エピローグ 胎動
中部アフリカ エベニア民主共和国首都 キルノマ市
オベレ・ボワンダは大統領執務室の窓から、街の様子を眺めていた。この国はものの数年で、著しい発展を遂げた。大統領であるボワンダ自身も、夢ではないかと錯覚するほどに。とても、数年前まで紛争の真っ只中だったとは思えない。
街には高層ビルこそ見当たらないものの、インフラ面に関しては先進国にも引けを取らないレベルだ。道路にはアスファルトが整備されているし、町中どこでも4G回線が使用可能である(一部施設では5Gも運用されている)。さらに夜になれば、建物という建物が闇を彩るネオンへと変わる。
この奇跡ともいうべき発展は、独力で成し遂げられたものではない。"神の力を持った組織"の後ろ盾があったからこそだ。エベニアがまだ他国の領土だった頃、ここは内戦の絶えない地域だった。ボワンダも、AK-47を手に戦場を駆け回っていた。ただ、独立という未来を信じて。しかし政府軍の力は圧倒的であり、仲間の死体だけが日々増えていった。誰もが希望を捨てかけていた。だがそんなある日、見たこともない姿の怪物が空から現れたのだ。
怪物は政府軍の兵士を次々と八つ裂きにし、戦車を一撃で鉄くずに変えた。幻を見ているようだった。誰もが、これが神の奇跡であることを疑わなかった。ボワンダ達は怪物に跪き、そして尋ねた。
――――貴方は何者か?
怪物は答える。
――――救世主だ。
それから数ヶ月も経たぬうちに、エバニア民主共和国は独立を果たした。メサイアは独立後も政治的・経済的な支援を続け、今では内戦や国境紛争とは無縁の、平和な国家が築き上げられている。国民にとって、メサイアは守護神そのものだった。
執務室のドアがノックされる。入ってきたのは、ボワンダよりも一回りほど若い白人の男だ。その身には、黒いローブを纏っている。
「これはこれはウォレス卿。いらしているとは」
「お構いなく。今来たばかりですよ」
エリック・ウォレス……メサイアの元副官であり、現在では最高指導者の立場を務める人物であった。
「オウル卿の死、心よりお悔やみを申し上げます」
「ありがとう、大統領」
「彼は我々にとって、真の英雄だった。エベニアの独立を助け、別の大陸の肌の白い連中からも守ってくれた」
「たとえオウル卿が亡くなったとしても、エベニアとメサイアの同盟が潰えることはありませんよ」
ボワンダとウォレスは互いに笑みを見せ、固い握手を交わした。
「今回も、地下の"アレ"が訪問の目的で?」
「ははは……お見通しですか」
ウォレスは僅かに苦笑いを浮かべる。その長めの前髪をたくし上げると、ローブを翻して執務室を後にした。
キルノマ市郊外 タイレム山
ウォレスは一人、粗末なエレベーターでタイレム山の地下へと降りていた。金属の軋む音が常に聞こえ、滑車からは一定間隔で火花が散っている。いつ棺桶に変わってもおかしくないエレベーターに、5分弱も乗っていなければならない。ウォレスとしても、こればかりは流石に気が滅入った。
籠がようやく停止して、開閉ドアとは名ばかりの金網が不快な音を立てて開く。その先には、細く真っ暗な岩窟がどこまでも続いていた。ウォレスは躊躇なく、その空洞を進んでいく。カツンカツンという足音だけが、洞窟内で幾度も反響した。
ウォレスがわざわざこんな場所に来たのには、勿論理由がある。むしろ、この場所を確保するためだけに、膨大なリソースを費やしてエバニア共和国を独立させたのだ。この洞窟の奥にいるモノこそ、メサイアという組織の全てと言っていい存在だ。
ウォレスは最深部へ辿り着くと、足を止めて恭しく跪いた。この場所については、組織の中でも極一部の人間しか知らない。メサイアにとって、この空間はまさしく王の間なのだ。
「イーラ様……」
ウォレスが暗闇の奥にいる王に向けてこうべを垂れる。そこは、先ほどの細道から続いてるとは思えないほど広々とした空間だった。縦横それぞれ数十mはあり、明らかに自然の産物ではない。この空間を作った主は、巨大なサナギを思わせる物体に包まれて、不気味な呼吸音を立てていた。
「……裏切り者は死んだのだな?」
洞窟全体を震わせるほどの低い声が響く。その声に、ウォレスは体を跳ね上がらせる。
「はい、もうご心配には及びません。海成天人には既に裁きが下っております」
「……ならば良い。再び太陽を拝む日を気長に待つとしよう」
イーラ……始祖のドラゴンにして、唯一絶対の王。全ての生命体の頂点に君臨する存在。まさしく、神と呼ぶに相応しい。
イーラの復活こそ、メサイアの悲願だった。進化の理に囚われた生物を排し、究極の生命だけの世界を創る……組織はその目的のために存在しているのだ。
王は長い間眠りについていたが、それも間もなく終わる。他国からの干渉を避けるため、イーラの眠る地に独立国家を作り上げた。全ては首尾よく進んでいる。あとは……王を地上に迎えるだけだ。
サナギのような物体は、無数のドラゴンの死骸であった。死んだドラゴンに残された遺伝情報をイーラに移し、その肉体を再生させようとしているのだ。イーラの本体は大量の亡骸に覆われているが、赤い瞳だけはしっかりとウォレスを見下ろしていた。
「2億年以上前、我らは神によって支配者の座を追われた。だが神は最早、この世界には存在しない」
「ええ……今は神の力を宿した、貴方がいるのみ」
「見事な働きであったぞ、ウォレス」
イーラは地響きのような音を立てて、大きく深呼吸をする。その息遣いは、どこか笑っているようでもあった。
ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!
慈悲の欠片も感じさせない、獰猛な咆哮が轟く。岩盤に亀裂が入り、礫がそこら中に降り注いだ。ウォレスは両手を広げ、全身で風圧を感じ取る。
――――もうすぐ、この世にドラゴンが再臨する。未だ嘗て無い人類の悪夢……殺戮の狂宴が、ついに始まるのだ。
ロスト・ドラゴン・ヒーローズ-第2章- 完




