第26話 竜の創世
「やあ梵。感動の再会だな。生きてるとは思わなかったぞ」
梵は黙って父を睨みつけた。天人の、人を嘲るような話し方が癪に触る。
ただならぬ緊張がヘリポート全体を包む。だが雪也だけは、事態の全容を掴みかねていた。
「おいソヨ、あいつが……お前の親父なのか!?」
「血縁上はな」
それにしても、天人の態度は奇妙だった。弾道ミサイルは破壊され、奴の計画は全て水泡に帰したはずだ。しかしながら天人は両手を後ろに組み、さも愉快そうに笑っている。まるで、これから始まるショーを待ち焦がれるかのように。単なる虚勢だろうか。
「どうした天人? 野望が潰えたのに随分と嬉しそうだな。ご自慢のウィルスも、今頃はマグマの底だぞ」
敢えて挑発的に聞き、天人の真意を探ろうとする。
「ああ、全くだ。長門の奴はしくじったようだな。お陰で当初の計画は何もかも狂ってしまった。本当に頭が痛いよ。だがな……」
天人は勝ち誇ったように目を細めた。
「私があんなブリキのガラクタに、全ての希望を託したと思うか?」
「ど……どういう意味だ?」
その言葉の意味は、すぐに分かった。梵と雪也以外の"普通の人間"たちが突然絶叫し、苦しみ始めたのだ。前触れなど全く無かった。苦痛に顔を歪め、膝から崩れ落ちる彼らを前に、梵たちはどうすることもできない。
「何だ……一体何をした!?」
「簡単な話だ。ウィルスは残っていたんだ。"この中"にな」
天人は自身の胸をトントンと叩く。
「まさか……」
「そうだ。D.G.ウィルスは今、私の中に宿っている。ウィルスは私を媒介して他者に感染しているのだ。本来、ウィルスを拡散させるのに大層なミサイルなど不要だ。宿主となる人間が1人いればいいのだからな」
梵は歯軋りをし、どうにか打つ手を考えようとする。そんな梵の腕を、小さな手が掴んだ。
「ソヨ……」
新汰は消え入りそうな声で言う。
「息が苦しい……胸が痛いよ。助けて……」
ゲホゲホと咳き込み、胸を押さえながらコンクリートに倒れ込む新汰。その全身は、冷や汗でびっしょりだった。梵は少年の小さな頭を支えながら、どうすることも出来ず目を泳がせる。
「新汰!」
「嫌だ……死にたくない……死にたくないよ……」
ウィルスに感染していることは明らかだった。周りの軍人たちの様子を見るに、その致死性はかなりのものらしい。無論、解毒の術などない。目の前で消えゆく命を、梵はやりきれない思いで見守っていた。
「ソヨ……お願い、助けて……」
それが、新汰の最期の言葉だった。梵が手を握ってやろうとするも、細い腕に力は篭っていない。眠るように、その瞼が閉じられていく。こんな残酷な結末があるだろうか。梵は悲しみを堪えるように、小さく嗚咽した。
それを見ていた雪也が、燃えるような怒りを露わにする。
「お前ぇぇぇぇ!!!」
雪也の瞳がグリーンに染まる。ドラゴンとなった時と同じ瞳だ。その視線だけでも、相手を睨み殺してしまう勢いであった。
「雪也くん、君を利用したことは謝る。君の両親を、この手で殺めてしまったこともだ。本当にすまなかった。だがもうすぐ、君らの犠牲も結実する。天国のご両親もきっと喜んで……」
「黙れぇ!!」
正義感の強い雪也にとっては、全てが耐え難かった。天人のような人間がこの世にのさばっていることが、信じられなかった。両親を殺された怒りや、今しがた目の前で多くの命を奪われた怒りが、嵐のように荒れ狂う。
しかし天人は雪也の怒りなど意に介さず、こともなげに演説を始めた。
「かつてエドワード・オウルは言った。"人間は傲慢で、この地球を治めるに値しない。神の裁定を以って、人類を破滅へと追いやるべきだ"と。だが真に傲慢なのはオウル自身だ。この世の全ての人間には、自由に生きる権利がある」
「たった今ウィルスで大勢殺しておいて、よく言えたもんだな……」
梵は呆れたように言うと、天人はまたも笑い始めた。
「ははははは! お前は本当に可愛い奴だな、息子よ。お前はD.G.ウィルスを単なる殺人兵器だとでも思っていたのか?」
「な、何を言ってる……?」
「私が生涯をかけて創り上げた"新時代への鍵"が、そんな馬鹿げた代物なわけないだろう」
突然、死んだと思われた兵士の1人が、獣のような呻き声をあげ始めた。何が起こっているか分からず、顔を見合わせる梵と雪也。呻き声は1つ、また1つと増えていく。
「なぁ梵……私がわざわざ国防軍を襲撃し、インフェルノドラゴンの細胞を奪ったのは何故だと思う?」
全身に嫌な感覚が走る。だが、もう手遅れだった。
複数の兵士の身体から、服を拭き破って骨のような突起が現れ始める。露出した皮膚は、ゴツゴツとした鱗の形状に変質していた。
「まさか……」
インフェルノの細胞を奪った意味……あのドラゴンだけが持っている特徴……それを考えた途端、全てに合点がいった。あのドラゴンは、DNAの適性を持たない富士田承之介が、独力で自らの身体を変異させて誕生した個体だ。つまりインフェルノの存在は、"全人類がドラゴンへと進化できる可能性"の証明だったのだ。だとすれば……。
「D.G.ウィルスって……」
「Dragon Genesisウィルス。感染した人間のヒトゲノムを書き換え、例外なくドラゴンに進化させるウィルスだ。"救済"は全ての人類に与えられるべきもの。85億もの命……その中に、消えていい命など存在しない! 誰もがノアの方舟に乗る権利を持っているのだ!」
天人は雄弁に語り続ける。
「ドラゴンは生物の進化の頂点だ。永遠の命を持ち、飢えや病という概念もない。私は人類をあらゆる苦しみから解き放つ。全ての人間が神に等しい力を持つ、究極の理想郷を創造する!」
兵士たちの体は徐々に巨大化し、ヒトとしての形質を失っていく。背中からは2対の翼も生え始めていた。
雪也は怒りに任せ、天人に吠え掛かる。
「そんなことはさせねぇ! 世界は俺が守ってやる!!」
それに対し、天人は呆れたようにため息をついた。
「なぁ三流ヒーロー君……君は世界が今どんな状況か解っていない。ドラゴンの王イーラが、復活を果たそうとしているんだ。奴は、人類の力で勝てるような敵ではない。神を討ち滅ぼすには、神の力が必要なんだ。D.G.ウィルスはいわば"導き"なのだよ! 私の目的は殺戮などではない。私は人類の未来を守ろうとしているんだ!」
「俺の親を殺しておいて、何が未来だ! お前なんか……ただのクズ野郎だ!!」
「君の両親は数十億の人命を救うための尊い犠牲となった。自己犠牲の精神が強い君なら、理解してくれると思ったがな。やはり君は、青臭い偽善者でしかないようだ!」
彼らの横では、兵士の身体が完全な変異を遂げていた。もはや、人だった頃の面影は見られない。悪魔を思わせる巨大生物……体長15m程度のドラゴンへと変貌し、不気味に喉を鳴らしている。
刹那、黒く陰った空から、ヘリのローター音が聞こえてきた。先ほど離脱したオスプレイの部隊が、地上部隊の援護のために戻ってきたのだ。無論オスプレイのパイロットは、地上部隊を襲った惨劇を知る由もない。そして、自らに降りかかる災厄すらも。
『グリフォン1よりアルファ、応答求む。』
パイロットが無線に呼びかけるが、応答はない。代わりに反応したのは、数分前まで人間だったドラゴンであった。ドラゴンはオスプレイの編隊に狙いを定めると、その翼を一気に広げた。
『な、何だ!?』
突如出現したドラゴンに、パイロットはパニックに陥る。鉤爪により装甲やエンジンは風穴を開けられ、機体は黒煙を吹いた。飛行能力を失ったオスプレイは、瞬く間に重力に引きずられていく。機体が地上に激突して爆散したのは、その直後だった。
『グリフォン1が墜ちた!』
『オスプレイ・ダウン! オスプレイ・ダウン!』
残る3機のオスプレイにも、ドラゴンの魔の手が襲いかかる。同じく変異を遂げたドラゴン達は、次々にオスプレイに取りつき始めた。
「こいつら……どこから湧いてきやがった!」
オスプレイのガンナーが、ドラゴンにガトリングガンを撃ち込む。しかしそれは、羆に小枝で挑むようなものだ。弾丸は虚しく跳ね返り、オスプレイはあえなく燃える鉄屑と化してしまった。
火と鉄の雨が、梵たちの周りに降り注ぐ。
「どうだ? 彼らはたった今、楽園の住人となったのだ。"死"という運命から解放され、完全なる生命として蘇った。"命は死があるからこそ美しい"? そんなもの、運命から逃避するための綺麗事に過ぎない。権力や財力のもとに見捨てられた命を前にして、薄っぺらい美学を語れる者などいないだろう」
かつての仲間を殺し彼方へ飛び去るドラゴンを恍惚の目で見送りながら、天人はさらに演説する。
「誰しも他者を侵してはならない。例え神であろうとも。イーラを滅ぼした先にあるのは、美しき新世界だ。国家も、人種も、民族も、宗教も、イデオロギーも貧富の差も……全ては過去のものとなる。人類を巣食った根深き対立の歴史は、全て無へと帰す! 私の新世界に仇をなすというなら……我が子とて容赦はしないぞ」
梵と雪也は並び立ち、天人と対峙する。風に吹かれた火山灰が舞い散り、漆黒が辺りを覆い始めていた。
その時だった。「ドゴォン」という、地平の果てまで届きそうな轟音が再び轟いた。初嘉山が、2度目となる大爆発を起こしたのだ。しかしその規模は前回の比ではない。噴煙はシロナガスクジラが小動物に見えるほどに噴き上がり、山体の上半分を粉々に粉砕してしまった。1度目の爆発は、単なる余興に過ぎなかったようだ。黒雲は数千mの上空まで届き、火砕流が怒涛の如く山を下り始める。梵達の立つ場所まで到達するのに、1分とかからないペースだ。
噴煙と同時に放たれた火山弾が、隕石のようにヘリポートの周囲に降り注ぐ。それはまるで、世界の終末のような光景だった。
天人はそれに狼狽える様子もなく、黒いローブを風になびかせている。
「さぁ、しかと見届けるがいい。竜の創世を」
火砕流が研究所ビルを飲み込み、ヘリポートを飲み込む。天人はその寸前で、自らの体をドラゴンに変化させた。梵と雪也も、呼応してドラゴンに変身する。
かくして、決戦の火蓋は切って落とされた。




