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第6話 出逢い

 昼下がり。

 横浜市街地から少し外れた小さな路地に、梵はいた。路地は薄暗く、昨日降った雨が水たまりを作っている。

 人里離れた山奥に逃げるという手もあったが、その場合食料調達が困難になる。それにもし国防軍に見つかったとしても、市民が大勢いる街中ならば下手に手は打てない、という算段だった。


「ほら、食べられるか?」


 梵は1cm大に千切ったソーセージを、隣の仔猫に与えていた。

 道端に落ちていたソーセージだが、未開封の状態だったため問題はなかった。

 このソーセージを最初に見つけたのは仔猫だった。この仔猫が開封しようと悪戦苦闘していたのを梵が助け、今に至ったというわけだ。


「美味いか?」


 その問いに、仔猫はニャーという鳴き声をあげて答えた。きっと満足しているのだろう。

 梵は小さく笑うと、今度はソーセージを自身の口へ運んだ。あれ以来何も食べていなかったので、ほぼ1日ぶりの食事だ。


「お前もひとりぼっちなのか?」


 そう言いながら、梵は仔猫の頭を優しく撫でた。仔猫は目を閉じ、それを堪能しているようだ。それを見て、梵は再び口元を緩めた。



「いやあーーー!!  やめて!!!」


 女性のものと思しき悲鳴が轟いたのは、その直後だった。

 仔猫はそれに驚き、どこかへ走り去ってしまう。

 梵もまた動揺していた。明らかに悪ふざけの類ではない。梵は慎重に、音を立てないように路地の外を覗いてみた。

  そこにいたのは成人の男数名と、梵と同年代のショートヘアの少女だった。明らかに平和的な感じではない。男の1人が腕で少女の口を塞いでおり、少女は苦しそうにもがいている。

 白昼堂々。その言葉がまさにぴったりだった。

 街の外れであるためか、通行人は全くと言っていいほどいない。

 男は4人ほどいるようで、いずれもスーツを着たごく普通の…とても誘拐事件など起こしそうにない容姿だった。

 男たちは、抵抗する少女を近くに停めてある黒いバンに引きずり込み、そのまま走り去ってしまった。


 ――――まずいことになった……。


 物陰からその様子を見ていた梵は、どうするべきか必死に考えていた。

 ドラゴンの力を使えば、彼女を救うこともできるだろう。だがその場合、国防軍に見つかるリスクも伴う。

 そうだ。放っておけばいい。どうなろうが自分には関係ない。わざわざ危険を冒してまで助ける義理もない。

 だがら梵の中にはもう1つの考えがあった。

 学校で激しいいじめを受けていた時、周囲の人間は自分を助けてはくれなかった。生徒も、教師でさえも。


 自分には関係ない――――。


 きっと誰もがそう思っていたのだろう。もし、自分だけが人を救える立場にいるとしたら。

 もし、ほんの僅かな間でも、誰かのヒーローになれるとしたら。

 ポケットに入れていたヒーロー人形は、雨水と泥で汚れていた。梵はそれを手に取り、しばし人形と見つめあった。









「いやだぁ!お願い放して!!」


 暗く狭いバンの中では、少女が必死で暴れていた。しかし14歳の女性の力が、複数の成人の男の力に敵うはずもない。少女の手足はあっという間に押さえ込まれてしまった。

 少女は涙目になりながら何度も「やめて」と訴える。しかし男たちはそんなことお構いなしだ。


「暴れないでよお嬢ちゃ〜ん。ちょっと遊ぶだけだからさぁ」


 少女は絶望していた。こういう場合、どんな目に遭わされるか相場は決まっている。だが最早、その絶望から逃れる術はない。


「名前は美咲ちゃんでいいのかな?」


 今度は別の男がそう尋ねた。少女が持っていた学生証の名前を見たようだ。

 最初は気色の悪い猫なで声だった。だが少女がいつまでも答えずにいると、その小さな頰を全力で叩いた。


「名前は美咲でいいのか!!?」


 2度目は車内に響く怒鳴り声だった。

 少女は恐怖にかられながら、頰が痛むのも忘れて首を何度も縦に振った。


「あぁごめんね。大きな声出しちゃって」


 男の声が猫なで声に戻る。そして爬虫類めいた笑顔を少女……美咲に向けた。美咲の目には、それがたまらなく不気味に映った。

 男はそのまま、ゴツゴツとした手で震える美咲の頰をそっと撫でる。


「よし、段取りは頭に入ってるな?この子で遊び尽くした後は、体をバラバラに切り刻んで山や海に捨てる。くれぐれも足が着かないようにな」


 1人が他の男に指示を出した。

 美咲はぎゅっと目を閉じた。これ以上は聞きたくない。自分の運命など知りたくはなかった。

 不意に、頰に柔らかくヌメヌメしたものが当たった。これは人間の舌だ。その舌は美咲の頰を下から上にゆっくりとなぞりあげた。


「さ、楽しませてくれよ」


 男の手が、美咲のハーフパンツに触れた。


 だがその刹那、突然車体が激しく揺れた。同時に、何度も天地がひっくり返った。車内にいた人間たちは、なす術もなく上に下にと体を投げられてしまう。


「なんだ!?」

「ぐわぁ!!?」


 男たちはパニックに陥り、口々に悲鳴をあげる。


「いやぁっ!!」


 美咲の体もあちこちに叩きつけられ、全身に激痛が走る。そんな中で、懸命に掴まれるものを見つけようとしていた。


 車体の回転が5回を超えた頃だろうか。ようやくそれが収まり、嘘のような静寂が車内を包んでいる。

 車は横転しているようで、本来側面であるべき部分に美咲たちは倒れていた。

 間違いない。この車は事故を起こしたのだ。意識が朦朧とし、視界がぼやけている。それでも美咲は自由の効かない体で、その場に立ち上がろうとした。

 男たちは皆意識を失っているようだ。気絶しているのか、死んでいるのかはわからないが。

 いくら全身に力を込めても、立ち上がることはできない。一刻も早くこの車から出たかったが、痛みでどうすることもできなかった。

 突然、車体を数本の太い何かが貫いた。"何か"はそのままバンのバックドアを、いとも簡単に引き千切ってしまった。バックドアが破壊されてようやく、その"何か"が巨大な手であることがわかった。美咲は驚くことすらできず、その光景をただぼんやりと見つめていた。

 その手は人の全身ほどに大きく、青い外皮と鋭利な爪を持っている。それは鉄でできているはずのバックドアを紙のように握り潰し、一旦美咲の視界から消えていった。

 車内に日光が差し込む。美咲の恐怖の表情が照らされた。あの手の大きさから見ても、本体は10mを優に超えるだろう。

 鬼が出るか蛇が出るか、美咲は震えながら身構えていた。

 だが美咲の前に現れたのは、1人の少年だった。ボロボロの学生服を着た、美咲と変わらない年齢の少年。美咲は拍子抜けしてしまった。さっきのは一体何だったのだろうか。


「君、大丈夫?」


 少年が手を差し出してきた。それは勿論人間の手だ。美咲は何も考えられないまま、ゆっくりとその手を掴んだ。





 少女が手を取ったのを確認すると、梵はゆっくりと自分の方に引き寄せた。目立った怪我は見られないが、自力で立つのは難しそうだった。

 梵は少女に手を貸しながら、できる限り急いで車から離れた。ガソリンが漏れているため、いつ爆発するかわからない。

 何とか歩道まで少女を運ぶと、梵はその場に座り込んだ。ここまで来ればもう大丈夫だろう。

 周囲には雑木林ばかりが見えるが、民家もあることにはある。市街地からはかなり離れていたが、何とかなりそうだ。


「いい? 俺はもうここにはいられない。痛みが引いたら、あそこの家に行って警察を呼んでもらうんだ。出来るね?」


 もうしばらく少女の回復を見届けたかったが、いつ国防軍が嗅ぎつけてくるかわからない。梵はすぐさま立ち去ろうと決めた。


「じゃあ、俺はもう行くから」


 それだけ告げると、少女のそばから立ち去ろうとした。


「ねぇあなた……海成くんだよね?」


 不意に名前を呼ばれ、梵は驚いて振り返った。


「え……どうして名前を……?」

「やっぱり! 私、北中学の同級生! どうしてこんなところにいるの!?」

「え……えっと……」


 梵はたじろいでしまった。まさか本当の事情をベラベラと話すわけにもいかない。


「先生達があなたが行方不明になったって言ってたけど、一体今まで何をしてたの?」


 梵は下を向き、ついに黙り込んでしまう。


「あっ……ごめんね。色々いっぺんに聞きすぎちゃった」


 少女も複雑な事情を察したのか、すぐに話題を変えた。


「あの……助けてくれてありがとう。良かったら私の家に来ない? いかにも"行くとこありません"って感じの身なりだし」

「えっ……それは……」

「大丈夫。ただ恩返ししたいだけだから」


 梵は色々な可能性を考える。

 彼女は自分を警察や国防軍に売ろうとしているのでは……。


「信じて貰えないかもだけど……私はあなたに協力したいだけなの」


 梵は少女の真意について探ろうとしていた。これまでの経験から人間の悪意には敏感な方だが、彼女の目に悪意は見られない。


「信じて……いいの?」


 だが、やはり梵の警戒心はむき出しだった。これまで人に助けられたことなどなかったから、裏切られるのでは、という疑念がどうしても拭えない。


「私は絶対に人を裏切ったりしない」


 少女は強く、まっすぐな視線で言った。その表情は、嘘を言っているとは到底思えない。

 よくよく考えれば、彼女はなんの事情も知らないのだ。だから、しばらくは大丈夫なはずだ。もし真相がバレたら、さっさと逃げればいい。

 梵はしばし、彼女について行くことにした。


「私は美咲。よろしくね」


 美咲は笑顔を見せ、握手を求める。

 梵も、黙ってその手をとった。

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