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19話

 午後の特訓も問題なく終了したアキラは夏休みも入れていたバイトに向かっていた。

 問題なくとは言ったが少なくともアキラにとってはであり雫や珠など、特訓初参加者はバテた様子であった。


「……」


 いつもと違いバイト先に向かうアキラの足取りは重かった。

 理由は昼休みに行った音羽との会話である。

 曰く、「友人になれそうな人物に次会った時に下の名前を呼んでみてください。呼び捨てで」との事。

 そして、何もなければその相手とこの後会うことになるのである。

 学園内で偶に何の目的も無しに話しかけてきてくれる事からきっと悪い印象は持たれてはいないのだと思っているが、それは自分の勝手な思い込みなのではないかと尻込みしてしまう。

 折角、単なる頼み事ではなく雑談を振ってくれる相手なのだ変に距離を詰めた結果距離を話され今の関係が壊れてしまうのが怖かった。


(私、緊張してる)


 中学の全日本代表として各国の代表選手達と大舞台で数多く戦ってきた時ですらこれほど緊張したことはない。

 多くの人間がこの緊張を乗り越えてきたのだろうか。


(考え過ぎ……かしら)


 バイト先まで来てその入り口を開ける手が重い。

 恐らく、ほぼ間違いなく自分の考えすぎだと言う事は理解しているのだが、それはそれとして怖いものは怖いである。

 時間にすれば極僅かな時間だが入り口の前で固まっていては他の人こ邪魔になるだろう、アキラは意を決して扉を開き店内に入っていった。

 店の中には客の姿は疎らに見えたが、どうやらその人物は店内のフロアには居ないようだった。

 恐らくスタッフルームで休憩を取っているのだろうか。あるいは何かしらの理由でバイトを休んでいるのかもしれない。

 中央フロアを行きカウンターの横を通り、更衣室へと足を運ぶ、いつものバイト服に着換えスタッフルームに向かう。臆病な心がその人物の姿が無いことを祈っているがそのようなことはないだろう。

 果たして、スタッフルームの扉を開いた先にその人物いた。

 部屋の中央に置かれた長テーブルの上に休憩中に食べるつもりで持ってきていたのであろうおやつ類を広げて舌鼓を打っているようだった。


「あら、特訓お疲れ様」


 件の相手はアキラの緊張など露知らずにのほほんとした様子で言葉を投げかけてきた


「え、えぇ。ありがとう」


 多少言葉がつっかかったが裏返らずに返せたのは自分で自分を褒めてあげたいと内申ホッとしたが、そんな様は表情には出さない。表情を変えない事は良くも悪くも自分の優れた特技だとアキラは自負していた。


「あとは引き継ぐからもう上がってもいいわよ」

「うん。ありがとう」


 目の前に座る少女は立ち上がり横にあった引き継ぎ帳を開き、残務の引き継ぎに入った。

 立ち上がった少女はバリスタ姿のアキラとは対象的に、白と黒を基調とした足首まで丈のあるエプロンドレス、所謂メイド服を身に着けていた。

 一応バイトにおける制服の規定というのはエプロンを着用することくらいしか無かったが店長がわざわざ用意してくれていたので両者ともに折角だから着ておこう程度の認識である。

 余談だが、店長はアキラが男性用に用意したバススタ姿をしていても何も言わない人物であるが、仮に男性が女性用に用意したメイド服を着ていたとしても同じく何も言わないであろうおおらかさを持っていた。


「引き継ぎはこんな感じかな」

「ん。分かった」

「そう言えば特訓どうだった?」

「どうかしら。辛そうな人は居たけど……」

「違う違う。塚川さんは辛くなかったの?」

「まぁ、慣れてるしね。体動かすのは得意なのよ」

「あぁー。確かに体育で疲れてるの見たことないかも」

「体育は休む時間も多いからね」

「そうかしら?」

「体育って動いてない時間意外と多いでしょ」

「動いてない時間があるのは確かだけど……そんなすぐ体力回復する?」

「だから、慣れよ」

「慣れなのかしら……」


 引き継ぎを終えて、仕事に入る前に雑談に入る二人。

アキラが始業五分前に来て引き継ぎを受けたというのもあるし、この日の店の混雑具合から雑談する程度の余裕があるというのも理由としてあった。


「正直貴方もそんな体育の授業で疲れてないでしょう」

「まぁ、それはそうなんだけど……でもあなた程じゃないわよ」

「でしょう? 余程体力が無いとかじゃない限り体育の授業じゃ疲れないわよ」

「それはどうかしら」


 アキラの発言に苦笑して返す少女。


「でも、特訓は体育とは体力の使い方違うでしょ?」

「そうね。体育よりは使うわね。正直な所一部ついてこられるか不安な人もいるけど」

「あら? 他人ひとの心配なんて流石」

「茶化さないで。まぁ、代表になったくらいの人達だし大丈夫だとは思ってるけど」

「私はやってないからわからないけどフィンブルってそんな体力使うの?」

「それはまぁ、レプリカで身体強化してるって言っても格闘技だからね。レプリカ使用に気を割いてる分慣れてないと普通の格闘技よりバテると思うわ。でも、今の話の場合フィンブルって言うよりは午前中の体力強化の特訓についてこれなさそうって話ね。午前中ずっと走り込みか筋トレなのよ」

「あら、それは難儀ねぇ……」

「本当よ。人目がなかったら逃げてるところだわ」

「へぇー」

「何?」

「いや、意外だなぁって」

「?」

「塚川さんって何事にも真正面から叩き潰していく人だと思ってたから逃げるなんて言葉出るなんて思わなかったわ」

「……」


 少女の発言にアキラは内心で悪態をつく。少女に対してではなく、アキラ自身にである。

 今まで、他人が自分に対してどう思っているのか、そして、思われてるイメージを崩さないように行動、発言してきたアキラにとって他人の持つイメージ外の発言をしてしまった事は大いに不覚だった。

 友達になれるかもしれないというのが思いの外気を緩ませていたのかもしれない。


「今後気をつけるわ。イメージを崩したならごめんなさいね」

「どうして? 良いと思うわよ? 人間だもの逃げたくなる時なんてたくさんあるんじゃない?」


 嫌われないように半ば強迫観念じみた思いで他人の持つイメージを崩さないように生活してきたアキラにとって少女の言葉は予想だにしていないものだった。

 

「えっ?」

「別にいいんじゃない逃げても?」


 思わずで零れた言葉に対する答えはアキラの心境からは些かズレていたものであったが人は他人の心は分からない以上仕様がないことである。

 もっとありのままの自分で良いと言われた気がした。

 勿論、少女の発言にそこまで深い考えはなかったに違いない。たが、アキラはその発言に少し救われた気がしたのも事実だった。


「そろそろ時間だわ。話し込んじゃってごめんね。後はよろしく」


 スタッフルームに掛けられた時計を確認した少女はその場を立ち去ろうとする。


「あっ……」


 アキラは立ち去ろうしている少女の背中を見て思わず呼び止める。


「どうしたの? 何か言い忘れたことあった?」

「あ、いえ、その……」



 振り返る少女にアキラは何もしどろもどろになって取り敢えずの言葉を返す。頭の中では様々な思考が巡っている。

 なぜ呼び止めたのか。

 呼び止めて何を話すのか。

 呼び止めても良かったのか。

 下の名前を呼んでも良いのだろうか。

 答えは決まっていた。思い出されるのは昼頃音羽に言われたあの言葉。

 それでも、思考が回っているのはひとえに怖いからだ。アキラの臆病な心が言わない理由いいわけを探させている。

 だけど、どれだけ探してもそんなものは見つからなかった。

 このまま固まっていても相手に不審がられるだろう。現に不思議に思った少女は首を傾げている。

 意を決したアキラは努めて上擦りそうになる声を抑えながら──


「ま、またね。遥」


 名前を呼び捨てにした。出だしで噛んだのはこの際目を瞑る事にした。やってしまった事は仕方ないし、そんな事は些末な問題なのである。


「ふふっ。えぇ、また明日ね。アキラ」


 そんなアキラの様子に笑いながら目の前に立つ少女、白鷺遥も下の名前を呼び捨てにして部屋を出ていった。

 遥が部屋を出た後も安心からアキラは暫く動けないでいた。


「……良かった」


 アキラが想定していた以上の結果である。

 距離を詰めたことにより引かれる事なく、寧ろ向こうからも距離を詰めに来てくれた。

 こんなに嬉しかった事は人生で何度あっただろうか。

 おそらくはまだ本当の意味での友人と呼べるような関係にはなっていないのだろうが、それでも今回の出来事はアキラにとっては大きな前進だった。

 だが、一連の事で動揺していたアキラは時計を見てバイト開始までの僅かな時間を費し、心を落ち着かせてから仕事に入る。

 浮かれた気持ちで仕事をしていては思わぬ落とし穴にハマる可能性があるからだ。

 アキラは気を引き締めてからスタッフルームを後にした。



 その日のバイトにアキラはいつも通りの心境で仕事に臨んだつもりであったが、常連客には何か良いことがあったんだな。と、分かる程度には機嫌が良かったという。 

この話を書くにはもっと違う話を積み上げてからのほうが良かったですよね。

想定よりかなり早くなってしまいました


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