第8話 殉教
アメリカ合衆国ワシントンD.C. 国防総省
国防長官は、足早に廊下を歩きながら報告書に目を通していた。廊下は既に多くの人でごった返し、職員達が慌ただしく駆け回っている。
「どういうことだ? 日本で戦術核級の爆発だと?」
国防長官は側近の軍人に尋ねる。
「日本政府からつい先程入った情報なので、詳細は不明です。しかし日本がドラゴンの襲撃を受けたのは間違いないかと」
「大西洋に出現した群れは?」
「北米防空宇宙司令部からの報告では、群れは3方向に分散。それぞれニューヨーク、フィラデルフィア、そしてここワシントンD.C.に向かっています」
「大統領はどちらに?」
「今しがたマリーンワンでホワイトハウスから退避されました」
国防長官は苦々しげに親指を噛んだ。首都空襲という最悪事態を目前に、身体中の神経が張り詰める。
「統合参謀本部に通達。現時刻をもってデフコン1を発令。全軍に臨戦態勢を取らせろ」
「了解」
「緊急回線を通じて、サーガ機関とも情報を共有するんだ。急げ!」
ネバダ州 グルーム・レイク空軍基地 サーガ機関秘密研究施設
施設内の会議室には、緊急招集された上級職員達が一堂に会していた。室内のいくつかのモニターには他支部の会議室も写されており、リアルタイムでの情報共有が行われている。
「何だこれは……」
大型スクリーンに表示された画像に、組織のメンバー達は一様に息を飲む。
それは、1体のドラゴンを捉えた画像だった。どこかのビルの定点カメラから撮影されたらしい。画質が粗く不鮮明だが、ドラゴンは全身が赤く発光しているように見える。詳細はサーガ機関も掴んでいなかったが、一つ確かなのは、これが撮られた直後に大都市が跡形もなく壊滅したということだ。
「竜だ……黙示録の……赤き竜……」
誰かが畏怖を込めてそう呟く。このドラゴンが他の個体とは違う只ならぬ存在であることは、全員が本能的に感じ取っていた。
不意に、会議室の自動扉が開かれる。入ってきたのは数人の戦闘員と、彼らに連行される1人の青年だった。
「グアンタナモから長門圭介を移送してまいりました!」
戦闘員の1人がそう報告する。
長門は覚束ない足取りのまま、戦闘員たちの前に蹴り出される。後ろ手に拘束されており、顔は20代とは思えぬほどに酷くやつれていた。長い間苛烈な尋問に晒されたことによる後遺症だ。
戦闘員の手には、透明なタブレット端末が握られていた。長門の頚椎には極小の爆弾が埋め込まれており、タブレットからいつでも起爆できる仕組みだ。
会議の議長を務める黒人の男……アーノルド・フィリップスは、長門の前に仁王立ちする。
「長門圭介……元メサイアの構成員にして海成天人の腹心だった男。間違いないな?」
「ははは……その程度のことも……質問しなきゃ分からないのか?」
長門は精一杯の虚勢を張るが、その口調にすら疲弊がにじみ出ていた。対してフィリップスは眉ひとつ動かさず、ただ青年を見下ろしている。
「あれを見ろ……あいつは何だ? 奴がイーラなのか!?」
フィリップスはスクリーンの方を指差す。しかし、長門が視線を移すことはなかった。
「イーラ……奴について知ってる者は、メサイア内でも殆どいなかった……。ただ、言い伝えがあっただけ……」
「どんな言い伝えだ?」
「世界を破壊し、創造する力を持った漆黒の王……。紅の光をもって……全ての命を焼き尽くす絶望の象徴……」
「フン……」
その時、唐突にスクリーンの映像が切り替わった。
会議室のあちこちから動揺の声が上がる。新たな映像には、灼熱地獄のように燃え上がる大都市の様子が映し出されていた。爆心地と思しき位置から数kmは残骸すら残っておらず、オレンジ色の湖のようになってしまっている。
「……これは何だ?」
「ドローンによる空撮映像です。たった今、日本の国防軍から提供されました」
「どうなってる? まるで隕石でも落ちたようだ」
「現在全力を挙げて調査していますが、いかんせん情報が錯綜していて……」
「ハハハハハハハハハハハ!!」
突然、会議室に高笑いが響き渡った。その狂気を孕んだ声に、誰もが顔をひきつらせる。
「これが……これが王の力なのか!! オウルやウォレスが求めていたのは、これだったのか!!! 奴らが盲信するのも無理はない!!」
声の主は長門だった。奇声と呼んで差し支えないほどの笑いは、先ほどまで憔悴していた青年のものとは思えない。
周囲の戦闘員たちはライフルを突きつけ、長門を黙らせようとする。
「貴様! 脳みそを吹き飛ばされたいか!?」
「俺を殺すのか? フフフ……やればいいさ。どうせみんな死ぬんだからな」
「戯言を……!」
「俺は何度も教えたはずだ。何度も警告したはずだ! 人間の力ではイーラに勝てないと! 天人様もそれを解っていた……だから我々はD.G.ウィルスを作り、全人類に究極の力を与えようとしたのだ! この日が来るのを知っていたから!! お前らは世界を守ったつもりか? 悪しき征服者から人類を救ったつもりか!? めでたいなぁ……きっとお前らは、全てを失うその瞬間まで気付かないのだろう。見るがいいさ……下らない正義感が招いた、破滅の未来を。聞くがいい……幾千もの断末魔を。そして地獄で悔やみ続けろ。己の犯した数多の罪を、ナイフで全身に刻み込め!!」
「……これ以上は時間の無駄だな」
フィリップス議長は戦闘員に向け、目で合図を出す。"こいつを処刑しろ"という指示だ。戦闘員はタブレットを操作し、爆弾を起爆しようとする。
長門はその僅かな隙を突いた。周囲の人間がそれに気付く頃には、時すでに遅かった。青年の体が、一瞬のうちにドラゴニュートへと変貌したのだ。
「うわっ!?」
衝撃波で戦闘員達が吹き飛ばされる。会議室は瞬く間にパニックに陥った。
「クソッ!!」
隊員達はどうにか態勢を立て直し、茶色い怪物にライフルを向ける。
だが彼らはそこで、恐ろしい事実に気がついた。起爆用のタブレットが、ドラゴニュートの手に握られていたのだ。
「し、しまった……」
「所詮お前らはこの程度なんだ。慢心しているうちに手遅れになる」
長門は人間の姿に戻り、手に持っていた拳銃を構える。これも、タブレットと共に戦闘員から拝借したものだ。銃口の先には、フィリップス議長がいた。
「貴様! 今すぐ銃を捨てろ!!」
隊員達はライフルの照準を向けるが、議長が人質状態のために引き金を引くことができない。互いに膠着状態となり、極限の緊張が会議室を支配する。
「私に構うな……このクソッタレを蜂の巣にしてやれ!」
「し、しかし……」
フィリップスと戦闘員の悲痛なやりとりを見ながら、長門はケタケタと笑う。まるで喜劇でも楽しんでいるかのように。
「芝居じみた掛け合いは終わりか? お二人さん」
長門はタブレットを床に落とすと、粉々になるまでそれを踏みつけた。液晶の破片や部品の一部が、床に飛び散る。
「馬鹿め……それを破壊したところで、施設の外へ出ればどの道爆弾は起爆するぞ。迂闊だったな」
戦闘員が挑発的な口ぶりで言うが、長門の表情は崩れない。
「安心しろ。ここから出るつもりは毛頭ない」
「ならば何だ? 冷やかしのつもりか?」
「それもあるが……まぁ、地球上の生命は数週間のうちにイーラによって抹殺されるだろう。だから一足先に、この世からお暇するのも悪くないと思ってな」
「何……!?」
長門はおもむろに拳銃を下ろす。そして、恍惚の如き笑みをその顔に浮かべた。
「讃えよ……漆黒の王を!」
それだけ言い残し、銃口を自らの口に咥える。
「待て!!」
乾いた破裂音が会議室に響く。鮮血と脳髄が、白い床を真紅に染めた。
かつて長門だった体が、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちていく。壮絶な光景に、誰もが言葉を失ってしまう。
「……死亡を確認しろ」
フィリップスが命じると、戦闘員達が遺体を仰向けに倒した。魂が失われた顔には、なおも邪悪な笑みが灯っている。それは己の死を……そして人類という種の終焉を、心から愉しんでいるかのようであった。




