第28話 運命の戦い
灰色に染まった海を、波飛沫が駆け抜ける。
梵と雪也は、音速に近いスピードで海面を飛行していた。空を覆う火山灰雲は、みるみるうちに遠くなっていく。目指す場所は勿論、天人のいる東京だ。
それにしても、一体なぜ天人の策謀に気付けなかったのだ? 梵は自問する。
気付くチャンスはいくらでもあったはずだ。雪也が暴走を起こした直後に、実の父親が現れるなど、出来過ぎにも程がある。天人が関わっていたのは明白ではないか。
メサイアについてもそうだ。奴はメサイアを絶対悪として語り、逆に自身を正義のヒーローであるかのように騙っていた。余程の馬鹿でなければ、そこで怪しいと気付くだろう。だがそれでも尚、天人に疑念を抱くことはなかった。普段なら気付けたはずだ。少なくとも、昨日まで顔も知らなかった男に全幅の信頼を寄せるような真似はしなかったはずだ。では何故、愚かにも奴を信じてしまったのだ?
……いいや、信じていたんじゃない。ただ、信じたかっただけだ。長い間心の支えとしてきた「親」という存在を、否定したくなかったから。だが、結果はこれだ。そんな甘えた考えが、最悪の事態を引き起こしてしまった。
――――雪也の両親を殺し、母を死に追いやり、人類を破滅させようとしている男を、俺は……!!
後悔の念が底無しに湧き上がる。しかし今は、感傷に浸ってる場合ではない。
……父を討たなければ。理屈云々ではなく、本能がそう叫んでいた。あいつだけは、絶対に生かしておいてはならない。奴は……この世に存在してはならない人間だ。
背後に浮かぶ雷を伴った黒雲は、梵の心情そのものと言えた。両親に会えば、人の愛情や温もりなんてものを理解できるかと思っていた。両親に再会できれば、15年もの失われた時間を取り戻すことができる……なんて淡い希望を抱いていた。しかし待っていたのは、想像を遥かに超える最悪の結末だ。希望だと思っていた存在は、絶望の象徴でしかなかった。多くの人間は親を愛し、親に愛されて育つというが、奴に抱く唯一の感情は……憎しみだけだ。
東京都渋谷区 渋谷駅付近
普段多くの人や車が行き交う大通りには、今は車は一台も走っていなかった。車自体は溢れかえっているのだが、その全てが路上で停車しているのだ。代わりに蠢いているのは、数千数万もの人の群れだ。人々は半ばパニックに陥りながら、逃げるようにあちこちへ走り回っている。
『皆さん、落ち着いてください! 落ち着いて頑丈な建物や地下に避難してください!』
さらに車道には、警察の輸送車やパトカー、国防軍のトラックも見られた。防毒マスクをつけた兵士や機動隊員たちは、混乱する人々に決死の避難誘導を行なっている。
『有毒な火山ガスが、都内に流れ込む可能性があります! 都民の皆さんは安全が確保されるまで、建物内や地下で待機してください!』
「有毒な火山ガス」というのは勿論デタラメだ。D.G.ウィルスの存在を公表してはパニックが起こるため、という司令部の判断だった。
しかし、その判断も無意味に終わった。大通りの向こうで突然爆発が起き、そこからドラゴンが出現してしまったのだ。誰かがウィルスに感染したのだろう。
「うわぁ!?」
「何だあれ!!」
何も知らない人々は、恐怖のどん底に叩き落とされた。なんの前触れもなく眼前にドラゴンが現れたのだから、当然だ。数千の人々は完全に冷静さを失い、我先にと逃げ始める。警察が必死に呼びかけても、耳を貸す者は誰もいなかった。
国防軍の兵士たちは、そんな群衆の流れに逆らってドラゴンの方へと走った。
「奴を撃て! ただし民間人には当てるなよ!」
ライフルが一斉に火を吹く。歩兵の装備程度で勝てる相手ではなかったが、民間人を見捨てて逃げるなどあり得ない。彼らは命を賭して民間人の盾となる覚悟だった。
ドラゴンは車や人を跳ね除けながら、逃げる群衆の方へ突進してくる。兵士たちは前衛に立ち、ドラゴンを真正面から迎え撃った。銃弾は全て跳ね返っていたが、それでも勇敢にドラゴンを攻撃し続ける。
だがそんな勇気を嘲笑うように、彼らの背後で爆音が響いた。それは今さっき、民間人が避難したはずの方向だ。慌てて振り返ると、そこには別のドラゴンの姿があった。ドラゴンは火炎を撒き散らし、逃げる人々を焼き尽くしている。2体のドラゴンに挟み撃ちにされた群衆は逃げ惑い、波飛沫のようにぶつかり合い、次々に将棋倒しになっていく。
「何てことだ……」
兵士の1人が、絶望に染まった声で呟いた。
防衛省 中央指揮所
『封じ込め作戦失敗! 繰り返す、封じ込め作戦失敗!』
『ダメだ間に合わない! 直ちに応援を!』
『第一京浜に航空支援を要請! アウトブレイクが発生した! 我々では対処できない!!』
耳を覆いたくなる報告が、怒涛の勢いで入ってくる。木原は苦虫を噛み潰したような表情で、拳をぐっと握った。
一般的な感染症ならともかく、人間をドラゴンに変えるウィルスなど対処のしようがない。空爆を行おうにも、東京は人口密集地だ。民間人の頭上に爆弾を落とすことになってしまう。かと言って、感染を放置すれば人類そのものが滅亡を迎えるだろう。
「やはり元凶を絶たなければ……」
海成天人……奴が全ての始まりだ。奴だけが、明確な意思をもってウィルスをばら撒いている。解決には至らなくとも、天人を仕留めれば少しは状況が好転するはずだ。
しかし、その手段がなかった。天人のドラゴンは、たった1体でD-スレイヤー基地を壊滅に追いやった。小手先の戦力では返り討ちに遭うのがオチだ。
――――今あいつを倒せるとすれば、彼らだけか。
木原は2人の少年を思い浮かべる。
雪也と梵。彼らも七潮島からの脱出には成功しているだろう。アメジストやインフェルノを倒した彼らならば、或いは……。
とにかく今はっきりしているのは、この世界を救えるのは2人の他にいないということだ。
東京の摩天楼の合間から、黒煙がいくつも吹き上がっている。悲鳴が絶え間なく聞こえ、消防車やパトカーのサイレンが街中から鳴り響いていた。
この惨劇を起こした元凶は、黒ずんだ空の上から恍惚の表情で混沌を楽しんでいた。人間から見れば悲劇以外の何物でもないが、この男にとっては栄えある新世界の創造そのものなのだ。
「見よ……この美しい景色を。世界は1週間で創られたという話があるが、あながち嘘ではないのかもな。"お前たち"はどう思う?」
灰色のドラゴンはそう語りかける。
天人の背後には、2体のドラゴンが滞空していた。どちらのドラゴンの目にも、燃えるような激しい怒りが滲んでいる。
「世界の創造だか何だか知らないが、お前がそれを見届けることはないんだよ……父さん」
梵は憎悪を隠さずに言った。
「はははは……我が子ながら恐ろしいな」
父と子が空中で対峙する。梵の側には雪也もいるため、数の上では天人の方が不利だった。しかし天人は、余裕綽々といった雰囲気を崩さない。
「愛する妻と子をこの手で葬るのは……辛いものだよ」
刹那、灰色のドラゴンは躊躇なくプラズマ砲を放った。迸る流星の如き閃光は、梵と雪也の翼を掠める。寸分違えばどちらかの命を奪っていたであろう、殺意に満ちた攻撃だ。
「チッ……友達の親父に会うのって緊張するよな!」
「冗談言ってる場合か! 来るぞ!」
天人は一気に距離を詰め、梵に近接攻撃を仕掛ける。その動きは俊敏でいて無駄がなく、鉤爪が何度も梵の鱗を掠めた。梵は即座に火炎を放ち、一旦相手を退かせる。
「はははは……パンドラの箱は開いたのだよ梵! 私を殺そうと、もう止められないぞ!」
「関係ない。俺はお前が苦しんで死ぬ姿を見たいだけだ!」
天人はさらにプラズマ砲を放つ。梵もそれを相殺すべく火球を撃ち、紅蓮の業火が空を覆い尽くした。




