表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ロスト・ドラゴン・ヒーローズ  作者: モアイ
第2章 運命に呪われし少年
79/126

第31話 喪失の痛み

 気がつくと梵は、深い闇の中にいた。

 果てしなく暗く、何もない空間。この世から光が失われたかのような、終末的で絶望的な世界。それがこの場所だった。五感はまるで機能していない。ここが現実の世界でないことは、すぐに理解できた。


 ――――そうか……俺はあいつに殺されたのか……。


 自分でも驚くほど冷静に、今の状況を受け入れられた。天人は今頃どうしているだろうか? きっと東京中にウィルスをばら撒き、滅びゆく世界を見下ろしながら高笑いを上げているのだろう。だが不思議と、怒りや悔しさは湧かなかった。もう、どうでも良かった。両親に再会したいと願い続けて、ようやく巡り会えた結果がこれだ。あの世界には希望なんて無い。それならばいっそ、この闇の中に留まっているのも良いだろう……。


 ――――ほう……お前は本当にそれで良いのか?


 ふと、そんな声が聞こえた。いいや。聞こえたと言うよりも、直接頭の中に刻み込まれたと言った方が近いかもしれない。


「だ……誰だ?」


 梵は声の主に尋ねてみる。


 ――――前にも話しただろう? 忘れたわけではあるまい。


 この恐怖の権化のような声……確かに聞き覚えがあった。そうだ。この声は……。


「イーラか……」

『ようやく思い出したか。また会えたな』


 それは確かに冷徹で、生物の本能的な恐れを呼び起こすような声であった。しかし、敵対や攻撃の意図は感じ取れない。


「一体何の用だ?」

『そう身構えるな。お前が今最も欲する物を与えてやろうというのだ』

「俺が欲する物?」

『お前の父の死だ。奴を地獄へ送ってやりたいのだろう』

「俺はあいつに殺された。だから今ここにいる」

『それは違う。ここはお前の意識の中。我がお前を呼び出したのだ。まぁ、お前が死にかけているのは事実だが』


 イーラはさも愉快そうだった。戦いの行方を愉しむギャラリーのつもりなのだろう。


「どういうつもりだ? どうして俺に手を貸す?」

『実を言うと、ウミナリアマトは我らにとっても目障りな存在なのだ。だからお前に我の力を貸し与え、奴を始末しようというわけだ』

「なるほどな……天人を消すために俺を利用したいのか」

『これは利害の一致だ、ソヨギ。このまま復讐すら果たせず惨めに死にたいと言うなら、邪魔立てはしないが』


 まさしく悪魔の取引だな、と梵は内心笑う。選択肢は最初から一つしか無いようだ。


「分かった。天人は俺が(たお)す。お前の力を借りるぞ」

『……そう来なくてはな』


 どの道イーラも、人類の破滅を望んでいることに変わりはない。天人に勝てたとしても、イーラが世界を滅ぼすだけだ。だが、今ここで死を受け入れるよりは……為す術もなく奴に殺されてしまうよりは……。


『さぁ、我が末裔よ……(おの)が運命を果たしてこい』


 梵の視界が、瞬く間に光に包まれた。



 







 墨色の空へ向けて、一筋の光の柱が放たれた。梵はぼんやりとした意識で、その様子を虚ろに見つめる。青く輝く柱は雲を一瞬だけ紺碧に染めると、やがて途切れるようにして消えてしまった。


「グァァァァァァ!!!」


 直後に聞こえた耳をつんざく悲鳴が、梵を幻想の世界から引き上げた。悲鳴は天人のものだった。天人は自分の溶けかけた鉤爪を交互に見ながら、半狂乱に陥っている。その鉤爪は、ついさっきまで梵の鼻と口を塞いでいたものだ。


 ――――まさか、これがイーラの言っていた"力"……?


 青い光の柱……それは確かに、梵の口から発せられていた。まるでSFに出てくるレーザー光線だ。天人の鉤爪を焼いたのも、あの光線なのだろう。

 続いて体を起こしてみる。これも驚くほど上手くいった。瀕死の重傷を負っているのが嘘のように、体が軽い。それだけでなく、自分の意思と完全に共鳴している。ある日突然オリンピック選手並みの身体能力を手に入れたような、そんな感覚だ。このドラゴンの体が如何なるものなのか、ようやく理解できた気がした。


「その力……貴様まさか!?」


 天人も状況を理解したようだった。情けなく目を泳がせながら、翼を引きずって後ずさり始める。


「貴様は……イーラか……!?」

「いいや。これは俺の意思だ。俺の復讐だ」


 梵の鉤爪が、天人の右目を斬り裂く。強靭な鱗はまるで濡れた泥のように崩れ落ち、眼球からは青紫の液体が吹き出した。

 天人は逃げるようにして上空へ飛び上がる。勝てないと悟り、せめてウィルスだけでもばら撒こうという魂胆なのだろう。しかしそれを許すほど、梵は優しくなかった。口元を輝かせ、もう一度あの光線を放とうとする。

 全身から力が湧き上がった。これがイーラの持つ"力"なのか。まさしく破壊の神の力だ。


「さよならだ……父さん」


 青白い光の槍が、灰色のドラゴンを貫く。天人の断末魔の叫びが響き渡る。意思を失った灰色の体は、吸い込まれるように力無く滑走路へと落下していった。









 梵は遠い昔のことを思い出していた。まだ幼かった頃……里親のもとで暮らしていた時のことだ。日々暴力を振るわれ続け、安息の時間など露ほども無かった。そんな中でたった一つの希望だったのが、古びたヒーロー人形だった。夜が更けると、傷ついた小さな体を布団に包ませて、その人形を抱きしめていた。そして呪文のように唱えていた。


「大丈夫……いつかお父さんが迎えに来てくれるから」


 ヒーロー人形は、父が自分に遺した唯一の物だった。顔も知らない、生きているかも分からない両親と再会することが、梵にとっての唯一の夢だった。ヒーロー人形と、父が言ったらしい「いずれ迎えに来る」と言う言葉だけが、数少ない心の支えだったのだ。


 ――――お父さんに会えたら、何をしよう。何を聞こうかな。何を話そうかな。ぎゅっと抱き締めてくれるかな。いつか家族が一緒になれたらその時は……その時は、精一杯笑って、精一杯泣いて、精一杯……幸せになろう。











 火山灰の砂漠を掻き分けながら、青いドラゴンが歩いていく。辺りは静寂に包まれ、さっきまで続いていた壮絶な戦いが嘘のようだ。梵の向かう先には、グレーのドラゴンがいた。人類の歴史を終わらせようとしたドラゴンは今、灰の中に力無く倒れ込んでいる。梵はドラゴンのそばまで来ると、その足を止めた。


「そよ……ぎ……」


 天人は掠れた声で息子の名を紡ぐ。


「全く……馬鹿な息子め……これは取り返しのつかない過ちだ……。私は生涯をかけて……人類を救おうとしたのに……、事もあろうにお前は……イーラと結託し……この……私を……」


 梵は何も言わなかった。ただ、哀れむような目で死に瀕した父を見下ろしていた。


「お前の軽率な選択が……人類の終焉を招くのだ……。世界の破滅を眺めながら……己の愚かしさをその胸に刻み込むがいい……」

「あんなウィルスで悦に浸れるのは、世界中探してもお前だけだろうよ」


 梵は吐き捨てるように言った。


「私は……お前を愛していたのに……こんな顛末とはな……」

「違う。お前が本当に愛してたのは自分自身だけだ」


 突き放すような言葉に、天人は乾いた笑みを浮かべる。


「どうやら我々は決して……理解し合えないようだ……」

「ああ。お互い会うべきじゃなかったな」


 梵は灰色のドラゴンの口をこじ開け、そこに火球を撃ち込む。頭部が爆発し、肉片が飛び散り、天人の命は完全に絶たれることとなった。


 ――――終わったな……。


 梵は人間の姿に戻り、その場にへたり込む。心の一部が欠けてしまったような気分だった。父、母、家族、夢……そういったものが、跡形もなく消え去ってしまった。不思議なものだ。自分を愛してくれる父親など、最初から存在していなかった……それなのに、心には確かに喪失の痛みが宿っている。雪也が記憶にすら残っていない両親の死に涙していた理由が、今なら分かる気がした。


「おーいソヨ! 大丈夫か!?」


 背後から聞き慣れた声がする。その声に、幾分か安心させられた。


「おいソヨってば! どうかしたのか!?」


 隣に白いドラゴンが着地し、心配げに梵の顔を覗き込む。


「生きてる……よな? ったく、返事くらいしろよな」

「え? あぁ……ごめん」


 雪也は少年の姿に戻り、そっと梵の肩に手を置いた。2人の眼前にあるのは、灰色のドラゴンの亡骸だ。もう動くことはないその体には、うっすらと火山灰が積もり始めている。


「こいつ、死んだのか?」

「ああ」

「じゃあ……もう終わったのか?」

「ああ」


 2人の間に沈黙が流れる。雪也も、梵にどう声をかけていいかわからなかった。


「ソヨ……本当に大丈夫か?」

「大丈夫。どこも怪我はしてない」

「そうじゃなくて、心の方だよ。せっかく親父に会えたのに、こんな……」

「まぁ……父親は最初から死んでたって思う事にするよ」


 遠くからヘリのローター音が轟く。水平線の向こうから、軍用ヘリの編隊が接近していた。街の方からは、消防車やパトカーのサイレンが近づいている。空港のロビーで見ていた誰かが通報したのだろう。

 梵は立ち上がり、服についた火山灰を払う。そして改めて、天人の骸に目をやった。その体は火山灰に埋もれ始めていたが、崩れかけた顔には未だに高慢な笑みが宿っている。まるで、この悪魔の意思が未だに生き続けていることを表すかのように。

 梵は言葉を発さず、父に背を向けて灰色の砂漠の中を歩き去った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ