあって……」
「…………」
リリィは何も言葉を返さない。
この痛々しい姿を網膜に刻もうとしているかのように、微動だにせずゼダのことを見つめ続けているだけだ。
「俺は……俺だって……頑張ったのに。なんでお前なんかが……」
「リリィは……」
「そんな目で……俺を……みる……な……」
だんだんとゼダの声が弱まっていく。
一瞬、リリィの顔に焦りが出たが、彼が息をしていることに気づくとほっと溜息をついた。
「ゼダさん……」
意識を失ったゼダを見て、リリィがぼそりと声を出す。
――まだ周囲にはワームが残っているようだ。
自分が相当数を討伐したとはいえ、まだ戦いは終わっていない。
ぱちんと両手で自分の頬を叩き、戦いの音が鳴る方へ顔を向ける。
この場を任された以上、その責務を全うしなければ。
その使命感が彼女を奮い立たせていた。
「ククク……やはりこの程度の人間じゃ、貴方には勝てませんか」
「っ――!?」
だが、背後からきこえた声でリリィは足をとめた。
女性とも男性とも聞こえる中性的なトーン。
その声は、ローダンできいたものと全く同じだった。
「ヴェネドワッ!!」
しかし、振り返ってみても意識を失ったゼダの姿しか確認できない。
隠れているのか――そう思って意識を集中させても、声の主と思われる者が存在する気配を感じることはできなかった。
「どうしました。頓狂な顔をして。まぁ、下等生物にはそれが丁度いいですが」
「っ……ゼダさんがこうなったのは貴方のせいですか! 出てきてくださいっ!」
「はは。そんなことをして私に何のメリットがあるというのですか。おバカなお方だ」
あざ笑う声の前に、リリィは歯を食いしばることしかできない。
「いやはや……しかし、良い時間稼ぎができました。やはり、人の感情は素晴らしい。餌としては最高品だ。おかげで傷もしっかり癒えました」
「餌……ゼダさんが……?」
「この者の醜い感情――ククク、なかなか堪能させてもらいました。しかしやはり小物は小物。使い切りの駒にしかなりませんね」
「なんですって――!」
拳を握りしめるリリィ。
だが、それを突き付ける相手の姿がない。
それが余計にリリィの表情を歪ませる。
「あぁ、失敬。お話しをする余裕はないのです。今度はこの男の相手をしなきゃいけないようなので。それでは」
「まっ――! 待ちなさいっ! まだリリィのお話しは終わってないですっ!!」
――だが、リリィがいくら叫んでも、それに対する答えは返ってこなかった。
沈黙の中、虚しくリリィの声だけが響く。
「……何が起きたか分かんないですけど……でも……」
こうなってしまっては、ここで立ち止まるのはあまりに無意味な行動だ。
そのことをリリィは分かっている。
だからリリィは次の魔物を倒すために振り返る。
「ゼダさんのこと……餌だなんて……駒だなんてっ! そんなの、いくらなんでもひどいですっ!!」
最後に一回だけゼダを振り返るリリィ。
そのまま、迷いを振り払うかのように走り出した。
「ヴェネドワ――許せないっ! リリィ、こんなの許せないですっ!!」
そうは言うものの、ヴェネドワがいる場所なんて分かるはずもない。
だからリリィがヴェネドワにたどり着くことはできない。
それがたまらなく悔しかった。
「てやああああああああああああっ!!」
そんな自分の感情をごまかすかのように。
リリィはワームのいる場所へ突進していった。




