第4話 逃亡
翼を羽ばたかせると、体はふわりと浮き上がった。体重などまるで感じさせないほどに。
空を飛んだことなど勿論なかったし、飛べる自信すら無かったが、両方の翼を上下に動かすだけで驚くほど簡単に成功した。
翼を動かせば動かすほど高度が上がっていく。さっきまでいた廃工場は、もはや遥か真下だ。
横浜の町がどんどん小さくなる。その代わりに目の前に迫るのは、分厚い灰色の雲だった。先ほどまでは晴れていたはずだが、今や太陽は雲に隠れてしまっている。もうすぐこの町に雨が降るのだろう。
しばらく雲の下を飛行すると、眼下に大きめの林が現れた。着陸するのに丁度良さそうな場所だ。高度も順調に落ちており、このまま行けば林に無事林に到達できるだろう。
しかし、そこで大問題に気がついた。
――――ちょっ……どうやって止まるんだこれええええ!!?
梵は速度を落とす方法をまるで知らなかったのだ。当然、最高速度のまま地面に激突することになる。高度を上げようにも、林はもう目と鼻の先だ。
「うわああああああっ!!」
そのまま木々の群れをなぎ倒し、頭から派手に地面に突っ込んでしまう。大量の土が舞い上がり、地面は大きく抉れた。
梵は目を瞑っていたが、何が起こったのかは全身の痛みから大体推測はつく。かなり荒っぽい着陸……いや、ほとんど墜落と言っていいだろう。
ようやく体が静止すると、その場でゆっくりと目を開けた。
ドラゴンの体から光が放たれ、鱗や肉、骨が消えて人間の姿に戻る。どうやら、軽くイメージするだけで簡単に変身できるらしい。普通の人間でいう「歩く」「手を動かす」などの動作と同じようなものだ。
20mの巨体が落下しただけあって、地面はかなり抉られていている。人間の体では這い上がるのも一苦労だった。
「全く……最悪の1日だ……」
梵はため息をつきながら、近くの木にもたれかかった。
ドラゴンの時は全身が痛んでいたはずだが、人間に戻ってからそれは完全に消えていた。手の火傷が完治したことから考えても、どうやら変身すると傷は回復するようだ。
服装についても、変身前の身なりをそのまま維持している。服を破って肉体が変化している、というわけではないらしい。もっと別の、魔法のような力……としか言いようがなかった。
梵は落ち着くがてら、今日1日のことを省みてみる。
冷静に考えれば、自分の行動は悪手だらけだった。石川たちを殺したのは仕方がないとしても、あの時点で自分が化け物だということは誰も知らなかったのだ。国防軍にでも保護してもらえば、こんな最悪の事態には陥っていなかっただろう。
しかし、過去を嘆いても仕方がない。国防軍はきっと自分を血眼になって探しているはずだ。今後はむやみやたらに変身しないほうがいいだろう。
空から冷たい雨が降ってくる。
初めは僅かに肌に感じる程度だったが、その勢いは瞬く間に増していく。
梵はなんら構うことなく、大雨の中を歩いた。学校の制服は水を吸って重くなり、靴は泥だらけになっていた。辺りはもうかなり暗くなっている。とうに陽も沈んでしまっているようだ。
この能力の正体はわからない。しかし、これを持っているのは本当に自分ひとりなのだろうか?
もしかしたら、他にも自分のような人間がいるかもしれない。なんとかその人を探し出して協力できれば……とまで考えて、その浅はかさに気付いた。
まず、仮にそんな人間がいたとしても、間違いなく正体を隠して暮らしているはずだ。簡単に見つかるとは思えない。
それに、幸運に幸運が重なってドラゴンになれる人間が見つかったとしても、味方になってくれるとは限らない。敵と見なされて殺されるかもしれないし、良いように利用された挙句捨てられるかもしれない。
人間は信用してはならない、梵はそのことをよくわかっていた。
ここからは孤独な戦いになるだろう。