第10話 創造主
旧横浜市 D-スレイヤー基地
美咲への電話を終え、ブリーフィングルームへと戻った式条は、腕を組みながら大型モニターを睨んでいた。
モニターには世界地図が表示されており、そのところどころが赤く点滅している。ドラゴンによる攻撃に見舞われた地点を表すマークだ。
「状況はどうなってる?」
式条が抑えた声で尋ねると、軍人の1人が答えた。
「まさしく悪夢です。アメリカ東海岸に加えて、今度は地中海沿岸の複数の国が侵攻されました。また南シナ海上空でも、多数の飛翔生物が目撃されたとの報告が……」
「敵も手当たり次第に攻撃を仕掛けてるわけではなさそうだな」
「はい……どうやら奴らは大国を同時に侵攻し、こちら側の防衛体制を崩壊させるつもりのようです」
室内には他にも数人の軍人がいたが、いずれも言葉を失っていた。想像を遥かに超える規模の事態に、誰もが推移を見守ることしか出来ない。
すると突然、地図上の赤い点滅が一気に増えた。警報音が何重にも鳴り響き、聞く者に本能的な恐怖を抱かせる。
「これは何だ……?」
「また、別の地点で襲撃があったようです……」
点滅箇所はそれぞれインド洋沿岸の国々、南米各地、そして北極海に近いロシア北部だった。
思わず目を背けたくなる現状だった。式条は険しい顔をしながら、黙ってモニターを見つめる。美咲を基地に呼んでおいたのは、どうやら正解だったようだ。
「政府はなんて言ってる?」
「現在対応を協議しているそうです」
「何を今更……」
「攻撃の規模が想定外だったために、既存の対応マニュアルがまるで役に立たないらしく……」
「全く……いつもこれだ」
式条は悪態を吐く。
指揮命令系統が機能していなくては、出動することもできない。こういう時こそ的確な統率が要求されるというのに、これでは国民を見捨てるも同然ではないか。行動の遅れがどれだけの犠牲を生むかを、政府の連中は理解していないのか。
なにせ、相手はドラゴンなのだ。想定外も想定の内だったはずだ。どうやら連中は、過去の襲撃の経験から何も学んでいないらしい。
「大佐、報道機関が速報を伝えました!」
式条が指示を出さぬうちに、モニターにニュース映像が映される。画面ではキャスターが、目を泳がせながら原稿を読み上げていた。
『えー……国民保護情報をお伝えします。たった今、Em-Netを通じて政府より、Jアラート・大規模攻撃情報が発表されました。対象地域は、愛知県・静岡県・三重県・和歌山県・奈良県です。既に攻撃があったと思われる地域も……』
何人かの軍人が、携帯を手に足早に部屋を後にする。おそらく、家族や友人に連絡を取ろうとしているのだろう。式条もそれを咎めることはせず、黙って彼らを見送った。
再びモニターを凝視する。これからどれほど被害が拡大するのか、どれだけの犠牲が出るのか、想像もつかない。そしてその犠牲の中には、自分も含まれるかもしれない……式条は薄々そんなことを感じ取っていた。
愛知県名古屋市
地平の彼方に至るまで、何百という黒煙が上がっている。さっきまで絶え間なく聞こえていた悲鳴も、徐々にその数を減らしていた。
イーラの一撃で市街地が炎の湖と化した後、通常のドラゴン達が郊外の家々を襲った。通常といっても、その破壊力は侮れるものではない。閑静な住宅街は、住民の生活もろとも瞬く間に灰と化してしまった。
無論、都市の1つや2つでドラゴンの破壊衝動が満たされるはずがない。新たな獲物を求め、街の外へ去った個体も少なくなかった。
「じゃあ、分からないことがあったら何でも俺に聞けよ」
ブリードはそれだけ告げると、数体のドラゴンとともにどこかの空へ飛んでいった。その影を見送った後、梵もまた黒竜のもとへと向かう。
イーラはビルの屋上に鎮座し、何やら物思いに耽っていた。おおよそ、破壊の神には似つかわしくない恰好だ。王というからにはもっと傲慢な態度を想像していたので、梵にはそこが意外だった。
「イーラ」
「……ん? ああ、お前か」
イーラはやや気だるそうに、その首を持ち上げる。
「ちょっと聞きたいことがあって」
「なんだ?」
梵は翼を折りたたんで、手近な建物に着地する。この辺りは街の中心部からは外れていたので、無事な建物も比較的多かった。
「結局、ドラゴンって地球の生物じゃないのか?」
「ノーでありイエスだ。我以外のドラゴンは、地球の生物が変異して誕生したものだ。我が血の力を使ってな」
梵はかつて天人から聞いた話を思い出す。
イーラの血に適合した人間は、ドラゴンの力を手に入れられる……それはきっと、他の生物にも当てはまるのだろう。
だが、適性は数千万分の1の確率だ。人間以外の生物については分からないが。きっとイーラは数億年の歳月をかけて、自らの血に適合する遺伝子を見つけ出し、少しずつ同族の数を増やしていったのだ。
「我が種族は栄華を極めた。全盛期には数億体ものドラゴンが、この星の空を支配していた。我らは究極にして永遠の存在……そのはずだった」
「でも、ドラゴンは絶滅した」
「ああ……」
イーラは僅かに目を細める。
ドラゴンが歴史から消えた時期については、梵にもいくらか知識があった。
2億5000万年前、ペルム紀と呼ばれた時代の末期の出来事だ。この時代、地球史上最大の大量絶滅が起こった。当時生息していた生物のうち実に95%が、一気に死に絶えたのだ。
だがその原因については、今日に至るまで判明していなかった。一説には火山噴火とも温室効果ガスとも言われているが、いずれも仮説の域を出ていない。ドラゴンとの関連が取り沙汰されるようになったのも、ごくごく最近のことだった。
この黒竜は、過去に起こった惨劇の全てを記憶に刻んでいるのだろう。それならば、その全てを聞いておきたかった。
「まずは、我の出自から話さねばな。我は元々、この世界の存在ではない。別の次元からやって来たのだ」
「さっき言ってた、高次元がどうのって話か?」
「そうだ」
高次元生命体……ドラゴンを創造し、絶滅させようとした謎の神……。
「お前らの創造主って、どんな奴だったんだ?」
そう質問した途端、イーラの顔に激しい憎悪が浮かんだ。
「奴の名は"レイロス"。生命をも創造する力を持った、神の如き存在。奴は己こそが自然秩序の守護者であると信じ、自らの複製体をこの世界に放った。宇宙において、生命体を有する星の1つ……地球へとな」
「その複製体っていうのがお前なのか?」
「そうだ。レイロスは我に地球の統治を命じた。我はその命に従い、地球の生物たちに我が血を与え続けた。結果多くの生物が、知性と永遠の命を有するに至ったのだ。だが、レイロスは我らを滅ぼしにかかった……!!」
イーラは語気を強める。尻尾を激しく振り乱したせいで、そばにあった貯水タンクが吹き飛ばされてしまう。
「落ち着けよ。レイロスは何故そんなことを?」
「奴の狂った思考など知るか。……だが、"自然の摂理を保つため"などとほざいていたかな。ともかく、そのせいで我は同胞の大半を喪った」
「大量絶滅もそれが原因か?」
「長きにわたる戦いで大地は焼き尽くされ、撒き散らされたドラゴンの血により海洋も汚染された。通常の生物にとって、我らの血は毒でしかないからな。当然海洋生物も壊滅し、地球は瞬く間に死の星となった。これが全ての真相だ」
イーラは先ほどとは打って変わり、淡々と語った。
一応、これで長年の謎は解決したわけだ。と言っても、また新しい謎が生まれただけであるが。
レイロス……高次元生命体。ドラゴンにとっての神。そんなものが、世界のどこかには存在しているのだ。ドラゴンの人智を超えた力も、源流はレイロスなのだろう。
「それで、レイロスはどうなったんだ?」
「さあな。奴も深傷を負ったはずだから、とっくに死んでいるかも知れん。それに越したことは無いのだがな」
「もし生きてたら?」
「次こそ息の根を止めてやるさ。そして再びドラゴンを繁栄させ、新たな帝国を築き上げる。それが散った同胞への弔いであり、レイロスへの復讐となるのだ」
赤い瞳の中には、なおも怒りの炎が燃え盛っていた。
そこまで話してみて、ようやくイーラの内面が垣間見えた気がした。生みの親であるレイロスに裏切られたことで、イーラは深く傷ついたのだ。その痛みは憎悪へと変わり、やがて世界を焼き尽くすまでに至った。
梵にも、イーラの心情はよく理解できた。イーラにとってのレイロスは、自分にとっての天人なのだろう。実親に殺されかけるというのは、自らの存在意義を否定されるも同然だ。その絶望と怒りは、生涯決して癒えることはない。
「ロクでもない親を持つと苦労するな」
梵が共感を込めて言うと、イーラも微かに笑った。
「ああ、お互いにな」
悪魔や漆黒の王と呼ばれていようと、その深層は人間と同じなのだ。大きな苦痛に直面し続ければ、いつか心は闇に染まってしまう。何かを憎まずにはいられなくなるのだ。
イーラは自分とよく似ている……そう分かると、なんだか安心できた。
「お前、何か望みはないか? 聞いてやるぞ」
去り際、イーラにそう尋ねられた。
望み……と言われても、すぐには思いつかなかった。何せこの状況になってから2時間足らずしか経っていないし、今後のことについても全くの白紙だ。そもそも、自分がどうしたいのかすらも分からない。
だが、1つだけ望みがあるとすれば……。
「じゃあ……」
梵は静かに言葉を紡いだ。




