第32話 孤独
七潮島-2030年7月29日
一連の惨劇から1週間が経過した。
関東地方に大量の火山灰を降らせた初嘉山の噴火は、今のところ小康状態を迎えている。小康状態とは言っても、終息したわけではない。山頂の噴火口からは、量は減ったとはいえ未だに太い黒煙が噴出していた。
島の状況も惨憺たるもので、木々や建造物は1つとして見えず、全てが跡形もなく土に還っていた。陸と呼べる部分は火山灰に深く覆われ、とても生物が生きられる環境ではない。ここは今や「死の島」と呼称するに相応しかった。
『アルファチーム、前進する』
そんな破滅の大地の中を、10人程度の特殊部隊員たちが息を切らして進む。全身がガスマスクと防護服に包まれている上に、膝上あたりまで火山灰が積もっているため、一歩踏み出すだけでも体力を要した。ボンベの酸素の量は、想定よりも減っている。
『メサイアの秘密施設ってのは、地下にあったんだろ?』
『ああ、そうらしい』
『そんなもん、原型をとどめてると思うか? ましてやD.G.ウィルスのアンプルなんて……』
『まず無いな。島にあるもんは根こそぎ溶岩で焼けちまってる。上層部のアホどもは、淡い期待を抱いてるようだが』
彼らは皆、サーガ機関実働部隊のメンバーだった。D.G.ウィルスの回収が主な任務だったが、都合よくウィルスが見つかるとは到底思えない。灰のせいで視界も悪く、ライトもほとんど役に立たない状況なので、疲労と苛立ちだけが募っていた。
『……ちょっと待て。何かあるぞ』
突然、隊員の1人が切迫した調子で言った。一瞬で全員が警戒態勢に入り、アサルトライフルが構えられる。
『何を見つけた?』
『……あれだ』
隊員の指差した先には、何も無いように見えた。しかし目を凝らすと、確かに火山灰の一部が奇妙に盛り上がっている。火山灰はどこも平坦に降り積もっているのに、そこだけが明らかに不自然だった。まるで、大海原に浮かぶ鯨だ。
『これより接近する』
息をさらに荒げながら、隊員の1人が近付く。その手で、恐る恐る盛り上がりに触れた。火山灰が払われ、内部にあった"モノ"が露わになる。
『鱗……?』
隊員が呟く。中から出てきたのは、確かに生物の鱗だった。黄色くゴツゴツとした、鋼鉄のような硬さの鱗……。それは、ドラゴンのものに酷似していた。
『おい、こいつまさか……!』
『みんな退がれ! 退がるんだ!!』
隊員が声を上擦らせて叫ぶ。刹那、火山灰が一気に隆起し、そして雪崩のように崩れ落ちた。灰の中から現れたのは、案に違わずドラゴンだった。体長10m弱で、確認された個体の中ではやや小さい。
『アルファよりHQ! 緊急報告! ドラゴンが出現!! 体色はイエローだ!!』
特殊部隊のメンバーは一斉にライフルを向ける。トリガーに指を置き、いつでも弾丸を撃てる態勢をとった。
『隊長! どうします!? 撃ちますか!?』
『いいや待て。何か変だ』
隊長の男はそこで妙なことに気付いた。ドラゴンは隊員達を見下ろすばかりで、全く攻撃の意思を示さないのだ。キョロキョロと幾度も辺りを見回しており、むしろ何かに怯えているようにも見える。
『こいつ……一体何をしてるんだ?』
下手に撃ってドラゴンを刺激するわけにもいかず、膠着状態が続く。やはりドラゴンは炎を吐こうとも、隊員を踏み潰そうともしなかった。
「あの……ここは……どこですか……」
ドラゴンから人語が発せられる。その場にいた全員が、己の目と耳を疑った。
『おいおい、喋ったぞ!?』
『こいつ、人間だった頃の意識が残ってるのか?』
D.G.ウィルスに感染すると、突然変異と共に人間だった頃の理性や記憶が失われる、というのが報告書の内容だった。しかしこの黄色いドラゴンからは、明確な理性が伺える。
「助けてください……お願いします。怖い……僕はどうなってるんですか……?」
『我々に助けを求めてるようですが……どうしますか?』
『助けるといってもどうすればいい?』
隊長の男は銃を下ろし、一歩ずつゆっくりとドラゴンに近付いた。
『おい君、君は元々人間なんだな? 名前は言えるか?』
「新汰です……一ノ瀬新汰」
隊長は部下に"武器を下ろせ"というハンドサインを出す。そしてすぐさま、本部に無線を入れた。
『HQ、このドラゴンには人間の理性が残っている。意思疎通も可能だ。報告と些か違うようだが?』
『いつだって不測の事態は起こり得る。輸送部隊到着までドラゴンを現場に確保しておけ』
ほぼ同時に、別の部隊からも報告が入った。
『こちらデルタチーム。こっちも収穫アリだ』
デルタチームは、アルファチームとは別の海岸から上陸して調査を行なっていた部隊だ。
『何を見つけた?』
『ドラゴニュートだ。体色はブラウン。瀕死の状態だが息はある。周囲には這いずった跡もある……初嘉山の方から逃げてきたようだ』
『ドラゴニュートだと……』
メサイアの生き残りであることは明白だった。そして今現在、組織への数少ない手がかりであることも。本部の返答は早かった。
『よし、そいつも拘束し回収しろ。色々と聞き出せればいいが』
旧横浜市 D-スレイヤー基地
「よっしゃあ~~外だぁ!!!」
雪也、そして梵は1週間ぶりに新鮮な空気を吸う。D.G.ウィルスによる影響を調べるため、ずっと軍の施設に缶詰にされていたのだ。体内のウィルスは死滅し、二次感染の危険もないため、ようやく外出を許可されたという形だ。首輪から解き放たれた犬のようにはしゃぐ雪也の後ろを、梵は浮かない足取りでついて行った。
基地は未だ半壊状態だったが、最低限基地として機能する程度には復旧していた。梵は慌ただしく駆け回る兵士たちを一瞥すると、空を仰いだ。火山灰雲はすっかり晴れ、黄金色の太陽が顔を覗かせている。
――――これから、どうすればいいんだろ。
両親と会えさえすれば、自分の居場所が見つけられる……そう心のどこかで確信していた。だが結果はこれだ。これから先、どんな未来を描けばよいのだろうか。
「ソヨ! 雪也!!」
聞き慣れた声と共に、1人の少女が走ってくる。
「美咲!!」
雪也が嬉しそうに少女を迎えた。2人は息ぴったりにハイタッチをし、互いの無事を喜び合う。
「もう! 何で連絡もしないのよ!」
「だって軍の奴らがよ……」
楽しそうに笑う友人たちを見て、梵は笑みをこぼす。
そうだ。両親がいなくても、俺には仲間がいる。俺は独りじゃない。悪夢は全て終わったんだ。彼らは、俺を家族のように慕ってくれる仲間だ。
……だが、本当にそうだろうか。
「美咲ちゃん!」
やや白髪の混じった頭の軍人が、美咲の名前を呼ぶ。木原中将であった。その隣には、梵もよく見知った精悍な顔つきの男性がいる。
「お父……さん……?」
美咲はその男を見た途端、体をフリーズさせた。その瞳には、涙が滲んでいる。男の姿が自分の父であると確信した瞬間、他の人間には目もくれず一目散に駆け出した。
「お父さん!!」
美咲は父の胸に飛び込む。式条憲一は、屈強な両腕で己の娘をしっかりと抱き締めた。式条の体にはまだ細かい傷が残っていたが、日常生活に支障のない程度には回復していた。
「美咲……ごめんな。長い間家を空けないって約束したのに」
「そんなこと、いいよ。生きててくれただけで嬉しい」
父と娘は、そのまましばらく離れることはなかった。
木原は親子に水を差さぬよう気を使いながら、隣に構えていた女性軍人に耳打ちする。
「鞍馬、一応聞くが……ウィルスに関してはもう問題無いんだな?」
「国立感染症研究所からの報告では、体内に侵入したウィルスは2~3日以内に死滅し、感染力を失うとのことです。危険はまず無いかと」
「それは良かった。だが、既に感染した者は?」
「残念ですが、現状抗ウィルス薬は存在しません。発生したドラゴンは、遺憾ながら殲滅以外に方法は……」
「そうか……」
木原は深いため息をついた。
梵は仲睦まじい親子の様子を、遠目から見守っていた。我が子を何よりも想う父……そんな姿に、一抹の寂しさを覚えた。自分が天人に求めていたのは、ああいう父親像だったのかもしれない。
結局ところ、美咲には家族が残っているのだ。自分とは違う。多少の溝があったとしても、親子は親子だ。決して孤独にはならない。梵は初めて、美咲との明確な隔たりを感じた気がした。
そんな疎外感を紛らわすべく、半ば救いを求めるように雪也の方を向く。しかし、梵の期待はすぐに打ち砕かれた。
「おい! 雪也!!」
見覚えのない6人ほどの少年が、雪也に手を振っていた。少年たちは親しげな笑みを浮かべながら、周りの兵士たちを掻き分けて進む。
「お前ら……何でここに!?」
雪也の方も、梵が見たこともないような歓喜の表情を浮かべていた。見るからに、数年来の親友という雰囲気だ。雪也が少年たちに勢い良く抱きつき、彼らはそのまま後ろに倒れ込んでしまう。少年たちは文句を言いつつも、戯れを心から楽しんでいるようだった。
「雪也……おじさんから全部聞いたぞ。お前、俺らの知らないとこでずっと一人で戦ってたんだってな」
「へへっ……バレつった?」
「笑い事じゃねぇよ! 俺たちの間で隠し事は禁止だぞ!」
「悪かったって! でもよ……」
「でもは無しだ! ちったぁ反省しやがれ!」
「待って拓巳……うわぁっ!?」
拓巳と呼ばれた少年は、おもむろに雪也をくすぐり始める。互いにワイワイと大声を上げているが、その顔は満更でもなさそうだった。体を土まみれにしながら、少年たちは満ち足りた笑みで転げ回っている。
そんな彼らを見守るように、1組の老夫婦が立っていた。雪也の祖父母である、和彦と智子だ。梵はどこか覚束ない足取りで、2人のそばへと歩く。
「あの……彼らは誰ですか?」
少年たちを指差し、そう尋ねる。
「ん? あぁ、拓巳たちか。あいつらは雪也の大親友でな、小学校の時からずっと一緒にバスケに明け暮れてたんだ。どうしても雪也に会いたかったらしくてな、長野からここまでついてきてしまった」
和彦は苦笑いをしながら話す。
「本当に仲が良くてなぁ、友達を通り越して兄弟という感じだよ。互いを心から信頼し、支え合ってる。何年も一緒に過ごして、相手のことなら何でも知ってるんだ。見ているだけでも分かるだろう?」
「雪也にとって一番大切な仲間は……彼らだったんですね」
「ああ、その通りだとも」
感慨深げに語る和彦から、梵はそっと目を背けた。どうしようもなく自分が惨めで、いたたまれなく思えた。自分にとって、友と呼べる人間は雪也や美咲しかいない。だが彼らにとって自分はきっと、有象無象の存在でしかないのだ。
「よーーーし、帰ったら俺の奢りで焼肉だ!」
「「「うおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」
和彦の言葉に、少年たちが歓声をあげる。そのまま彼らは梵に目もくれず、談笑しながら歩き去っていった。
梵は居心地の悪さを覚えながら、その場に立ち尽くしていた。雪也が命懸けで世界を守ろうとした理由……それはきっと、大切な人間がいたからなのだろう。祖父母や友人、家族と呼べる者たち。梵が金輪際持つことのできない存在。世界を守るということは、「大事な人々が生きる世界を守る」ということなのだ。誰かと信じ合い、想い合い……そうして人は繋がっていく。
だがもし、自分を想ってくれる人間が誰もいなかったら? 自分が消えた時、涙を流してくれる人間が誰もいなかったら?
そんな世界は、滅んでいるも同然だ。
強大な悪を打ち倒しても、どこの誰とも知らない人間を救っても、乾きが癒されることは永遠にない。孤独という刃がさらに深く突き刺さり、心に無窮の痛みを刻み込むだけだ。
もしもこの先ずっと、誰かにとってかけがえのない人間になれないのなら……家族と呼べる存在に巡り会えないのなら――――
――――守る価値があるのだろうか……こんな世界なんて。




