第3話 遭遇
2頭の警察犬による先導で辿り着いたのは、もう長い間使われていないであろう廃工場だった。
学校に残されていた少年の持ち物の匂いを嗅がせたところ、2頭は迷うことなくこの廃工場を目指した。よって、この場所でほぼ間違いないだろう。
式条は腰から拳銃を抜く。ここから先は、どんな化け物が姿を現わすかわからない。額には冷や汗が滲んでいた。
工場の入り口に着いた途端、警察犬たちが突然狂ったように吠え出した。警官が必死に落ち着かせようとするが、まるで効果はない。2頭とも威嚇の姿勢をとり、そこから一歩も前に進もうとしなかった。
かと思うと、2頭は一斉に逆の方向へと走り出した。何か恐ろしいものでも見たかのように。
警官たちもまた、リードに引っ張られる形で警察犬たちを追いかけていく。
あっという間に、式条は1人になってしまった。だが、ここで自分も逃げ帰るわけにはいかない。
――――この中に何かがいる。
それは殆ど確信に変わっていた。
警察犬はどんな状況でも、人間の指示を聞けるように訓練されている。だが、今回に限っては命令よりも恐怖が上回ってしまったようだった。
それほど恐ろしい存在が、この中にはいるのだ。
片手に拳銃、もう一方にライトを持って、暗い倉庫の中へと足を踏み入れていく。
式条は一歩ずつ、足を忍ばせて歩く。ここではわずかな音でも瞬時に反響してしまう。そうなれば、奥にいる"何か"を刺激してしまうかもしれない。
もう数十年は使われていないようで、外見以上に中は荒らされ放題だった。落書きがいたるところに見られ、何に使われたのか分からない鉄骨やタイヤがそこら中に散乱している。歩くたびに煤が舞い上げられ、思わず咳き込みそうになってしまう。
それでも必死に息を殺し、闇の奥へと進んでいく。
拳銃を握る手が、カタカタと震える。視界は手に持ったライトと、ボロボロのトタン屋根から漏れる僅かな日光に頼るしかなかった。冷や汗が背を伝う中、五感をフルに研ぎ澄ませる。
銃を構えながら、ライトを右から左にスライドさせていく。そしてそれが、式条の前方に差し掛かった時だった。
「うわっ!!?」
式条は思わず、悲鳴をあげる。
ライトで照らされたその場所に、突如少年の顔が浮かび上がったのだ。それは、行方不明になっていた例の少年だった。式条は銃を下ろし、少年の元に歩み寄っていく。
「海成梵くんだね? 大丈夫、国防軍だ。君を助けに来た」
式条は柔らかな声で言ったが、少年は依然警戒心をむき出しにした表情を浮かべている。それでも諦めず、式条はなお歩み寄る。
「大丈夫、もう安全だ。我々が君を保護する」
「来るな……」
この上なく優しい声の式条に対して、梵の声は突き放すような冷たいものだった。
「頼むから近寄らないでくれ……」
式条はまず相手の警戒心を解くため、歩みを一旦止める。きっと動揺しているだけだ、そう考えていた。
「君を傷つけはしない。だからこっちに来てくれ。私はここにいるから、君からこっちに来るんだ」
銃をホルスターにしまい、ゆっくりと手を差し伸べる。だがそれでも、梵が歩み寄る気配はなかった。
「あんたは……解ってない」
式条はようやく、梵の異様さに気付いた。怯え方が尋常ではない。それに、"解ってない"とはどういう意味であろうか。
「君は……一体何を見たんだ……?」
梵はしばらく沈黙していた。
だが、式条の方をじっと見つめた後、ようやく口を開いた。
「俺は人を殺した……大勢の人を殺した……」
この少年は何かがおかしい。
そう気付くのに時間は要さなかった。
式条は再びホルスターから拳銃を抜き、梵にその銃口を向ける。
まさか……この少年があの惨劇を引き起こしたのか。
「お前は一体……何者だ?」
式条は今までとは違う、低く威嚇するような声でそう問うた。
「……わからない」
梵が答える。
「正体を現せ……!!」
式条が唸るような声で言ったのと、ほぼ同時だった。突如として梵の体が強烈な光を放ち、直後に爆風のような衝撃が発生した。
式条は思わず顔を腕で覆う。
「ぐわぁっ……!!」
小さな悲鳴を上げながら、式条は姿勢を崩してしまう。尻餅をついて倒れた時、驚くべき光景を目にした。
光とともに巨大な背骨が形成され、それを肉と、青く輝く鱗が覆っていく。
そして現れたのは、どっしりとした胴体に、長く伸びた首。口は大きく裂け、巨大なツノと翼を持ち、倉庫の天井に届くほどの大きさを持っている。まさしく怪物と呼ぶにふさわしい生き物だった。
「何なんだ……これは」
恐怖と混乱で立ち上がることすらままならない式条を、爬虫類めいた巨大な青い顔がじっと見下ろす。
「くそぉ!!」
式条は拳銃で、怪物の顔に銃弾を浴びせた。
確かに銃弾は全て命中した。だが、怪物の顔にはかすり傷一つつかない。怪物は相変わらず、その瞳で式条の様子を見ていた。
ついに弾倉が空になり、拳銃はカチカチという情けない音を立てるだけになってしまう。
――――殺される。
式条は咄嗟にそう思った。
怪物の顔が、すぐ目の前に迫ってくる。喰い殺すつもりだろうか。
あの無惨に殺された少年たちも、最期にこの化け物を見たのだろう。こいつなら、7人の人間を一瞬で屍に変えることなど朝飯前だ。
全身にびっしょりと汗をかきながら、何も出来ずに最期の時を待つ。
ふと頭に浮かんだのは、娘のことだった。何よりも大切な人間……。職業柄家に帰る機会が少なかったから、家族には寂しい思いをさせてしまった。妻が死んだ時にも、そばにいてやることができなかった。
娘や妻との、色々な思い出が頭をよぎる。これが走馬灯というやつだろうか。
だがいつまでたっても、怪物が襲いかかってくる様子はない。焦らしているというわけでもなさそうだ。
改めて、怪物の顔を見上げてみる。恐ろしい姿なのは変わりないが、その瞳はどこか悲しそうだった。
「これで解っただろう……?もう俺に関わらないでくれ」
怪物は低く重い声でそう告げると、そのまま勢いよく飛び上がってトタン屋根を突き破った。
大量の瓦礫と煤が、上から降り注いでくる。式条は土埃に覆われ、ゲホゲホと咳き込んだ。
倉庫にただ1人取り残された式条は、しばらく放心状態であった。先ほどの出来事が、悪い夢であったように思えた。
だが天井にあいた大穴が、あの怪物が空想の産物ではないことを証明している。
何故あいつが、自分を殺さなかったのかは分からない。だが新たな犠牲者が出る前に、奴を止めなければならない。
「誰か……誰か聞こえるか?」
必死に声を絞り出して、無線に呼びかける。
『聞こえてます中佐。どうかなさいましたか?』
部下の声が無線機から聞こえる。
その声で、冷静さが少し戻った気がした。
「捜索は中止。至急……全員を集結させろ」
『何かあったんですか?』
「非常事態だ」
式条はようやくその場に立ち上がった。
ふと見上げると、ドラゴンの開けた大穴から、日光が式条を照らすように注いでいた。