第9話 不穏
東京都 港区
美咲は教室から外を眺めていた。
もうとっくに5時間目の授業が始まっている頃だが、教師がやってくる気配はない。既にクラスメイト達は自由気ままに騒ぎ始めている。
昼休憩の間に放送で職員会議が召集され、それ以来教員の姿は誰1人見えなくなった。滅多なことではこうはならないだろう。さらに奇妙なのは、さっきから国防軍のヘリや戦闘機が上空を飛び交っていることだ。
美咲の心に一抹の不安がよぎる。スマホを取り出して、最新のニュースを確認した。
"中部・近畿地方で大規模な通信障害か"
最初に目に入ったのはそれだった。つい数分前のニュースだ。記事を開いてみても、速報であるためか詳しい内容は書かれていない。だが「通信障害」というのは、本当にただの通信障害なのだろうか……。
――――でも家にはソヨがいるんだし、大丈夫だよね。
そう自分に言い聞かせ、無理やり平常心を保った。
すると突然、教室の扉がガラリと開いた。
「お前ら何やってんだ! さっさと席につけ!」
予想外のタイミングでの教師の帰還に、騒いでいた生徒達は面食らってしまう。彼らは蜘蛛の子を散らすように、自分の席へと戻っていた。
教師は軽く咳払いをしつつ話を始める。
「えー突然ですが、今日の午後の授業は全て中止となりました。ホームルームも部活も無しです。全員寄り道せず、速やかに家に帰るように」
「えっマジですか?」
「もう帰っていいんすかー?」
「そういうことだ。ああそれと、明日以降無期限で休校になると思うから、各位ネット等で学校からのお知らせをチェックしておくこと」
「「「「おっしゃあああああああああああ!!!」」」
クラスメイト達はあっという間にお祭り騒ぎになる。それと反比例するように、美咲の表情はますます暗くなっていった。
学校がこんなにも迅速に休校の判断を下すということは、何か尋常でない事態が起こったのだ。全てが悪い方向に流れ始めているような気がした。
校門は既に多くの生徒で溢れていた。部活動も全て中止となり、全校生徒が集結しているのだから当然だろう。友人と談笑している者がいる一方で、美咲と同じく不安に駆られている者も少なからず見受けられた。
美咲はあれこれと思考を巡らせながら、学校を後にする。一体何が起こっているのだろう……。父に電話してみるべきだろうか……。
空からまたもヘリのローター音が響く。今度は10機以上もの編隊だった。明らかに訓練という様子ではない。
――――そうだ。ソヨに電話しよう。
不意にそう思い立った。
異常事態を知らせる意味もあったが、それ以上に美咲自身が安心するためでもあった。こういう時は、慣れ親しんだ声に触れるのが一番だ。早速、梵のスマホに発信する。
何度か呼び出し音が鳴る。美咲はそこで違和感を覚えた。普段なら、梵は間髪入れずに電話に出るからだ。
コールが7回を数えた頃、ようやく繋がった。
「あ、もしもしソヨ!?」
『どうしたの?』
その声を聞いただけで、幾分か安堵することができた。
「聞いて、何かが変なの。さっき授業が突然中止になって、学校も休校になった。理由も説明されないし……戦闘機やヘリコプターもたくさん飛んでるの! 私も今から帰るけど……ソヨ、何か知らない?」
『大丈夫。何も心配しなくていいよ』
梵の口調はどこかが奇妙だった。自分を安心させるために、敢えて平静を装っている? いいや、そうではない気がする。自分の話がまるで通じていないかのような……そんな印象を受けた。
「ねぇ……今家にいるんだよね? ニュースで何か言ってない?」
『ごめん、今ちょっと出かけてるんだ。結構遠いところに』
電話口からは、梵の声以外にも激しい雑音が聞こえた。それは爆発音……そして悲鳴だろうか?
「ソヨ……あなたどこにいるの?」
『名古屋だよ』
「どうしてそんなところに!?」
『ちょっと知り合いに誘われてね。だから心配しないで』
絶対におかしい……美咲は半ば確信を持っていた。電話の向こうにいる人間が、自分の知らない誰かに思えてくる。
「ねぇ、今すぐ家に帰ってきて。一緒にいて欲しいの」
『大丈夫。怖いことは何もないから。たくさんの人が死ぬと思うけど、美咲が死ぬことはない。あとで迎えに行くから、家で待ってて』
「何を……言ってるの……?」
怖い。
スマホを持つ手が震えてくる。今すぐ電話を切って、スマホを投げ出してしまいたかった。
「さっきから聞こえてる音は……爆発だよね? 一体誰と一緒にいるの? そこで何が起こってるの!?」
返答は無い。代わりに聞こえるのは、爆発音や沢山の悲鳴……そして、金属を引っかいたようなけたたましい咆哮だ。以前にも何度か耳にした、恐ろしいドラゴンの咆哮……。
『新しい世界が始まるんだよ』
「えっ……もしもし? もしもし!?」
その言葉を最後に、通話は切られてしまった。
無意識に息が荒くなる。恐怖や不安で押し潰されそうだった。日常の中にあった物が次々に壊れていくような、そんな感覚に襲われた。
「そうだ! 雪也……」
すがる思いで、雪也のスマホにかけてみる。
『ただいま電話に出られません。しばらく経ってから……』
数回の呼び出しの後、感情のない機械音声が流れた。頼みの綱が断たれ、美咲は絶望する。
「もう……どうして……」
目から涙が零れそうになる。誰に頼ればいいのか分からない。真っ暗な樹海に、たった1人で取り残されてしまった気分だった。
その時、スマホの着信音が鳴った。雪也が折り返してきたのだろうか? そう思い、発信者の名前も見ずに電話に出る。
「もしもし!?」
『美咲、突然すまない』
それは父の声だった。意外な相手に、美咲は一瞬言葉を詰まらせてしまう。
「お、お父さん……?」
『どうした美咲? 声が震えてないか?』
ようやく馴染みの声を聞けたことで、美咲はホッと暖かい息を吐く。体の震えが少しずつ治まっていく気がした。
「あのね……ええっと……」
『とにかく落ち着け美咲。どうしたんだ?』
「今ね、ソヨと電話で話したの……だけど」
『待て、梵と連絡がついたのか!?』
「うん……でもね、何かが変だったの。上手く説明できないけど、あれは絶対に普段のソヨじゃなかった」
電話口から歯軋りの音が漏れる。
父の口ぶりは、普段よりも切迫しているように思えた。そして何より、こんな時間に父の方から電話をしてきたこと……。こういう時は、決まって途轍もなく悪いことが起こった時だ。
「お父さん……何かがあったんでしょ?」
『それは……』
「いいから、誤魔化さないで話して」
『……ああ』
父は僅かにため息をつく。
『ついさっき、名古屋が何者かに攻撃された。詳しいことは分からないが、きっとドラゴンがまた現れたんだ』
「名古屋……!?」
確か、梵も名古屋にいると言っていた。じゃあ、あの時聞こえた悲鳴や爆音は……。
『まだ学校か?』
「うん……でも少し前に授業が中止になって、みんな家に帰された」
『よく聞くんだ美咲。家には帰るな。タクシーでも何でも使って、すぐに俺のいる基地に来い』
「えっでも私、お金持ってない……」
『基地に着いたら俺が払う。だから急いでこっちに来るんだ。もう時間がないかもしれない』
「ねぇ、雪也にも連絡した方がいいかな?」
『雪也は大丈夫だ。こっちで保護してる。今は自分のことだけを考えろ』
一度は鎮まった恐怖心が、再び湧き上がってくる気がした。おそるおそる、父に尋ねてみる。
「お父さん……これから何が起こるの?」
父は少し間を置いて答えた。
『……世界が終わるんだ』




