26話 そんな顔しないで
デクシアを出発し、三日程経過しただろうか。
日本にいた頃と違い、曜日にスケジュールがコントロールされていないせいで、日数の感覚がなくなってきた。
昼はシエルとリリィに挟まれながら馬車に乗り、出会った魔物の群れを蹴散らして、夜は三人で模擬戦のような訓練をする――そんなルーチンに慣れてきたころ、俺達は目的地にたどり着く。
「へー……ここがローダンか……」
――どうにも、淡泊な感想しか浮かんでこない。
塀に囲まれた街並み、そして人々の雰囲気はデクシアと殆ど変わらないからだ。
ここでも獣人族への差別はあるのだろうか。シエルが妙な視線を向けなければいいのだが……
「うわー、おっきな山ですねーっ! リリィ、こんなに近づいたこと初めてですっ!」
馬車から降りると、リリィが大きく伸びをする。
そう――リリィの言う通り、街を囲う塀の向こうには、雄大な山々がそびえたっていた。
近くで山を見たことがあまりないせいか、こうして見上げてみると、たしかにその景色には圧倒されるものがある。
「あれがガルダーザ山脈だ。今回、問題となっている結界はあそこに張られている」
ふと、背後からレイグの声が聞こえてきた。
「長旅お疲れ様。ユウ君とシエル君のおかげで、ほぼ無傷でここまで来ることができた。本当にありがとう」
「いえいえ。この後は何をするんですか? 俺にできることがあれば手伝いますよ」
別に本心からそう思っていたわけではない。
この言葉は、無能は無能なりにやる気はありますとアピールし、上司の機嫌をとるための処世術として身に染みていたものだ。
「そうか……? ふむ、それは願ってもない申し出だな……」
だが、レイグは俺の言葉を受けると、心底嬉しそうに頬を緩ませる。
「それならば、私と一緒にある人物にあってほしい。セレンという女性で、ローダンの結界を張る仕事をしている。今回、我々の任務内容に関する話をすることになるだろう」
「俺が同行してもいいんですか? 重要な話をするんじゃ?」
「こちらがお願いしたいぐらいだ。君とシエル君の戦闘力を見込んで……頼む」
そんなに真剣な表情を向けられたら、断れるはずがない。
それに、別に一緒に話をきくぐらい負担になるものでもないだろう。
シエルもこくりと頷いてくれている。
「分かりました。じゃあ俺達もいきますね」
「そうか。ありがとう。リリィは――」
「あ、リリィは、ここで待っていますよ!」
と、リリィがピンと背筋を伸ばして声をあげてきた。
――気を遣っているのが見え見えだ。
いくらレベルの違いがあれど、俺に同行を許しているぐらいだし、一緒にくるぐらいはかまわないのではないか。
「一緒に行こうよ、リリィ」
「……いいんですか?」
「ははっ、師匠についてこないつもりか?」
少しふざけてそう言うと、リリィがちらりとレイグを見る。
苦笑いを浮かべながら頷くレイグ。
「ありがとうございますっ! リリィ、頑張りますっ!!」
†
ローダンに到着してから数十分歩くと、大きな屋敷が見えてきた。
ゴンベルドンが居た屋敷と見た目が良く似ている。偉い人が住むところというのは、さも格式高い雰囲気を放つものというわけか。
その建物に入り、受付の者に案内されたのは最上階にある一番大きな部屋。
大きな扉を開けると、まさに貴族の部屋といった豪華な装飾が目に飛び込んできた。
こんな部屋で数日過ごしていたら胃もたれを起こしそうだ――そんなことを考えながらレイグに続いて歩いていくと……
「セレン様。アルミードが領主、レイグ、参りました」
「……あら、いらっしゃい。随分早かったのね」
奥には、一人で寝るにはあまりにも大きなベッドがあった。
半透明のカーテンで周囲を囲われたそのベッドには、小さな老婆が横になっている。
「っ――」
思わず、息をのむ。
その老婆の体には、何本もの管が埋め込まれており、ベッドの後ろにある妙な器具に繋がっている。
点滴――だと一瞬思ったが、そうではない。それにしては管が太すぎる。
あまりにも細々とした四肢は、見ていて胸がズキリと痛むものだった。
こんなにも弱々しい老婆が、本当に結界を維持しているのかと疑問に思ってしまうのは、俺が偏見を持っているせいなのだろうか。
「……体調を崩されたときいております。大丈夫なのですか?」
レイグは当たり前のように淡々と話している。
そうだ――こういう時、見慣れないからといって挙動不審になるのは失礼にあたる。
俺もレイグに恥をかかせないよう、堂々としていなくては。
「それは私の体のこと? それとも結界のことかしら」
セレンと呼ばれた老婆が、かすれた声で笑う。
冗談のテンションで言っているのだろうが――あまりに声が弱々しいせいで全然笑えない。
「……セレン様」
「うふふ、冗談よ。相変わらず真面目なのね。そちらの方々は?」
セレンの視線がゆっくりと俺達に向かう。
「私の娘――リリィと、私が信頼する傭兵です」
「そう。騎士団の方?」
「いいえ。彼らが望むのであれば迎え入れたいと思っていますが……アルミードに縛るにはもったいない実力ですから」
「あらあら。レイグがそこまで認める若者なんて珍しいわね。頼もしいわ」
そう言いながらにこりと微笑むセレナ。
雰囲気で察していたが、やはり彼女には獣人族への差別意識はなさそうだ。
「セレン様、それで――」
「えぇ。分かっているわ。前置きはこのぐらいにしておきましょうか。単刀直入に言うわね。私はもう限界よ。長くないわ」
あっさりとそう言い切るセレン。
その言葉に、周囲の空気が凍り付く。
「そんな――」
「私、もう140歳よ? 結界を維持するどころか生きていくのももう限界……だから助けを求めたの」
――声が出ない。
見た目は80か90歳ぐらいの老婆に見えるのだが……まさかそこまでだったとは。
驚きのあまり、気遣いでまだまだこれからでしょうと声をかけることもできなかった。
「そんな顔しないで。私、次に生まれ変わったら、うんと美人になってやるんだから」
重苦しくなった空気を和ませようとしてくれたのだろうか。
しかし、内容が内容なだけに笑えない。
気まずそうにため息をつくレイグ。
「セレン様――」
「はいはい。任務のことよね? 貴方も知っているとおり、ガルダーザ山脈は魔界の魔物達が侵攻してこないように結界が張られているわ。ローダンの結界を張る魔術師は私が担当しているのだけれど……私、もうおばあちゃんだから……」
申し訳なさそうに苦笑するセレン。
しかし――結解を張ることができる魔術師は、それだけ少ないということなのだろう。
どうせ滅びる世界――あの女神の言葉が、現実として突き付けられた気がした。
「既に結界の効力は弱まっていて、ガルダーザ山脈にはびこる魔物がローダン近くまで現れたこともあったの。もうローダンの騎士団は崩壊寸前よ。しかも、血濡れの剣士のこともあって……」
「血濡れの剣士? なんですかな、それは」
「ガルダーザ山脈に恐ろしく強い剣士がいるの。その剣士は魔物・人族問わず、無差別に襲い掛かってくるんだとか」
「人を襲う剣士……? 人型の魔物ですか?」
「そうかもしれないけど魔物を襲う魔物というのはきいたことがないわね。少なくとも私が生きている間は」
「ふむ……しかし、血濡れの剣士ですか。にわかには信じがたいですな……」
「そうね。でも、ガルダーザ山脈に魔物の討伐に向かったローダン騎士団の一人――それも、騎士団の中で最も強かった者が、実際に証言したのよ。返り血で染まった刀を振るう、血濡れの剣士の存在をね」
実際に証言があるとすれば、ただの噂だというわけではないだろう。
皆の表情に緊張がはしる。
「その者は、血濡れの剣士に襲われて瀕死の重傷を負って……なんとかローダンまで逃げ帰ったものの、その存在を他の者に伝えると息をひきとったというわ。その者のレベルは70だったから……血濡れの剣士は相当な実力者ね」
「ふむ……レベル70の者が負けるとなると……」
ふと、レイグがちらりと俺に視線を移してきた。
仮に血濡れの戦士と戦闘になったら俺達が対処する――そういうことだろう。
「結界を維持できるマナを持つ魔術師がここに来るまで、まだ一か月ぐらいはかかるみたいだから……なんとかそれまで乗り切らないといけないわ。貴方達には、それまでローダンのことを守ってほしいの。私のマナでは、ガルダーザの魔物を全て封じ込めることはできないから」
「魔物の動向は?」
「ローダン付近まではまだ来ていないけれど、ガルダーザ山脈の結界付近は魔物の巣窟になっているわ。ローダンの騎士団だけだと戦線維持は一週間が限度でしょうね……」
「なるほど……とはいえ、我が騎士団も長旅の疲労があります。今日は休ませていただけますか」
「もちろんよ。助けに来てくれただけでも嬉しいわ」
「感謝します。明日、ガルダーザ山脈に向けて出発しますので」
「よろしくね」
セレンの言葉に、レイグは深く頭を下げる。
それに合わせて当然のように頭を下げるシエルを見て、慌てて俺とリリィも頭を下げる。
「……行こう。明日から忙しくなるぞ」
数秒の間を置いて、レイグは頭を上げると踵を返した。
表情は緊迫感に満ちている。
「血濡れの剣士……」
レイグに続いてセレンから離れようとした瞬間――
ふと、小さなセレンの声が耳に入ってきた。
誰にも聞かせるつもりがなかったであろう、小さな声。
「貴方のことじゃないわよね。ナギ……」
天井を見上げながら、ぼやくセレン。
それが何を意味するのかは分からないが――まずは、目先の戦いを乗り越えることに集中するとしよう。




