第30話 憎悪
火山灰雲を抜けると、東京の街が見え始めた。天人はコントロールを失い、重力に身を任せている。取り敢えず一撃を見舞うことには成功したが、奴があの程度で死んだとは思えない。もしこのまま天人が街に落下すれば、そこからD.G.ウィルスが拡散されてしまうだろう。
それを阻止すべく、梵は灰色のドラゴンに掴みかかる。どうにか人口密集地の外へ軌道をずらさねばならない。しかし、そんな都合のいい場所など見当たらない。見渡す限り都市が広がっていて、どこへ落としても二次被害は確実だった。
青いドラゴンは天人を抱えながら翼を広げ、落下速度を落とす。考える時間を少しでも伸ばすためだ。海に飛び込むことも思いついたが、慣れない水中での戦闘はリスクも大きい。降りしきる火山灰に囲まれながら、梵は目を細めた。
「ソヨ! あそこだ! あそこに落とせ!!」
八方塞がりの状況を打開したのは雪也だった。雪也が指差す先には、東京湾に浮かぶ巨大な空港……羽田空港があった。幸いなことに現在、いずれの滑走路にも飛行機の姿はない。空港は陸地から隔絶された地形に造られているため、東京の街は安全だ。滑走路からターミナルまでもかなり距離があるので、ドラゴン同士の地上戦が起こっても大丈夫だろう。
梵は空港の滑走路に狙いを定め、全力で加速する。天人は逃れようと暴れたが、梵は手足を器用に絡め、相手を拘束し続けた。滑走路が眼前に近づく。このまま上手くいくかと思われた。
しかし天人は、梵の思った以上に凶悪で、狡猾だった。その裂けた口を紫色に輝かせると、ゼロ距離からプラズマ砲を梵に撃ち込んでしまったのだ。
「グガァァァ!!」
梵の口から苦悶の声が漏れる。腹に風穴が空き、青紫の血液が撒き散らされた。そのままきりもみ状態となり、青いドラゴンの身体が空中でグルグルと回転する。
天人がニヤリと笑う。こうなってしまえば、後は鬱陶しい我が子を引き剥がすだけだ。そして白い方を仕留め、梵が墜落する様を確認すれば、戦いはそれまで。使命はウィルスを拡散させるのみとなる。そう考えると、少し寂しい気もした。もう少し息子との戯れを楽しんでいたかったが、生憎残された時間は少ない。進化した人類と共に、メサイアとイーラを滅ぼさねばならないからだ。
――――お別れだ、梵。
万感の想いを込めて、息子を足で引き剥がそうとする。しかし、青いドラゴンは全くと言っていいほど離れなかった。いくら力を込めても、梵の鉤爪は天人の鱗の奥深くまで突き刺さり、獲物を逃さんとしている。まるで、梵が持つ恨みの深さを表現しているかのように。
――――こいつ……どこにこんな力が!?
天人が初めて焦りを見せる。地面に叩きつけられるまでは、もう数秒もない。
「くっ……放せ! このクソガキめ!!」
梵は一切スピードを緩めない。天人はそこで初めて恐怖を感じた。この状況にではなく、息子の執念深さに。
まもなく、2体のドラゴンは滑走路に激突した。積もっていた火山灰が一気に舞い上げられ、煙幕のように辺りを覆い隠す。更には抉られたコンクリートの破片までもが、そこら中に降り注いでいた。
防衛省 中央指揮所
『放物体、羽田C滑走路に落下!』
オペレーターが叫ぶ。戦いの様子は、レーダーによって常時捉えられていた。しかし映像の類は存在しないため、どちらが優位に立っているのかまでは分からない。
会議室では、国防軍の幹部たちが鬼気迫った表情で推移を見守っていた。今すぐにでも軍を動かしたいところだったが、街を火山灰雲が覆っているため戦闘機を上げられず、避難誘導を行うだけで精一杯だった。またD.G.ウィルスにより誕生したドラゴンも、東京上空に複数確認されている。無闇に動けば甚大な被害を被るだろう。もどかしさが会議室全体を包み込む。
「はい……航空機は既に撤退しているので、墜落した放物体がどの個体かまでは……。はい、統幕長。無人偵察機も飛ばしてはいますが、なにぶん視界不良でして……」
浅井統合幕僚副長が、受話器を手に取って話している。椅子に座っていた木原はその様子を一瞥すると、テーブルに身を乗り出して進言した。
「もう我慢なりません。直ちに地上部隊を派遣して、正確な状況を確かめるべきです」
「その話はさっきしただろう、木原。リスクが大きすぎる」
「このまま静観するリスクはどうです?」
吉村陸幕長の反論にも、木原は一歩も引かなかった。それ他ならぬ日本の……いや、世界の命運がかかっているからだ。
「我が軍のヘリは防塵フィルターを搭載しているので、火山灰の影響は受けないはずです。東京湾を迂回して低空で侵入すれば、比較的安全に羽田まで到達できるでしょう。海成天人を斃せなくとも、奴の生死さえ確認できれば良い」
幹部たちは顔を見合わせ、相談を始める。その時間さえも、木原を苛立たせるのに一役買っていた。しばしの時が経った後、ようやく一つの結論が出された。
「わかった、木原の提案に従おう。統幕長の承認ののち、D-スレイヤーに出動命令を出す」
木原はホッと一息をつき、再び椅子に腰かける。もっとも、依然安堵とは程遠い状況ではあったが。
意識が朦朧とし、酷い耳鳴りが聞こえる。滑走路に最高速度で突っ込んだせいで、頭を強く打ってしまったらしい。梵は周囲を見渡し、一緒に落ちた天人を探す。しかし周囲は巻き上がった火山灰に包まれており、天人どころか数m先も見えなかった。
――――クソッ酷くやられたな……。
腹からは大量の血液が流れ出し、地面を青紫色に染めている。ドラゴンの身体を引きずるようにして、梵はゆっくりと移動する。
その時、太い尻尾が鞭のようにして梵に打ち付けられた。
「ぐわっ!!?」
青い巨体が宙を舞う。背中がコンクリートに打ち付けられ、梵は仰向けの状態で倒れ込んでしまう。
視界が一瞬にして開ける。突如発生した突風により、火山灰の霧が全て吹き飛ばされたのだ。突風は、ドラゴンの羽ばたきにより起こされたものだった。梵の眼前に現れたのは、禍々しいグレーのドラゴンだ。
「梵……悪いがな、私はお前の駄々に付き合ってる暇は無いんだよ」
己の息子を見下ろしながら、天人は苛立ちに満ちた声で言う。梵はどうにか身体を起こそうと悪戦苦闘するが、全身に傷を負った状態ではそれすらもままならない。
天人がトドメのプラズマ砲を撃とうとする。だがそれは、上空から飛んできた白い巨体により阻止された。天人が地面に叩き落とされ、白いドラゴンはその上に馬乗りになる。
「さぁどうした? さっきみたいに俺の親を侮辱してみろ! 薄ら笑いを浮かべてみろ!!」
雪也が灰色のドラゴンを何度も殴りつける。しかし天人は痛がる素振りもなく、ただ冷徹に相手を見上げていた。そして振り下ろされた鉤爪を掴み両翼を拘束すると、白い竜の身体を思いきり蹴り上げた。
「全くお前たちは……あの島で大人しくくたばっておけば良いものを」
天人は自身の体に付いていた火山灰を払う。雪也がさらに挑み掛かるが、やはり天人の方が実力は上だった。白い鱗はあっという間に傷だらけになり、終いにはプラズマ砲で体ごと吹き飛ばされてしまう。白竜はそのまま空港の燃料備蓄施設に激突し、巨大な火柱を立ち上らせた。
「くっ……雪也……!」
梵は無理矢理自身の体を起こそうとする。だが天人はそれすらも許さなかった。梵の長い首が、太く屈強な足により踏みつけられる。
「ぐぁっ!!」
気道が圧迫され、呼吸ができない。梵は仰向けに倒れたまま、天人に命の手綱を握られてしまった。翼を使って必死に足を殴りつけても、それは徒労にしかならない。
「梵……今まで辛かっただろう。よく頑張ったな。お前の苦しみも、今日この日までだ」
天人は鉤爪のついた手で、そっと梵の鼻と口を塞ぐ。梵は地面にめり込むほどに体をばたつかせるが、どれだけ酸素を求めてのたうち回っても、万力のような手が離れることはない。
「暴れるな。もう頑張らなくていいんだ。15年間親しい人間も作れず、お前は孤独の中で過ごした。大方、里親にも虐待されていたんだろう? お前の虚ろな目を見ればすぐに分かったさ。もうこれ以上苦痛を味わうことはない。安心しろ。私が楽にしてやる」
視界が暗くなり、意識が遠のいていく。もはや、体に力も入らなかった。
「ぐっ……ガァァァ…………!!」
「さぁ、もうすぐ母さんに会えるぞ。お前の友達も、すぐに送ってやるから。ずっと寂しい思いをさせてすまなかったな。これは私が"父親"としてお前にしてやれる……唯一の贖罪だ」
目の前の父が憎かった。この手でズタズタに引き裂いてやりたかった。喉笛を噛み千切ってやりたかった。しかし、それすらも叶うことはない。全ての元凶となった男がすぐそこにいるのに、苦悶の声を漏らすことしかできない。
やがて梵の意識は、暗闇へと落ちていった。




