第5話 未知の生物
式条は朝早くから防衛省を訪れていた。横浜に現れた"ドラゴンのような生物"に関しての専門家が訪れるためだ。
果たして怪物の専門家とは一体どんなものなのか。普段はオカルト番組のごとく未確認生物でも追いかけているのか、と内心笑っていた。
小さめの会議室の中には、式条のほかに4人の軍人がいた。いずれの人物も、式条よりも高い階級だ。下っ端の立場になるのはしばらくぶりだった。
すると部屋のドアが開き、兵士の誘導で一人の男が部屋に入ってきた。やや背が高く、髪はほとんど白くなっている。老人一歩手前と呼べる年齢だろう。白衣を着ていることから、例の専門家と見て間違いない。
だがそれ以上に式条が興味をそそられたのは、男の顔だった。部分部分で明らかに皮膚の色が違い、おぼろげながら縫い目も見える。皮膚の移植手術でも受けなければこうはならない。
よく見ると、手にも同じような跡があった。傷は全身に及んでいるのだろう。
「私を初めて見た人間は、皆驚きますよ」
そう声をかけられて、全身から冷や汗が溢れた。式条はポーカーフェイスには自信があったが、それ以上に男の観察眼は鋭かった。
「す……すみません」
「いいえ構いませんよ。貴方の目から軽蔑の意図は感じない」
そう言って、男は穏やかに微笑んだ。式条は気まずくなり、急いで目を離した。
「私はサーガ機関から参りました、富士田承之介と申します。こちらは助手の朝霧葉月」
そう言って、富士田は隣の若い女性を指した。軍人たちは彼らに軽く一礼をする。
「私はサーガ機関で主に未確認生物の調査を行なっておりまして、これは我が組織においても重大な案件です」
「待った……サーガ機関とは?」
式条が思わず質問を飛ばした。聞いたこともない単語が、当然のように出てきたことに驚いたためだ。
「世界に潜む未知なる脅威に対抗するための、国際的な組織です。秀でた科学者や軍人によって構成されています」
「聞いたことがありませんね」
「殆どの活動は極秘でして」
「月刊アトランティスの取材も活動の内ですか?」
式条の茶化しにも、富士田は愉しげに笑って応える。
「……では本題に戻ります。1ヶ月ほど前、シベリアの永久凍土で事故が起きました。氷河が突如数百mに渡って崩落し、ベースキャンプを丸ごと飲み込んだのです。これはその際の映像です」
そう言うと、富士田は部屋のスクリーンに動画を流した。
酷いものだった。次々に映し出される、屍の数々……。頭が潰れた死体、四肢があらぬ方向を向き、全身が凍りついた死体、そして、ほぼ全ての皮膚が焼け焦げた死体。どれも吐き気を催すほどに残酷な光景だ。
画面が切り替わると、氷河の内部の映像が映し出された。そこにあったのは、氷の中に閉じ込められた巨大な生物の姿であった。それは恐竜に似ていたが、翼ががあることから翼竜にも見える。2つのちょうど中間……。
その姿は、式条が昨日見た怪物の姿にそっくりだった。
「シベリアで起こった事故は、この未知の生物により引き起こされたものです。この生物……適切な呼び名もないので、これを"ドラゴン"と呼称します。このドラゴンはおそらくペルム紀より以前に存在したもので、大量絶滅の際に全ての個体が死亡、または冬眠に入ったのでしょう」
「そのドラゴンが、昨日横浜に出現した"サファイア"と関係しているのですか?」
「サファイア」……式条が遭遇した個体に与えられたコードネームだ。青く輝く全身の鱗からその名に決まった。
「……まるで不明です。ですが現在地上には、少なくとも2体のドラゴンが確実に存在しているのです」
「少なくとも?」
「我々はもう1体、ドラゴンが潜んでいると睨んでます。それもこの日本に」
会議室にいた全員がざわつく。今度はスクリーンに別の画像が表示された。
夕焼けの中に、翼を大きく広げた何かが写っている。ツノやコウモリのような翼を持ち、反射によって黒く浮かび上がるその姿は、さながら悪魔のようだった。
今度は富士田博士の横にいた女性が説明を始めた。
「これは、5年前に長野県で撮影された画像です」
朝霧という女性の声は落ち着いていて、聞き心地の良いものだった。
「ちょうどこの時期、この場所で"空飛ぶ未確認生物を見た"という情報が多数上がっています。これは決してフェイクなどではなく、ドラゴンまたはその近似種であると考えています」
その話には式条も聞き覚えがあった。
数年前に一時話題になっていた騒動だ。その時は、よくあるネットのデマか勘違いだと思ったが……。
今度は式条の横に座っていた木原中将が質問をした。
「つまりこの世界には、シベリアに出現した個体、長野に出現した個体、そして海成梵の3体のドラゴンがおり、いずれも所在不明であるということですね?」
「その通りです」
式条は軽く頭を抱えた。
昨日見たあのドラゴン……あんなものが他に2体もいるというのか。その事実だけでも頭痛がするというのに、サーガ機関なる秘密結社もどきまで出てくるとは。
そのまま深呼吸をして、脳を休めるように背もたれに寄りかかった。
「……式条中佐? おい式条?」
木原中将の声が耳に届くと、式条は慌てて意識を戻した。
「海成梵についての詳細を報告してくれ」
「は……はい! ただ今」
式条は勢いよくその場に立ち上がった。
手元に資料の類はなかったが、大まかなことは頭に入っているので問題ない。
「海成梵は14歳の少年で、実の両親は不明。幼い頃に里親の元に預けられたようです。あまり人と関わるタイプではなかったようで、同級生も彼について殆ど知りませんでした。後日里親にも事情を聞く予定です」
「中佐から見て、彼は自分の能力について知っていた様子でしたか?」
質問をしたのは富士田だった。
「……いいえ。彼はかなり取り乱していましたから」
そう答えて、式条の中に新たな疑問が湧いた。
彼は何故同級生7人の殺害などという凶行に及んだのだろうか。もし能力を暴走させたのだとすれば、再び大勢の人間を殺す可能性もある。そうなる前に、なんとしても手を打たなければならない。
今は報道規制が敷かれているが、事態が大きくなれば国中がパニックになるだろう。
「では皆さん、今後ともご協力のほどをよろしくお願いいたします」
そう言って富士田は深々と頭を下げた。朝霧もそれに続いて一礼をした。
「中将……本当に彼らは信用できるんですか?」
会議室から出た廊下で、式条は責めるような口調で問うた。サーガ機関なる組織について、自分だけが何も知らなかったからだ。
対して木原中将は、つとめて冷静に言葉を返す。
「サーガ機関については政府のお墨付きだ。心配はいらない」
「政府のですか?」
「"サーガ機関と共同で作戦に当たれ"というのが今回の命令だ」
「しかし……我々は彼らについて何も知りません」
式条はさらに食い下がった。軍人である以上、命令は絶対だ。しかしなんの事情もわからないまま、部下の命を危険に晒すわけにもいかない。それが未知の敵であるならば尚更だ。
「えぇ、信用できないのもよく分かります」
後ろから不意に話しかけられ、2人の軍人は同時に振り返る。
そこに立っていたのは富士田だった。いつから後ろにいたのかは分からない。気配をまるで感じさせず、忍者のように彼らの背後に立って、貼り付けたような笑みを浮かべていた。
「えっと……彼がこの事件を担当する式条憲一中佐です。とても優秀な軍人で、4年前にシリアで起こった実戦で、1人の死者も出さず全員を帰還させたという実績を持っています」
「それは素晴らしい」
気まずい沈黙を破った木原中将の説明に、富士田は大げさなほどに感心した。
すると今度は、式条に向け右手を差し出した。握手を求めているらしい。式条はそれに応じて、富士田の手を握る。
「あなたを信頼してますよ。式条中佐」
「ありがとうございます富士田博士」
式条は富士田の顔を間近で見つめた。彼の真意を探ろうとしていたのだ。
しかし、富士田の笑顔は先程までと全く変わっておらず、まるで仮面のようであった。
式条はその中に何かとてつもない、不気味で恐ろしいものを感じた。