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☆★ レティア姫の回想 ☆★
ソファに横坐りして、ウイスキーグラスを片手に、真剣な眼差しで反対側の手に持つ小説のページを見つめる姿を、もう何回見ただろう。
くつろいだ体勢なのに、どことなく品がある。湯浴み後で、まだ少し濡れている烏羽色の髪や、寝巻きの白いシャツから覗く鎖骨が、少々色っぽい。
見慣れている姿の筈なのに、壁際の机に向かって、友人に送る手紙を書く手を止めて、つい見惚れてしまった。
「ん? レティア。何? チラチラ見て、構って欲しいのか?」
「へっ? い、いえ……」
穏やかな笑顔で微笑まれ、思わず否定してしまった。これは、可愛げのない発言である。盗み見していたのを指摘されて、恥ずかしくてつい。
「そう? 私は構って欲しい。手紙を書き終わったら、ここへ来てくれると嬉しい」
ニッコリと笑うと、ユース様は人差し指で、ちょんちょんと自分の膝と膝の間を示した。
「あ、あの。その、今夜は何の本を読んでいるのかなあって、思い……まして……」
両想いになり、結婚して同じ部屋で暮らすようになって約半年経つ。
結婚したと言っても、初心な私に合わせて、結婚式典を行う日までは婚約者扱いをしてくれている。
私と彼は、国王陛下に恋人関係になったことを報告した後に、わりとすぐに結婚させられた。
その理由は、「適切な恋人期間が分からないので無期限婚約」を主張して譲らないユース様に、国王陛下達が呆れたから。
「無期限婚約期間中に浮気して捨てられたら最悪なので、修道院に入り、禁酒禁欲しながら仕事をする」とゴネていたとも聞いた。
「浮気しないように無期限婚約期間中ずっと一緒に寝てくれ」と、兄弟のように育ったディオク王子の睡眠を妨害し続けて、鬱陶しかったとか、そんな話しも小耳に挟んだ。
一緒に寝るのに、睡眠妨害とは寝相が悪いとか、いびきが酷いのかと思ったけれど、ユース様はとても静かに眠る。
なので、この話は嘘だろう。
その他にも、色々聞いたが、何が理由にせよユース様は戦いに敗れた。
私とユース様は、国王陛下の号令、鶴の一声、絶対命令で結婚させられた。
何も知らないで急に結婚させられて戸惑った。半年後、一年後、二年後などと思っていたから当然だ。
しかし、国王陛下達に「結婚生活の内容は2人のペースでどうぞ」と言われ、ユース様とも「結婚式典の日まで婚約扱いにしよう」と話し合えたので、良しとしている。
もう夫婦だけど、まだ恋人同士で、唇と唇が触れるキスをしたのは結婚指輪をお互いの左手薬指にはめ合った時、一度きり。
それが、私とユース様の今の関係。
ユース様の愛情表現はストレート。それにちっとも慣れない。恥ずかしい。
「ああ。君と私について書いてある本」
予想外の台詞に、私は目を丸め、固まった。
「私達の噂を組み立てて、小説にして売っているみたい」
涼しい顔でそう告げると、ユース様は視線を落とし、手に持つ小説を見つめた。
「私とユース様の噂を小説に?」
「そっ。極悪非道な冷徹宰相が、可愛いお姫様と無理矢理結婚する話」
「無理矢理だなんて、そんなの嘘です!」
その噂のことは私も知っている。否定しているのに、なぜか真実のように語られているらしい。
婚約者と別れることになり、辛かった時に寄り添ってくれた人に新しい恋心を抱いた。それで結婚。
それが、婚約破棄させられて、無理矢理結婚させられた、という話になっている。
「この小説は創作。噂は噂。寄せ集めに空想を加えたストーリー」
「そ、そうですが……」
「愛する君を世間に晒されているとは遺憾だけど、私に溺愛されて可愛く喜ぶ君というのは大変満足。規制するか、放置するか悩んでいるんだけど、どう思う?」
ユース様は、質問の時にこちらを見なかった。
この意味は、彼の中でもう決定しているという意味。
余程のことがなければ、その決定は覆らない。
「私が噂を否定しても、ちっとも訂正されないのは……」
「ロクサスと別れてから、私と結婚するまでの期間が短かったから。君やロクサスへの誹謗中傷は嫌だ」
「その件でしたら、ユース様への誹謗中傷も嫌だと、事実をありのままに説明して、噂は気にしないようにすると決めましたよね?」
私は立ち上がり、ユース様の前に移動した。
「ん? 決めてない。君がそう主張しただけ。ははっ。怒った拗ね顔も可愛いな」
「ユース様!」
「悔しかったら励め。根回しで私に勝てればな」
ツーンとそっぽを向くと、ユース様は小説を閉じてテーブルに置いた。
「気を利かせた方が、ロクサス卿と陰で会わせてくださり、とても気まずくなるのですよ」
「ふーん。神々しい聖女様は自分には荷が重いって逃亡したのに、まだ諦めてないんだ」
「ユース様なら、どなたが気を利かせたのか、この話がいつのことなのかなど、きっと知っていますよね?」
ユース様の顔が向いている方向に移動をしてしゃがむ。
目を合わせようとすると、またそっぽを向かれた。
「人の心は縛れない。私はフィラントの部下、それも真面目で仕事熱心な男の恋心を無下に出来ない」
「ロクサス卿は間も無く婚約します。かつての恋人と。それも知っていますよね? 私を試すのはやめて下さい」
再度ユース様の顔の前に移動。今度はしゃがんで、顔を近づけた。彼はまたツーンとそっぽを向いた。
「試していない。後悔して欲しくないだけ」
ユース様、ご機嫌ななめらしい。全部本心だろうけど、この態度はわざととしか思えない。
私の言動の何かが、彼の地雷を踏んだようだ。