第6話 父
「今なんて言った……?」
梵は思わず聞き返す。
竜人は感慨深げに言葉を続けた。
「ずっと、お前に会う日を夢見ていたんだ。息子よ」
梵は何も言えず、父と名乗る竜人を疑念に満ちた視線で眺める。
「おいおいおいちょっと待て」
式条が、ドラゴンと竜人の間に割って入った。
「梵の父親だと? あんたが?」
「いかにも。私は息子を救いに来たんだ」
「突然現れて何を言い出すかと思えば……」
このドラゴニュートとやらの目的が何なのか、式条には見当もつかなかった。
「私は、"メサイア"という組織に属する者だ」
「救世主? 聞いたこともない名前だ」
「公ではない組織なもので」
「ますます信用できないな」
竜人はおもむろに青竜の方を見ると、静かに歩み寄っていく。
「梵……素晴らしい勇姿だよ。流石は私の子だ」
天人は感慨深げに、青いドラゴンの翼に触れようとする。しかし梵は、翼の指で竜人の体を鷲掴みにした。
「ぐおっ……!? な、何を……!!?」
「お前の言葉が嘘なら、この場で殺す。もし本当なら、少しだけ話を聞いてから殺す」
そう言いながら、天人の胸に鉤爪を突き立てる。いつでもお前を串刺しにして殺せる、という警告だ。
「梵……待ってくれ……」
「この名前もお前がつけたのか?」
「そう……だ……お前の……母のことも……知ってる……」
「ドラゴンの力のことは? どれだけ知ってる?」
「全てだ……」
「…………!!」
暫く考えてから梵はようやく、天人の身体を放してやった。天人は膝をつき、激しく咳き込む。
「なら今ここで全部話せ。今までどこにいた? このドラゴンの力は何だ? どうして俺を捨てた!?」
「落ち着け梵……ハァ……私は決して、お前を捨ててなどいない……」
竜人はゆっくりと立ち上がると、全身から光を放ち始めた。鱗が消え、尻尾が消え……光はあっという間に小さくなり、1人の人間の姿へと変わる。
年齢は40代くらいであり、白髪混じりの髪は頸まで伸びている。足首まであろうかというロングコートをマントのようになびかせ、その服装はカトリックの神父を思わせた。
「それがアンタの真の姿なのか?」
「真も偽もないさ。ただ表と裏があるのみ」
変身を解いたことで天人の身長も縮み、今では式条と変わらない目線の高さだ。
「梵、お前の姿も……見せてくれないか?」
梵は渋ったが、結局変身を解くことにした。光を放ちながら、本来の少年の姿に戻る。
天人は目を潤わせつつ、必死に笑顔を作った。
「あぁ……お前の母にそっくりな顔立ちだ。思い出すよ、幸せだった日々を……」
天人の目から、堰を切ったように涙が溢れ出す。そんな父の様子に、梵は何も言えなかった。
その直後、兵士たちの悲鳴が轟いた。
「みんな退がれ! アルビノが動いたぞ!!」
梵たちが驚いて振り返ると、満身創痍の体を無理に起こし、今にも暴れ出そうかという白いドラゴンが見えた。
「やばい……!」
梵は再びドラゴンに変身しようとする。だが、天人の動きはそれよりも早かった。
「何してる! 早く鎮静剤を打て!」
天人が他の竜人たちに向け叫ぶ。すると彼らは次々に人間の姿に戻り、懐から銃のような武器を取り出した。
「おい、待っ……」
式条が制止する間も無く、口内や傷口に向け一斉に銃弾が放たれる。程なくして白竜は力を失い、その場に倒れ込んだ。梵も式条も国防軍も、一部始終を呆然と眺めているしかなかった。
「何をしたんだ……?」
「ご心配なく。死んではいない。少し眠ってもらっただけだ」
「麻酔が効くのか?」
「特殊なものでね。その辺では手に入らない」
式条はただ驚いていた。この男は、自分たちよりもドラゴンについて遥かに詳しいようだ。
「勿論これだけではない。ドラゴンの歴史や正体、そして対抗手段についても研究を進めている。知りたくはないか?」
天人は梵に軽く目配せをする。しかし、梵の表情は緩まない。責め立てるように睨みつけ、天人に一歩ずつ近づいていく。
「それは凄いな。じゃあ聞くが、何で今までコソコソ隠れてた? アメジストが現れた時……遅くとも横浜が襲われた時に来てくれれば、救えた命が何万とあったんじゃないか?」
「そ、それは……」
梵にとって本当は、奪われた命のことなどどうでも良かった。だが、この自称父親がたじろぐ様子は、気分がいい。
「理由なら大体分かる。どうせ体よく利用したいだけだろ?」
「違う! それは断じて違う!」
必死に否定する天人を、梵は冷たい目で眺める。何も知らないくせに父親面をするこの男が、無性に腹立たしかった。
そう、こいつは何も知らない。俺が里親の元でどんな暮らしをしてきたかも、ドラゴンの力のせいでどんな災難に見舞われたかも。
「梵、贖罪をさせてくれ。少しだけ一緒に来て欲しい。後悔はさせない」
天人は玩具を諦めきれない幼児のように懇願している。
そうだ。こんな男の言うことなど無視すればいい。家では美咲も待ってる。さっさと帰ろう。
しかし……。
「お願いだ。私にチャンスをくれ」
天人の目には、涙が浮かんでいた。
この男が父親だというのは、おそらく本当だろう。ずっと、実の親に会うことを夢見てきたのだ。このまま別れてしまって、果たして良いのだろうか。少しくらい、話を聞いてみてもいいかもしれない。
「……1時間だけだ」
自分の意思で命令するより早く、言葉が出てしまう。梵自身やはり、父親がどんな人物なのかを知りたかった。1時間もあれば、大方の推測はつくはずだ。
「ありがとう……本当にありがとう」
天人は笑みを浮かべた。まるで子供のような、純粋な笑み。この笑顔が偽りか否かは、間もなく明らかになるだろう。
「今、ヘリがこっちに向かってる。それに乗って行こう」
「どこに行くんだ?」
「我々の秘密基地……かな。伊豆諸島にある島なんだ」
「そんな距離なら飛んでいける」
「1時間しかないんだ。なるべくゆっくり話していたい。それに、我々だけではあの白いドラゴンを運べないからね」
それまで黙って親子の会話を聞いていた式条は、そこで初めて体をピクリと動かした。
「おいおい、ちょっと待て。アンタら、雪也を秘密基地とやらに持って行こうとしてるのか?」
天人は式条を一瞥すると、僅かに唇を噛んだ。
「あなたの仰りたいことは解る。だがここは一つ、我々に任せていただけないだろうか」
「ああ勿論。正当な手続きを踏んでからな」
式条は両腕を組み、譲歩するつもりはないという姿勢を見せる。式条にとって、梵や雪也は常に守るべき対象だった。どんなに怪物じみた力を持っていても、彼らはまだ子供だ。こういう得体の知れない連中を遠ざけるのは、軍人である自分の使命に他ならない。
「大佐……では聞くが、あのドラゴンは"正式な手続き"が完了するまで大人しく待っててくれるのか?」
だが、譲る気が無いのは天人の方も同じだった。式条は言葉に詰まってしまう。
「こんな言い方はしなくないが、ドラゴンへの知識は我々の方が多く持ってると思う。仮にドラゴンをあなた方の基地へ運んだとして、その後は? 彼を正気に戻す手立てはあるのか?」
天人はさらに追い討ちをかける。式条は反論しようとしたが、何も思いつかなかった。
「大佐、申し訳ないが麻酔の効果はそれほど長くない。今すぐ判断してもらわないと」
式条の中に歯痒さがよぎったが、確かに時間も選択肢もあまり無いようだ。
「……わかった、雪也の身柄は預けよう。ただし、俺もお前たちについていく。お前たちが後ろめたい部分のない潔白な組織なら……構わないだろう?」
式条はわざと挑発的な言い方をして、相手の真意を確かめようとした。しかし、天人の顔に動揺は見られない。
「勿論ですよ大佐。そうしなければ貴方も上層部に説明がつかないでしょう?」
「お気遣いどうも」
若干の皮肉を込めてやったが、相手が気付いているかは分からなかった。
「では急ぎましょう。我々には時間がない」
「時間がないとは?」
それまで天人はホテルマンのように笑顔を浮かべ続けていたが、そこで初めて表情を強張らせた。そして大げさなほどにため息をつくと、訴えかけるように式条の方を見た。
「世界に大いなる危機が迫っている。我々は使命を果たさなければならない」




