第11話 混乱
『……中部電力によれば、愛知県内のほぼ全域で停電しているとのことです。現在、名古屋市についての情報は一切入ってきておりません。……え~、政府からの新しい情報です。政府は、名古屋で起こった地震は自然地震ではなく、何らかの爆発的事象によるものであると発表しました』
車内のラジオから、続々と新しいニュースが流れてくる。美咲はその一字一句を逃すまいと、必死に耳を傾けていた。
父との電話の後、言われた通りにタクシーを拾い、今はD-スレイヤー基地へと向かっている。
早めに行動したのは正解だった。ニュースで第一報が報じられた直後、道路は瞬く間に人でごった返した。誰もが危険を察知し、家族と合流するために家路を急いだためだ。行動が15分遅ければ、タクシーなど決して捕まらなかっただろう。
と言っても、既に公道は無数の車両で溢れ、交通は麻痺し始めている。速度も、さっきから20km程度しか出ていなかった。電車や地下鉄を使おうかとも思ったが、どこも同じような状況だろうと考え諦めた。
「はぁ……」
溜息をついて、窓の外を見やる。
歩道には、スーツを着た大勢のサラリーマンたちが蠢いていた。人混みを掻き分けてひたすら走る者、スマホで誰かと連絡を取る者……様々だったが、彼らに共通しているものが1つだけあった。焦りの感情だ。
一体いつになったら、基地に着くのだろうか。こんな状況では、到着に数時間はかかってしまう。それまで、東京が無事である保証もない。
『えー、新しい情報です。愛知県、三重県、静岡県の全域、岐阜県南部、長野県南部に、避難指示が出されました。対象地域にお住いの皆様は、行政機関の指示に従い、直ちに避難を開始してください。また現在、安否確認の電話が集中している影響で、全国で通信障害が発生しており……』
ニュースではまだ、ドラゴンの襲撃があったとは明言されていなかった。だが、梵との電話の中で聞こえたあの咆哮……あれは間違いなくドラゴンのものだ。突然空からドラゴンが現れて、この道路に火炎を放ってきたら……そんな恐ろしい想像を、どうにか頭から振り払った。
不意に、運転席の無線から雑音が響く。
『……緊急。緊急。営業中の全車両は、直ちに最寄りの支社へ戻ってください。繰り返します……』
やっぱりか、と美咲は思う。
交通機関も、こんな状況で運行などしていられないだろう。彼らにも、家族や大切な人がいるのだから。基地に行く手段は無いが、誰かに迷惑をかける気もなかった。
「あの……私降りますね」
そう言ってリュックから千円札を出そうとしたが、運転手は「いえいえ」と穏やかな声で断った。
「一度乗せたお客様は、最後までお送りさせていただきます。途中で職務を放棄するような真似は、決して致しませんよ」
運転手は振り返り、にこやかな笑みを向ける。年季の入った物腰柔らかそうな笑顔は、この状況ではとても心強く思えた。
「ありがとうございます……!」
美咲は深々と頭を下げた。
D-スレイヤー基地 ブリーフィングルーム
時刻は午後4時を回っている。
式条は落ち着くことができなかった。勿論この事態も原因の一つだが、もう一つさらなる要因があった。美咲がこの時間になっても基地に到着しないのだ。連絡をしようにも、既に電話は通じない。さっきの電話が、娘との最後の会話になる……そう考えただけで、気絶してしまいそうだった。
『……この非常事態を受けてNTTは、緊急通報を除く通話の97%を規制しました。また自治体の通信司令室が攻撃を受けたことで、緊急通報が受信できない地域も……』
モニターからは相変わらず緊急特別番組が流れている。式条はふと思い立ったように、パソコンを操作してチャンネルを回した。
映されたのは、東京からの空撮映像だった。
『ご覧ください! ドラゴンによる大規模攻撃に伴い、各交通機関は完全に麻痺しています! 見えますでしょうか!? 道路という道路が、無数の車で埋め尽くされています! 東京メトロからは先程、地下鉄の全線閉鎖が発表されました! これはJR、都営地下鉄に続いての運行停止となります! 帰宅困難者の数は現時点で、600万人にのぼるとも……』
蜘蛛の巣のように巡らされた車道の全てが、ブレーキランプで埋め尽くされている。中継映像だけでも、其処彼処で渋滞が発生しているのが分かった。美咲がこれに巻き込まれているとすれば、大幅な遅れにも説明がつく。
式条はキーボードを叩き、更にチャンネルを回してみた。
『今治市の国家石油備蓄基地が攻撃を受けました』
『中部電力管内では只今、ブラックアウトが発生しています!』
『国土交通省より、民間の全ての航空機について飛行禁止措置が取られました。飛行中の全便は、最寄りの空港への緊急着陸を……』
『災害伝言ダイヤル171が開設されています。通常の災害時の避難所は利用しないでください』
『静岡県藤枝市では、避難中の混乱で数百人が将棋倒しとなり、70代の男性が死亡しました』
ニュースの内容は絶望的なものばかりだ。焦り、恐怖、苛立ちが、ブリーフィングルーム内にたちこめる。
すると突然、部屋のドアが勢いよく開かれた。全員の視線が出入り口、そしてそこに立っていた少年に注がれる。
「雪也……!?」
式条は驚いて、少年の名を口にする。
雪也は額に汗を滲ませて、肩で息をしていた。医務室からここまで全力疾走してきたらしい。
七潮島で保護された直後に気絶したため、雪也は現状を何も知らなかった。
「なぁ……おっさん……ハァ……」
雪也は覚束ない足取りで式条に駆け寄ると、身体を支えるように軍服を掴んだ。汗の雫がポタポタと床に落ちる。
「何が起こってんだ……!? 俺が寝てる間に……何があったんだ!!?」
式条は迷った。本当のことを話すか、それとも落ち着かせるために一旦はぐらかすか。だが下手に煙に巻いても逆効果だと考え、真実を告げることにした。
「雪也……落ち着いて聞け。今、世界中がドラゴンの侵攻を受けてる。イーラが攻めて来たんだ。お前の住んでる長野も、無事かどうか分からない」
「え……?」
雪也の手が、式条の袖からスルスルと滑り落ちる。想像を絶する事態に、頭が追いついていないようだった。
雪也はモニターの報道特番を見る。流れている映像は、国防軍の戦闘機がドラゴンに撃墜される瞬間だった。
「マジかよ……」
その声は微かに震えていた。
「美咲は……美咲はどこにいるんだ!?」
「何時間か前に連絡して、ここに来るように言ったんだが……まだ到着してない」
雪也の拳が固く握られる。口からは「クソッ……クソッ……」という呟きが幾度となく漏れていた。
「東京は……まだ大丈夫なんだよな!!?」
「今のところはな。どうかしたのか?」
「拓巳たちが……友達がいるんだ! 迎えに行ってやらないと……あっでも、じいちゃんとばあちゃんも!」
その時だった。ニュースのVTRが突然打ち切られ、怒声の飛び交うスタジオに切り替わった。キャスターがスタッフから用紙を受け取り、何やら指示を受けている。
『えー、新しい情報です! 長野県の状況です! 長野県の広域が、大規模な攻撃に晒されています! 攻撃が報告された地域をお伝えします! 飯田市、木曽町、松本市、伊那市、茅野市、諏訪市、富士見町、佐久市です! 今挙げた市町村以外にも、攻撃を受けた地域が多数あると見られ……』
キャスターが気迫のこもった声色で原稿を読み上げる。
雪也は言葉を発することすら忘れていた。ポケットからスマートフォンを取り出し、呼吸を荒くしながら祖父に発信する。
数回の呼び出し音の後、ようやく電話が繋がった。
『……もしもし!? 雪也か!!?』
「じいちゃん!」
肉親の声を聞けたことで、雪也は少しだけ安堵する。だがすぐに、絶望のどん底に叩き落されることとなった。
「じいちゃん、そっちは大丈夫!?」
『そこら中を……ドラゴンが飛び回ってる。智子と家に隠れてるが……もうダメかもしれない』
「え……」
もう何を言っていいか分からなかった。既にドラゴンの群れが暴れ回っているなら、今から向かったとしても……。
『雪也……よく聞くんだぞ』
「何!?」
『お……は……逃……』
「じいちゃん!? じいちゃん!!?」
祖父の声は徐々に雑音にまみれ、ついには通話が途切れてしまった。何度か掛け直してみても、『回線が混み合っています』という無機質な音声が流れるだけで、再び繋がることはなかった。
「……畜生!!」
居ても立ってもいられず、雪也はブリーフィングルームを飛び出す。たとえ間に合わないとしても、この場でじっとしていることなど到底出来なかった。
「雪也! 待て!!」
式条が慌てて後を追うが、雪也の化け物じみた脚力には敵わない。ようやくエントランスから出た時には少年の姿はなく、遥か上空へ羽ばたく白竜が見えるだけだった。




