第19話 真実
首相官邸地下 危機管理センター 国家安全保障会議
会議室には、重松首相をはじめとした主要閣僚や軍の高官が集結していた。議題は無論、新たに出現したドラゴンと、"メサイア"についてだ。
室内の大型モニターには、サーガ機関の女性、朝霧葉月の姿が映っている。情報共有のため、日本政府とサーガ機関で通信を行なっているのだ。
『……メサイアの拠点は未だ不明です。東西冷戦時代より第三世界に存在すると推測されていましたが、当時のサーガ機関に大規模な捜索を行えるだけの力はありませんでした』
淡々と話す朝霧に、全員が真剣な眼差しを向ける。国家的危機である可能性も十分に考えられるため、各々の表情は普段以上に引き締まっていた。
木原中将もまた、この会議の出席者の1人だ。本来は参加できる立場ではないのだが、専門知識や経験を多く有しているという理由で参加が認められていた。
「朝霧博士、陸軍中将の木原です。しばらくぶりですな」
『ええ、その節は大変お世話になりました』
木原と朝霧は、以前にも面識があった。アメジストドラゴン、およびインフェルノドラゴン出現の際に、共同で対応に当たった為だ。
「先刻の情報はご覧になりましたか?」
『はい、全て把握しています』
"先刻の情報"とは、寺島少尉が報告した七潮島の真実のことだ。情報は梵から寺島に、寺島から政府と軍に、政府からアメリカのサーガ機関へ伝えられた。
弾道ミサイルとウィルス兵器の存在は、政府高官たちに大きな衝撃を与えた。ミサイルによるバイオテロなど、国内はもちろん世界的にも前例がない。さらにD.G.ウィルスの性質についても一切不明であるため、有効な対応策を打ち出すことすら不可能だった。
「D-スレイヤーを襲った新種のドラゴンと、七潮島で見つかった虐殺の跡……これらについて、サーガ機関はどうお考えですか?」
『私たちは、メサイア内で何らかの内部抗争が起こったと考えています。式条大佐からの報告では、海成天人はメサイアへの反逆を企てていたとか』
「ええ、その通りです」
『時系列から考慮しても、新種のドラゴンが虐殺の元凶と考えるのが自然でしょう。あのドラゴンの正体が何なのかは、見当もつきませんが』
「海成天人が大きく関わっているのは確実かと」
『彼に話を聞く他ないでしょう。彼が生きているならば、ですが』
「同感です」
木原は、首相やその他閣僚たちの方に向き直る。
「直ちに海成天人を逮捕し、尋問する必要があります。アルビノの暴走直後に奴は現れ、そこから全てが始まった。奴の関与に疑いの余地はありません」
木原の提案に、反対意見は上がらなかった。弾道ミサイルの存在や人体実験の痕跡が、木原の言葉に大きな説得力を与えたのだ。
重松首相は各大臣の顔を一通り見回すと、大きく咳払いをした。
「……私は、日本国総理大臣の権限をもって国防軍に、首都圏へのPAC-3配備と、七潮島への出動を命令する考えです。異存のある方は、今この場で申し上げてください」
重松首相の声は穏やかだったが、その内に確かな威厳を感じさせた。再び会議室を、沈黙が支配する。やはり、反対の声は一つもなかった。
「では、満場一致と判断します」
重松首相は眉間にしわを寄せ、語気を強めて続ける。
「現時刻をもってメサイアを、国家的脅威と判断。これを鎮圧するため、国防軍の出動を命令します」
梵は混濁する意識の中にいた。
視界がぼやけ、油断するとまた眠ってしまいそうになる。あれから何時間が経っただろうか。コンクリートのような冷たい地面に寝かされているが、特に体を拘束されてはいない。
体を起こそうとすると、右腕に激痛が走った。その痛みによって、意識を失う前の出来事が芋づる式に思い出される。島の地下で弾道ミサイルを見つけ、本性を現した天人によって右腕を引き千切られたのだ。
――――天人はどこへ行った? 新汰は逃げ切れたのか? 雪也はどこにいる?
記憶が蘇ると同時に、様々な思いが湧き上がってくる。すぐに行動しなければと気持ちばかり先走るが、未だ立ち上がることすらできない。麻酔のせいか、はたまた失血のせいか、首を動かす程度で精一杯だった。
「やぁおはよう、梵」
頭上から、戯けたような声が聞こえる。ふと気付くと、誰かの影が梵を覆っていた。それが天人であることは、想像に難くない。
「お前をこんな目に遭わせて悪かった。本当に申し訳なく思ってる」
父の語り口は静かで、何処か優しさすら感じさせた。
天人は梵のそばに屈み、そっと髪の毛を撫でる。
「なあ梵……ドラゴンはどうやって生まれ、どうやって滅んだと思う?」
梵はどうにか首を持ち上げ、父親を睨んだ。しかし当の父親は意に介さず、柔らかな口調で話し続ける。
「人類は幾度もの進化の果てに現在に至った。他の生物もそうだ。だがドラゴンは……。奇妙だと思わないか? 奴らは人間と同等の知能を有し、無から炎を創り出し、果ては他の生命体の遺伝子にまで干渉できる。まるで神だ」
なおも抵抗しようとする梵に、天人は微笑みかける。
「フッ……オウルも満更誤りではなかったわけだ。だが奴は愚かにも、己を神に選ばれた人間と信じ、人類を滅ぼそうとした」
「それはお前も同じだろう……!? ウィルスを使って……」
喋るのも辛かったが、梵はどうにか反論する。
「D.G.ウィルスは人類を神の世界に導くための鍵だ。お前が思っているような代物ではない」
「どういうことだ……?」
「お前に宿っているのは神の力だ。それを少しばかり利用させて貰った。この前、お前から血液サンプルを採取しただろう?」
「まさか……」
「あの血液で、私はドラゴンへと進化できた。10歳を超えた近親者の血液が、どうしても必要だったんだよ。数時間前に国防軍を襲ったドラゴン……あれは私だ」
「やっぱりな……」
もはや、梵の中に驚きはなかった。全ての元凶はこの男だ。母の死も、雪也の両親の死も、研究所で多くの子供を殺したのも、雪也の力を暴走させたのも、美咲の父が死の淵に瀕したのも、何もかもこいつの仕業だ。
「"オジマンディアス"ドラゴン。我々はそう呼んでいる。オジマンディアスとは、大昔に神を超えようとした王の名だ。私とお前、そしてD.G.ウィルスがあれば、神さえも討つことができる」
天人は狂気的な笑みを浮かべながら、嬉々として語る。
「神が血を流して力尽きれば、神は神でなくなる。その時人間は、全能と自由を手にするのだ」
天人が演説する間に、体の感覚が徐々に戻り始めていた。どうにか周囲を見回してみると、今いる場所が巨大なドーム状の空間だとわかった。野球場ほどに広い無機質なドームに、梵と天人だけがポツンと取り残されている形だ。
ドームの天辺にはぽっかりと穴が開いていて、そこからロケットブースターの噴射口が見えている。きっとあれはさっき見た弾道ミサイルで、ここは発射時の排気を逃がすための空間なのだろう。
「この場所に見覚えはないか?」
天人が唐突にそう尋ねてくる。
当然、梵にはこんな場所の記憶などない。そもそも、初めてこの島へ来たのはつい昨日のことだ。この男は何を言っている?
「梵……お前はな、この場所を知ってるんだ」
「どういう意味だ……?」
「もう一度、自分の記憶に聞いてみろ」
言われるままに、再び周囲を見回してみる。
刹那、梵の頭に電撃のような感覚が流れた。壊れたフィルムがいきなり回り始めたように、封印された何かが少しずつ蘇り始める。
同時に湧き上がってきたのは、嵐の如く荒れ狂う感情だった。悲しみ、怒り、喪失感、憎悪……。それらが全身を侵食していく。こんなことは、つい最近も経験があった。暴走した雪也と戦った時だ。ただあの時は、漠然とした感情だけだった。だが今回は、感情の根源もハッキリしている。それは、遠い過去の記憶だ。
――――梵、大丈夫だからね……私が絶対助けるから……!!
記憶の中には、怯え切った顔をした女性がいた。女性は梵を抱きかかえ、必死にどこかへ走っている。幼い梵を何かから守ろうとしている、そんな印象を受けた。
だが次に浮かんだ場面では、梵は独りで放置されていた。この、ドーム状の空間に。まだ話せもしないほどに幼かったが、それでも幼子なりに状況を理解しようとしていた。
直後に聞こえたのは、断末魔だった。先ほどの女性のものだ。幼い梵は、導かれるように悲鳴のする方を見る。
視線の先にいたのは、ドラゴンだった。獲物を捕らえたライオンのように何かを貪る、白いドラゴン。原型をとどめない肉塊を引き千切っては咀嚼し、その口元は真っ赤に染まっている。
――――雪也?
そのドラゴンは確かに、雪也だった。
記憶自体は朧げで断片的だったが、雪也の姿はハッキリと思い出せた。ということは、自分は大昔に雪也と会っていた? そもそも、当時自分はどういう状況にいたんだ? あの女性は何者だ……?
「ようやく思い出したみたいだな」
天人が嬉々とした顔で聞いてくる。
「これは……どういうことだ?」
「記憶の通りだよ。14年前、香織は私からお前を救おうとした。私は香織にどうにか理解してもらおうとしたが……ダメだった。だから予め捕らえていた雪也くんを使って、香織を葬った。口封じのため、そして何より、お前の"力"を覚醒させるためにな」
薄々感じていたが、やはり記憶の女性は母親だ。あの得体の知れない悲しみや憎悪は、母を殺された怒りだったのだ。そして天人の思惑通りに幼い自分は怒り狂い、ドラゴンの力を覚醒させて白い竜に襲いかかった。14年前、この場所で雪也に初めて会い、そして殺し合ったのだ。数日前に雪也と戦った時にも感情がフラッシュバックし、無意識に彼を殺そうとしてしまった。
「それじゃあ、私はこの辺で失礼するよ」
天人は梵から離れ、立ち去ろうとする。今すぐ父の喉笛を搔き切ってやりたかったが、麻酔のせいでまだ自由に動けない。
「あぁそれと、雪也くんのことは心配ない。すぐに会わせてやる」
捨て台詞のようにそう言い残すと、憎き父親はドームを後にした。この広々とした空間に、梵だけが独り倒れている。
不意に、ドーム内に重々しい機械音が轟き始めた。それは梵の身体にも振動として激しく伝わってくる。
「……!?」
困惑しつつも、どうにか上半身を持ち上げて周囲を確認する。
するとドームの障壁の一部が、シャッターのように開き始めているのが分かった。その扉は巨大で、重機を何台も搬入できそうなほどだ。
――――何だ?
動向を注視していると、完全に開いた扉から、何かがゆっくりと這い出てきた。闇の中から現れた生き物は、白いドラゴン……梵もよく見知っているドラゴンだ。
「雪也……」
思わず白竜の名前を呼んだ。
雪也の目は、先日の暴走時のように赤く血走っている。そして梵の姿を捉えるや否や、雪也は無数の牙をむき出しにした。




