2話 大丈夫?
「ここは……」
次に意識が覚醒した時、俺は森の中にいた。
無数の木の葉のせいで陽の光はあまり届いていない。
インドア派な俺にとっては見たこともないような自然に満ちた光景。
そして、その光景にはまるで似合わない、爆裂音のようなものが俺の耳に飛び込んできている。
「なんの音だ……」
周囲を見渡しても音の正体は分からない。
一歩、足を前に踏み出す。やはり、夢ではないらしい。
俺が来ている服は、仕事帰りのスーツ姿だが――通り魔に刺された時の傷はない。
さっき出会った少女の言葉が本当なら、俺は異世界に飛ばされたことになるのだろう。
「……いや、にしてもノーヒントすぎないか?」
俺が知っている異世界転生の物語に出てくる女神といえば――もっとこう、フレンドリーというか、チュートリアル的なことはしてくれたのだが。
いきなりこんな場所でサバイバルを強制されるなんてきいていない。
「くそ……とにかく、歩くしかないか……」
まぁ、あの女神の態度じゃあ、ここで文句をぼやいていてもどうせ何も起こらないだろう。
この変な音の正体を確認しないままなのは気持ち悪いし、とりあえずその方向へ歩き出す。
そのまま数分程経過しただろうか。急に木々が消え、目の前には大きな渓谷が現れた。
写真でしかみたこともないような、その圧倒的な光景に、思わず身震いしてしまう。
「って……嘘!?」
それと同時に、俺は、とんでもないものを目にしてしまった。
大渓谷の中を這う、超巨大な赤褐色の竜。
片翼には大きな穴が空いている。――傷だろうか。
その竜が、大量の炎をまき散らしながら暴れまわっている。
「やああああああああああああっ!!」
――ふと、勇ましくも、可憐な少女の声が俺の耳に飛び込んできた。
「あれは……女の子……?」
長い銀髪に、黒い――猫耳?
貧相な白いワンピースで身を纏い、黒の蛇腹剣を振るい、大渓谷をまるで鳥のように跳び回っている。
その超人的な動きの中で、青白い光とともに、鞭のようにしなる剣が竜の体を切り刻んでいた。
「フォースピアーシングッ!!」
その叫び声と共に、少女の剣に強い青白い光が宿る。
そのまま剣を前に突き出すと、その光が光線のように竜の体に向かって放たれた。
しかし――
「ぐっ……づぁああああああ!?」
竜が吐き出した炎が、その全てを打ち返す。
少女の体は、逃げる間もなく炎に包まれ、塵のように飛んでいく。
「……嘘だろ」
俺は驚いていた。
目の前で繰り広げられている超常的な戦いについてだけじゃない。
大渓谷の遥か彼方に叩きつけられた少女の体。その存在を正確に、俺は把握できている。
さっきまでの俺の視力じゃ信じられないほどに、はっきりと。
「はぁっ……はぁっ、うっ……」
そして、傷だらけになった少女が、なんとか立ち上がろうとする時の息遣いも――全て。
まるで、目の前――そう、数センチ前にその少女がいるかのように感じることができる。
「ペイン……インデュ……うぅっ……」
蛇腹剣を杖のようにして、なんとか立ち上がろうとする少女。
だが、足はふらつきうまく立てない。
そこに、ゆっくりと竜が近づいていく。
勝利を確信したことで余裕を見せつけているのか。その圧倒的な巨体を見せびらかすように、上半身を起こす竜。
そして、口を大きく上に向けて――
――このままじゃ、あの子は死ぬ。
それはあの少女自身が一番よく分かっているはずだ。
絶望に満ちたその表情が全てを物語っている。
……ふと、体の中から風が放出されるような、不思議な感覚がはしった。
今まで感じたこともないような力が湧いてくる。
「おおおおおおおおおおおおおっ!!」
気づけば、俺は叫んでいた。
気づけば、俺は跳んでいた。
ファンタジーの世界でしかありえないような、物理原則では説明できないような超ジャンプ。
でも、不思議と違和感はない。
ゲームキャラクターを操る時のように、ただただ自然に俯瞰する。
そして――
「エメラルドバニッシュメント」
なぜか、頭に浮かんだその言葉を吐き出すと、手の前で緑色の魔法陣が展開された。
腕に広がっていく、エメラルドグリーンの光の渦。
それが竜巻のように姿を変える。
「はああああああああああああああっ!」
なんの違和感もなく、叫ぶ。
着地した先は、少女の目の前。そして、竜が吐き出す炎の前。
だが、不思議と恐怖はない。
なぜか、確信があったのだ。
この勝負は――絶対に勝てると。
その確信のとおり、竜が放った炎は、俺が展開したエメラルドグリーンの光の前で、全て消滅している。
「えっ――」
少女が驚く声がきこえた。
だが、残念ながらそれにかまっている暇はない。
俺は理解していた。今のは、単に竜の炎を防いだ防御の魔法。
「ごめん、剣、借りるね」
「あ……」
とっさに、目に入った彼女の剣を手に取る。
蛇腹剣なんて、今までの人生で一度も振るったことがない。
それでも、手に持った瞬間、物凄くしっくりと手になじんだ。
そして、咄嗟に、頭に浮かんだ言葉を叫ぶ。
「ソードアサルトッ!」
その瞬間、俺の体は大砲にでも打たれたかのように前に出た。
理論的に考えれば、こんなことができる自分に驚くのが当然なのに。
それでも、何の疑問もわいてこない。
当たり前のように、剣を振るう。
恐ろしく強い、青白い光が剣に宿る。
そして――
「……あの、大丈夫?」
数秒後。
細切れにされた竜の体が、塵のように風に流されていく中で――
ただただ、呆然と俺を見つめる少女に向かって、俺は手を差し伸べた。