第2話 報告
旧横浜市 D-スレイヤー基地-2030年12月4日
式条憲一は基地司令室の椅子に腰掛け、手元の資料に目を落としていた。デスクにも大量の書類が乱雑に積まれており、ペットボトルを置く隙間すらない。決して整頓されていないわけではなく、日々増えていく資料に整理が追いつかないのだ。
「エベニア共和国……? 聞かない名だな」
式条はデスクの前に立つ、鞍馬智沙少佐の顔を見る。
「つい数年前に誕生した新興国です。数十年に渡る内戦の末に独立を果たし、現在では所謂鎖国状態となっています。国連にも加盟しておらず、当然日本との外交的パイプも一切ありません」
「鎖国なんて言葉を現代で聞くとはな……」
式条は鞍馬から渡された、エベニアに関する資料を眺める。ページ数は異様に少なく、情報が不足していることは一目で分かった。
「ちょっと待て……この国は最近まで紛争をやってたんだよな?」
式条は不審そうに尋ねる。資料に印刷された画像には、アスファルトで完璧に舗装された車道や、小綺麗なオフィス街が写されていた。それはもう、欧米の煌びやかな大都会と見違うほどだ。おおよそ、数十年間戦火に見舞われていた国とは思えない。
「他国の支援も得ずに……ここまで国を発展させたのか」
「はい……でもそれは先週までの話です」
その言葉の意図が分からず、式条は再び顔を上げる。
「どういう意味だ?」
「資料にあるキルノマ市は、2日前に壊滅しました」
式条は言葉を詰まらせた。衝撃的な事実に、思わず息をするのも忘れてしまいそうになる。
「壊滅だと……?」
「それもたった一夜でです」
鞍馬から新たな資料が手渡される。表紙部分には、国際連合のシンボルマークが描かれていた。
「これは国連平和維持軍により行われた、キルノマ市調査に関する報告書です」
「国連? また随分と仕事が早いな」
数ヶ月前の安保理決議により、PKFの招集・出動は以前よりずっと簡易になっていた。それだけではない。今やほぼ全ての国家が手を結び、共通の脅威に立ち向かおうとしているのだ。人類滅亡の危機を前に世界平和が実現してしまうとは、なんとも皮肉なものだ。
「当初は、核兵器の誤爆等が原因として疑われていました。しかし現地の放射線量は極めて微量で、核爆発の痕跡など一切ありませんでした」
「ならば……」
考えられる原因は一つ、ドラゴンの襲撃だ。"アメジスト"のようなドラゴンが、再び出現したのだ。
「ついに来たか……。敵の捜索は進んでいるのか?」
無論、ドラゴンの出現は想定の範囲内だ。各国の軍は数ヶ月にわたって協議に協議を重ね、強力な防空網を築き上げている。世界中どこにドラゴンが現れようと、即応できるだけの態勢は整えてあるのだ。
しかし、鞍馬が首を縦に振ることはなかった。
「大佐、まずは資料をご覧になっていただけますか……?」
鞍馬の口調はやけに重苦しかった。
言われるままに、式条は資料のページをめくる。その中身は、想像を絶するものだった。
「何なんだ、これは……」
無意識に声が震えてしまう。
資料にはまず、キルノマ市全体の航空写真が載せられていた。建物が根こそぎ吹き飛んでいるのは勿論のこと、地面には数kmに渡り一直線に抉られた痕もある。それは廃墟の街に無数に刻み込まれており、さながら巨大な鉤爪に引っ掻かれたかのようだ。
2枚目以降の画像には、斜めに斬り裂かれているビル群がいくつも写っていた。単なる火炎や火球ではこうはならないだろう。鉄とコンクリートの構造物をチーズのように真っ二つにするなど、一体どうやって……。
「この未知のドラゴンは、今までの個体とは比較にならないほどの破壊力を有しています。キルノマ市を、ものの数分のうちに壊滅させるほどの……」
式条はさらにページをめくる。指に力が入っているせいで、紙はしわくちゃになっていた。
"切断面には高熱による融解が見られる。確認された破壊痕から考えるに、新種の個体は重イオンを亜光速で投射する、いわば荷電粒子砲のような攻撃手段を持っていると推測される。"
画像の解説文にはそう記載されていた。
海成天人の個体、通称"オジマンディアス"ドラゴンは、攻撃にプラズマ弾を使用していた。だが荷電粒子砲など……そんなもの、殆どSFの世界だ。
式条は資料をデスクに放ると、深くため息をついた。
「……こいつが例の"イーラ"である可能性は?」
「それは何とも言えませんが、エベニア共和国がメサイアと関わっていたのは確実かと」
「エベニアはメサイアに利用された、というわけか」
国連非加盟国であれば、サーガ機関であろうと手の出しようがない。奴らはそこを突き、エベニアの地でイーラを復活させたのだ。そう考えれば、色々と合点が行く。
「ありがとう鞍馬、下がっていいぞ」
「はい、失礼致します」
鞍馬は丁寧に敬礼をすると、姿勢を崩さぬまま部屋を後にした。彼女が感情を表に出さないのはいつものことだ。まぁ、軍人としてはそれが正しいのだろうが。
式条は書類の山を漁り、その中からタブレットを引っ張り出した。30分ほど前、サーガ機関からメッセージが届いていたことを思い出したからだ。
メッセージには動画が添付されていた。式条はすぐさま再生ボタンを押す。まず人間の目を模したサーガ機関のシンボルマークが表示され、続いて動画の説明文に切り替わった。
"この映像は、七潮島で拘束されたメサイアの構成員ナガト ケイスケの尋問記録である。
キューバ グアンタナモ米軍基地 11-29-2030"
テロップが消えると同時に、本編と思しき映像が始まった。監視カメラから取調室の様子を捉えた映像であり、部屋には米兵らしき数人の男と、スーツを着た尋問官らしき男がいた。彼らの視線の先には、手錠で椅子に拘束された青年の姿がある。
尋問官の男は青年の背後に回ると、ゆっくりとその肩に手を置いた。
『お前は全てを話したのか? 本当に?』
尋問官の口調は穏やかだった。しかし、それが逆に不気味さを増幅させている。
『ハァ……隠し事をする理由があるか……? この世界はもう……終わるってのに……』
苛烈な尋問を受け続けたせいか、青年は憔悴し、息も絶え絶えになっていた。
『世紀の悪党の部下が随分と弱気なもんだな』
『悪党か……ハァ……ハァ……天人様は世界を救おうとしたってのに』
『人間を化け物に変えてか?』
『フッ……お前たちはいつもそうだ……現体制を守ることしか頭にない……。何の代償も払わずに……生存を享受しようとする……』
『エリック・ウォレスについては? 何も情報を持っていないのか?』
『ハァ……ウォレスを殺したところで……もうどうしようもない。最早……イーラを止めることはできない。お前たちが……お前たちが……!』
突如として青年は怒りを露わにし、拘束された身体を無茶苦茶にバタつかせ始めた。手錠部分からは、ガチャガチャという激しい金属音が響く。
尋問官は脱兎の如くその場を離れ、米兵たちが一斉にライフルを構える。
『お前たちが邪魔をしたせいだ! D.G.ウィルスだけが、破滅を回避する唯一の鍵だったのに!! お前たちが!!!』
そこまで見て、式条は停止ボタンを押した。
もうたくさんだった。イーラ、ドラゴン、世界の破滅……これ以上聞いていたら頭がおかしくなってしまう。
最近は仕事詰めで、ロクに睡眠も取れない毎日が続いている。意識もぼやけ始めており、限界が近いことは明らかだ。もう1週間以上も、娘の顔すら見れていない。
式条は過酷な現実をシャットアウトするように、ゆっくりと瞼を閉じた。




