不埒で純情な男心
アルタイル大聖堂、祭壇前に置かれた簡素な椅子に座るのは、恵の聖女と呼ばれているレティア姫。
周りには、青薔薇の騎士団の警護がついている。
とりわけ目立つのは、レティア姫の右側に凛とした姿で立ち、剣を床に突き立て、柄を両手で握るカール令嬢。
レティア姫の忠臣、青薔薇の騎士団隊長にして、レティア姫の秘書を務める才色兼備。
本日は、レティア姫の不定期祈念日。
偶然居合わせた、参拝者達に、レティア姫は風と鷲への祈念後に、国宝青薔薇の冠に触れることを許す。
「青薔薇は、触れると祝福があるそうです。共にこの国で生きる皆様に、どうか幸福が訪れますように」
それが、一般市民が聖女レティア姫を拝むことが出来る、貴重な機会。
椅子に座るレティア姫の膝上に置かれ、彼女の手の添えられた、鮮やかな青薔薇が咲き乱れる冠。
参拝者のうち希望者は、青薔薇の騎士の誘導の元に整列。
アルタイル大聖堂の扉は、青薔薇の騎士により1度閉じられ、退出のみの一方通行にされる。
レティア姫の前で膝をつき、片手を伸ばしてそっと、青薔薇の冠に触れる。それが作法。
長々と祈りを捧げてから、冠に触れる者が大半。
中には、祈りや願いを口にする者もいる。
例えば、涙ぐみ、まるで倒れそうなお互いを支え合うように寄り添う若夫婦。
今、レティア姫の足元に両膝をつき、両手を胸の前で握りしめた者達だ。
「聖女様。子供の高熱が6日も続き、ずっと下がらないのです。しかし、奇跡を与えられる日に礼拝……」
「まあ、私は恵の聖女です。奇跡は与えられません。祝福があるという言い伝えがありますから、独り占めではなく、皆様にも触れて欲しいのです」
感謝の言葉を口にしようとしていた妻は、困惑した。レティア姫に話しかけられるなど、想像だにしていなかったからだ。
「高熱が6日も続くとはかわいそうに。お医者様には診せました?」
レティア姫は青薔薇の冠を、椅子の左側に設置された小さなサイドテーブルの上へ置いた。
青薔薇の冠は、みるみるうちにいばらの冠へと変化した。
国宝、青薔薇の冠は、アルタイルの姫にしか青薔薇を咲かせられない。
噂を初めて目の当たりにした参拝者達の多くの者が、その場で膝をついて祈り始める。
レティア姫は椅子から立ち上がり、ゆっくりと腰を落とした。
「あの、は……はい……。原因不明と……。薬も効きません……」
「難病なのですね。様々な国で医学勉強中の方が、この国の医学も知りたいと来訪しています。診てもらいましょう。明日から市内を回る予定でしたが、今日中に子どもを1人診てもらえないか頼んでみます」
レティア姫は優しく微笑み、妻の手を取ると、そっと両手で包み込んだ。
「奇跡を与えられなくて申し訳ありません。しかし、お医者様を紹介することは出来ます。それから、熱で苦しむ子の元へ、青薔薇の冠を運ぶことも」
立ち上がったレティア姫は、椅子へと戻り、再び座った。
「あなた方はそちらで待機」
カール令嬢令嬢が凛とした声を出すと、2名の騎士が夫婦を礼拝用椅子へと促し、着席させた。
このように、レティア姫は時折、参拝者と会話をし、慈悲深い行動を見せる。
「レティア様は全ての民に、何もかもは与えられん。この日、この時刻に神への信心を示した偶然こそが神の奇跡であろう。風と鷲の神に感謝せよ」
「あの、皆様。何もかもは出来ません。出来ないことの方が多いです。この偶然が、贔屓と非難されることもあるでしょう。けれども、私は、何かお力添えが出来るかもしれないのに、見て見ぬ振りはしたくありません」
レティア姫は更に続けた。
「聖女と呼ばれているのに力が足りず、すみません。私1人では足りないのです。皆様、どうか助け合って下さい。誰かに手を差し伸べて下さい。この国を優しさと幸福の溢れた国にしていきましょう」
さあ次の方、とレティア姫が声を掛ける。再び青薔薇の冠を膝上に置いて。
このように、レティア姫は国民の心へ、道徳心や信仰心を抱かせる役目を担っている。
(これで合っているのかしら? 全員に頼み事をされたらどうするとか、ディオクお兄様に怒られるかしら? 布石は打ってみたけど……。それにお説教臭かったかしら?)
日に日に崇拝されて神聖視されている慈愛溢れる恵の聖女。とはいっても、それは偶像。
レティア姫は国王陛下や宰相達に任された責務を果たそうと、今日も今日とてグルグル悩んでいる。
(今日は帰りが遅くなりそうだわ。ユース様と散歩出来なそうね)
参拝者に話しかけられないレティア姫は、憂いを帯びた微笑を浮かべた。
その姿は「力不足を嘆いている」ように見え、レティア姫は国民を深く想ってくれている。という誤解を与える。
人とは、都合の良いように物事を判断するものだ。
★☆
アルタイル城、レティア姫の書斎。そのソファに腰掛けて縮こまるレティア姫。彼女の隣にはカール令嬢が着席し、涼しい顔で目を瞑っている。
向かい側に座るのは、国王宰相の1人、レティア姫の兄ディオク王子。
ディオク王子はレティア姫を睨んだ。
「また仕事を増やしやがったな」
「あの、勝手なことを、すみません」
「医者を紹介したことではない。市街地に行ったりして、市民を騒がしたことでもない」
レティア姫は顔を上げて、ディオク王子を見据えた。首を捻る。
「カール令嬢の采配に文句は無い。君の発言も素晴らしい。今日の祈念時やその後のことは報告を受けているが、大きな問題はない」
「はい、その通りです。レティア様は素晴らしく、私の仕事ぶりも良かったです。部下の教育も順調ですよ」
ニッコリと笑うと、カール令嬢はソファの肘置きにもたれかかった。
近衛騎士姿、それも男性用の装衣なのに、品のある貴族令嬢の雰囲気が消え切っていないことと、自信家な発言に、ディオク王子は小さな苦笑を漏らした。
「……。安心して任せられます。で、レティア。別件だ。ユース兄上に何かした? 修道院の視察を敢行するそうだ。あいつ、ヴェガ修道院に引きこもろうとしている」
レティア姫はと少々つりあがって猫目やアーモンド型に見える目を、パチパチと動かした。
「修道院に引きこもろうとしている? ユース様に何を? 喧嘩なんてしていません」
レティア姫は顔をしかめた。
(むしろ昨夜は……)
首を傾げると、レティア姫は目を閉じた。昨夜から今朝別れるまで、実は喧嘩をしたのか、思い出してみたが、全く心当たりがない。
それもそのはずである。ユース宰相は支離滅裂な自己妄想のせいで、暴走している。