魔王に惚れてしまった
諸悪の根源、魔王。
魔王は、この世界の多くの人を困らせている。
邪悪そのものと言ってもいい存在だ。
魔王はこれまでに、たくさんの人を殺し、たくさんの形あるものを壊してきた。そして、その分多くの幸せも。
だから、勇者である私にとって、魔王は忌むべき存在の代表だった。
しかし、どうやら私はそんな魔王に惚れてしまったようだ。
「魔王様、本日のお召し物でございます」
「うむ」
魔王の命を狙う為に潜入した魔王城。
そこで下働きのメイドとしてチャンスを窺っていたら、なんと魔王に気に入られてしまった。
それで、身の回りの世話をする事になったのだ。
いつ正体がばれてしまうかと、ひやひやしたが、魔王は案外間抜けな人間だったらしい。
私の事を勇者とも知らず、呑気に今日も傍に置き続けている。
私はずっと、魔王の着替えの手伝いや、朝食の配膳。後は、スケジュールの調整までもこなしている。
「魔王様、本日のスケジュールでございますが。というか、秘書を雇った方がよくありません?」
魔王に気に入られれば、今まで以上に弱点が分かるようになる。
そう思って、頑張りすぎたのがいけない。
色々な事を任されるようになってしまった。
さすがに忙しすぎて暗殺の準備をしている暇がなくなってしまったのだ。
本末転倒だ。
それで、ずるずるとこんな現状が続いている。
「うむ、お前に任せた方が分かりやすくて良いからな」
「そういう問題ですか。過労で倒れたらどうしてくれるんです」
「そう言うな、頼めるのはお前しかいないのだ」
「仕方ないですね」
そう言われてしまったら、こちらもしょうがない。
ため息をついて、今日一日の打ち合わせ。
魔族領の視察に、領地の見回りと警備、部下の鼓舞。
魔王のやる事はたくさんだ。
「これで以上です。今日も過労で倒れそうなスケジュールですが、頑張ってください」
「ああ、分かっている」
こういう感じで、今日も魔王につきあうのだが、本当は分かっている。
深く知ってみた魔王は、イメージの中の残虐な魔王とは程遠い。
悪などという曖昧なものではなく、一人の生き物として意思を持って確かにそこに存在していた。
私はそんな魔王の事を知り過ぎてしまったのだ。
「私が本当にメイドだったら良かったのに(ボソッ)」
「何か言ったか?」
「いいえ、何も」
諸悪の根源、魔王。
正義の象徴、勇者。
二つの道は決して交わる事はない。
惚れた代償はどんな形で払わされることになるのだろう。