第27話 オジマンディアス
360°を火砕流に覆われ、視界に黒以外の色は写らない。パチパチという音とともに、赤い火の粉がそこら中を舞う。もし人間体のままだったら、5秒と持たずに焼け死んでいただろう。ドラゴンの鱗を通しても熱を感じる、そのくらいの凄まじい高温だった。黒い塵が空中で渦を巻き、台風のような暴風が常に吹き荒れている。火山灰同士が摩擦電気を発生させたことで、無数の稲妻も迸っていた。
間髪入れずに、天人のドラゴンが攻撃を仕掛けてくる。例のプラズマ砲のような光を、梵たちに向けて放ってきたのだ。梵は咄嗟に避けようとする。
だが、その必要は無かった。光弾は2体の間に直撃しただけで、梵たちには全く当たっていない。影響といえば、せいぜい爆炎が顔にかかった程度だ。まさか、この距離で外したというのか? 困惑を抱えたまま、天人の方に向き直る。
だが突然、梵と雪也のいた足場がガラガラと崩れ始めた。
「うおっ何だ!?」
雪也が思わず声を上げる。プラズマ砲によって、ヘリポート全体が崩壊してしまったのだ。2体は翼を羽ばたかせ、どうにか宙にとどまる。
だがそれは、天人の狙い通りの展開だった。ロクに態勢も整っていない2体に、天人は翼でラリアットを仕掛ける。空中では足で勢いをつけられないため、回避は間に合わない。梵たちの喉に、天人の翼が直撃する。
「うわっ!」
「ぐおっ!!?」
梵と雪也は、頭から地面に墜落してしまう。天人はそのまま急上昇して、火砕流の中から逃げ去っていった。梵は仰向けに倒れたまま、敵の姿を見送ることしかできない。
「ゲハッ……! あいつフザけやがって……」
雪也は恨めしそうに呟きながら、どうにか体を起こす。喉に攻撃を食らったため上手く呼吸ができず、何度も咳き込んでしまう。
「天人を追わないと……本当にまずいぞ」
同じく体を起こした梵が、緊迫した調子で告げる。天人の目的は、あのウィルスをばら撒くことで間違いない。その最も効率的な方法……それは、人口密集地の上空を飛び回り、不特定多数の人間を感染させることだ。ドラゴンとなった人間たちは新たな感染源として分散し、二次感染を引き起こす。感染者は鼠算式に増えていくわけだ。
もしドラゴンが海を渡れば、感染は海外に及ぶ。大陸でウィルスが拡散されれば、もう打つ手はない。感染爆発だ。不運にも日本海の向こうには、13億の人口を抱える中国もある。最悪の場合、24時間以内にドラゴンの数は1億体を超えるかもしれない。
では、天人が最初に狙う人口密集地はどこだろうか? そんなもの決まっている。ここから最も近く、僅かな土地に1300万以上の人間が押し込められた、世界最大級の人口過密地域……東京だ。
梵は飛び上がり、火砕流から脱出する。ある程度の高度まで達すると、ようやく島の状況が把握できた。
さっきまで山があった位置からは、直径数kmはあろうかという超巨大な黒煙が噴き上がっている。今や初嘉山全体が、規格外の噴火口と化していた。火山灰雲が空全体を覆い尽くし、正午前のはずなのに夜更けのような暗さだ。島の全てを焼き尽くした火砕流は、海岸に到達して白い蒸気を吹き上げていた。噴煙は規模が大きすぎて、静止しているようにも見える。目の前の光景が、終末を描いた19世紀の絵画だと言われても信じるだろう。地球が寝息を立てているかのような地鳴りが響く中、梵はしばし大自然の猛威に釘付けになった。
すると突然、梵に1体のドラゴンが襲いかかってきた。不意の出来事に対応できず、梵は喉笛に噛み付かれてしまう。ドラゴンの体長は15m弱で、梵よりも小さい。ウィルスによって変異して生まれた個体だ。人間だった頃の理性は感じ取れず、さながら暴走した雪也のようだった。
梵は何とかドラゴンを振り払い、反撃に火球を放とうとする。しかしそこで、敵が1体ではないことに気付いた。さらに5体のドラゴンが、梵を狙って接近してきている。
「ああ全く……時間がないってのに」
だがその時、1発の火球がドラゴンの群れを射抜いた。撃ったのは雪也ではなく、もちろん梵でもない。反射的に火球の出所を探る。
火球の主は、梵の後方にいた。緑がかった鱗を持った、見覚えのないドラゴン。梵と敵対する意思は無いのか、ドラゴンの群れのみをじっと見据えている。この個体も、D.G.ウィルスで変異した兵士だろうか。
「梵くん、雪也くん。ここは僕に任せろ。君は天人を追うんだ」
ドラゴンからおもむろに声をかけられ、梵は驚愕する。ウィルスに感染した個体は、知性が綺麗さっぱり消し飛ぶものかと思っていたからだ。
いつのまにか駆けつけていた雪也も、驚きの声を上げる。
「おいおい、アンタ喋れんのか!?」
「一応、人格は残ってたみたいだ。変な気分だよ、ドラゴンになるってのは」
その兵士らしからぬ柔らかな口調に、梵は聞き覚えがあった。
「アンタ……寺島さんか?」
緑のドラゴンが控えめに頷く。
見つけた時は瀕死の重傷であったが、幸か不幸か、ウィルスの影響で一命を取り留めたようだ。何故理性が残っているのかは分からないが。
「奴を止められるのは君らしかいない。早く行ってくれ」
寺島がそう促す。だがそれでは、この場を寺島だけに一任することになる。6対1では、誰がどう見ても不利だ。そう考え、梵は去るのを躊躇う。
「ソヨ……行こう。お前のクソ親父をどうにかしねぇと」
雪也もまた、梵に催促する。
「でも……」
「あの兄ちゃん、練習無しで火球使えてただろ? お前よりはセンスがあるってことだ。だから、俺たちは俺たちの出来ることをしよう」
「……そうだな」
半ば無理やり自分を納得させ、梵は雪也と共に全速力で東京へと飛んだ。その背後では、咆哮と爆発音が幾度も聞こえ続けていた。
東京都新宿区 防衛省中央指揮所
指揮所内は、先の横浜襲撃を想起させるほどに混乱を極めていた。地上部隊の壊滅と、初嘉山の大規模噴火、そしてオスプレイ部隊との通信途絶……手に余るほどの事態が津波のように押し寄せ、対応のしようがない。
『グリフォン隊、依然レーダーから消失!』
『七潮島より複数の未確認飛行物体!』
『気象庁からの報告では、火山灰雲は北北西方向に流れています。30分から1時間で首都に到達する予想』
木原中将は会議室から、混乱するオペレーションルームを望む。七潮島で起こったことは、兵士のHUDを通じて確認済みだ。最後に収められた映像から察するに、D.G.ウィルスは外部に拡散されてしまったようだ。
「陸幕長……敵は恐らく東京を狙うでしょう。何としても止めなくては」
木原は、隣に立つ吉村陸軍幕僚長に耳打ちする。
「軍を出動させて都民を避難させるしかない。統幕長には私が報告する」
「しかし、避難させたとして、意味があるのでしょうか? ウィルスの感染力は未知数です」
「……神に祈ろう」
会議室のテレビでは、初嘉山の噴火を知らせるニュースが放送されていた。一般人が撮影したと思しき火山灰雲の映像と共に、アナウンサーがニュースを読み上げる。テロップには、"七潮島で国内観測史上最大級の噴火"とある。
『……によれば、初嘉山は複数回の火山性微動の後、爆発的噴火を起こしたとのことです。気象庁は先ほど噴火警報を発表、噴火警戒レベルを5に引き上げました。JBNでは新しい情報が入り次第お伝えします。ご覧いただいている映像は、八丈島から撮影された火山灰の雲の様子で……』
今のところ報道機関は、"自然発生の噴火"としか伝えていない。裏で進行している非常事態には勘付いていないようだ。それは幸いと言えるだろう。大勢を避難させるには、パニックを起こさないことが何より重要だ。
その時指揮所内に、非常事態を知らせるブザーが鳴り響いた。今日はもう何度となく聞いた音だ。
『東京都内にアンノウン侵入。百里基地よりF-3が緊急発進』
――――来たか。
吉村と木原は、ともに顔を強張らせた。
東京都上空
灰色の雲が空を覆い、太陽の光は僅かにしか届かない。薄暗さに包まれた世界有数の大都市は、見る者を何とも陰鬱な気分にさせる。連日の暑さが嘘のような凍てつく風が、悪魔の息吹の如くビルの合間を駆け抜けていた。
間もなく、この街にはどす黒い火山灰の雲が到達する。そうなれば空は闇に染められ、数日は光の無い世界となる。しばしの時間が過ぎ、再び太陽が覗く頃には、人類は神に近い存在として生まれ変わっていることだろう。
人が大地に足をつける遥か以前、この空をドラゴンが支配していた。奴らがどこからやって来たのかは分からない。進化論を真っ向から否定し、科学を創造論の時代に引き戻すような存在が、何故この星に生きていたのだろう。誰にも説明のつかないことだ。人は理解の及ばぬモノを崇め、讃え、拝む。"救い"などという、ありもしない希望を謳いながら。メサイアのような、常に何かに心酔したがる奴らにとっては、ドラゴンは格好の存在だったのだろう。
だが、ドラゴンは滅んだ。何億年も前、何かによって滅ぼされた。たとえ神に等しい力があれど、奴らは死ぬのだ。ならば人間の手でも殺せるはずだ。その力さえあれば。人類は神を拝むのではなく、神に到達せねばならない……そのためのオジマンディアス計画だ。
――――ドラゴンがこの星の玉座に返り咲くことは、永遠にない。私は奴らを滅ぼし、人類に真の救済を齎す。神を超え、新たな楽園を築くことができるのは……この私だけだ。
灰色のドラゴン……海成天人は、己を誇示するように神々に向けて宣戦布告をした。
「我が名はオジマンディアス、王の中の王。全能なる神よ、我が成せる業を見よ……そして絶望せよ!!」




