第3話 新たな悪夢
夜になっても気温は一向に下がらず、むしろジメジメとした不快感が増したように思える。雪也は「バスケをやろう」などと言っていたが2人が猛反対し、結局VRゲームに興じることとなった。
「ちょっと雪也! 早く撃ってよ!」
「は!? お前今どこにいんの!?」
ゾンビを撃ち殺しつつ、甲殻類を模したような巨大な怪物と戦う。一応協力プレイ推奨のゲームだったが、残念ながら協力できているとは言い難かった。
「ねぇ雪也、狙って撃たないと当たらないんだよ?」
「んなことわかってるっての!」
見かねて梵がアドバイスをしても、一向に変化がない。雪也は銃を乱射するばかりで、敵の攻撃を喰らい続けている。
「あっちょっ!!? おい避けんな! くそっ待て待て待て待て……!!」
ゲームオーバーになるまでに、時間はかからなかった。
雪也と美咲はほぼ同時にVRゴーグルを外し、疲労の溜まった顔を晒す。
「あのね! ちゃんと弱点狙って撃たなきゃ倒せないんだってば!」
「お前こそ弾薬寄越せって言ってんのに何で手榴弾ばっか寄越すんだよ!」
協力という名の足の引っ張り合いを終えた2人は、言い合いをしつつソファー背もたれに寄りかかる。酷い結果に終わったが、ゲーム自体はそれなりに楽しんでいたようだった。
「ソヨ、お前次やるだろ?」
「え? うん……」
雪也は梵にコントローラーを渡すと、立ち上がって体を伸ばし始めた。
「ハァ~疲れた。美咲、コーラ余ってるか?」
「さっきアンタが全部飲んだ」
「マジか。じゃあサイダーは?」
「さっきアンタが全部飲んだ」
それを聞いた途端、みるみるうちに精悍な顔に絶望が広がった。まるで絵文字で表したような典型的な暗い顔は、どこか可笑しくもある。
「俺、ちょっと飲み物買ってくるわ」
と言い終わりもしない間に、雪也はベランダから飛び出していった。ドラゴンの白い翼が、月明かりに向けて消えていく。
「ねぇソヨ」
「ん?」
「あいつ……お金持って行った?」
「あ」
思い返してみれば、雪也は完全に手ぶらであった。金も持たずに一体何を買いに行こうというのか。連絡をしようにも、スマホすらもテーブルに置き去りだ。
「じゃあ、あの馬鹿が自分の過ちに気付いて帰ってきたらゲーム再開ね」
「うん」
美咲は大して驚きもしていない。それは梵も同じで、全身の力を抜いたままゲームオーバー画面を眺めていた。
時刻は既に午後9時半を回っている。梵は黙って座っていたが、ゲームばかりやっていたことで疲れが溜まったのか、だんだんと睡魔が強くなってくる。
「……うん。大丈夫、元気」
軽く目を閉じていると、横から話し声が聞こえ始めた。美咲の声なのは確かだが、誰と話しているのだろうか。
薄眼を開けて見てみると、美咲はタブレットに向かって気さくに話していた。テレビ電話中のようだ。
「今雪也が遊びに来てるの。うん、楽しくやってる」
『それは良かった。いつもながら済まないな。最近は特に仕事が多くて……』
「気にしないで。電話してくれるだけでも嬉しいから」
声と会話の内容で、電話の相手が誰かは分かった。美咲の父親だ。そして今は一応、梵の保護者でもある。
この父娘の会話は、世間一般のそれとは少し違うようだった。といっても梵自身も、世間一般とは程遠い環境で暮らしてきたのだが。
とにかく、親子というにはどこか溝があった。むしろ、夫婦のような関係に近いかもしれない。互いに多くを求めず、一定の距離を保つ関係。彼女が幼い頃母親を亡くしていることに原因があるのだろうか。
『それで、雪也はどこだ?』
「さっき飲み物買いに行った」
『じゃあ梵は?』
「えーっと……夢の中に片足突っ込んでる」
そう言って、美咲は梵のすぐ横に座る。タブレットには、軍服に身を包んだ美咲の父の顔が写っていた。
「こんばんはおじさん」
『お前も元気そうだな、梵』
「広義ではね」
重い瞼をこすって、なんとか画面に顔を向ける。頑張って目を開いても、一向に焦点が合わない。
『本当に寂しくないか?』
「心配ないってば。3人でずっとゲームしながらお菓子パーティやってたの。雪也も泊まっていくみたいだし」
『あまり夜更かしするんじゃないぞ』
「お父さんより夜更かしすることはないわよ」
美咲は通話終了ボタンを押すと、タブレットを横に置いた。これでも、以前に比べればだいぶ関係は改善されたらしい。
まあ、こういうことは深く詮索しない方がいいだろう。梵は再び目を閉じた。
旧横浜市 D-スレイヤー司令部基地
式条は暗転したタブレットを、名残惜しげに見つめていた。娘のことで頭がいっぱいだったためか、背後にいた部下の存在にも気付いていない。
「娘さんですか?」
不意に声をかけられ、式条は一瞬金縛りにあったように固まる。
「!!……おい驚かすな寺島」
「す……すみません」
式条はホッと息をつくと、タブレットを手近なテーブルに置いた。
「で、なんて言った?」
「あの、えっと……娘さんと話してらしたんですか?」
たどたどしく言葉を繋がる寺島に、式条は小さく笑う。
「ああ。元気そうだった」
「それは良かった」
「なんだか寂しくもあるがな」
「どういうことです?」
「なんだか……あいつにとって、もう俺はお払い箱なんじゃないかと思ってな」
「たった1人の父親でしょう? そんなことはないと思いますが……」
たった1人の父親……寺島のその言葉が、式条の胸に刺さる。
「なぁ寺島、もし突然親に"辛いことばかりで何もかも嫌になった。もうお前の側にはいてやれないから"って言われたら、どう思う?」
「それは……」
質問の意図を理解し、寺島は言葉に詰まる。
「……あぁ、すまない。馬鹿なことを聞いたな。もう行っていいぞ」
「し……失礼します」
寺島が去り、式条は独りになる。
妻を喪った時、どうにか現実を忘れようと、ひたすらに仕事に打ち込んだ。海外派遣にも望んで参加した。忌まわしき地から必死に逃れるように。
だが、自分には守るべきものがあった。美咲だ。それすらも捨てて、遠い国へ逃げてしまったのだ。
本当は美咲に、「俺がついてるから大丈夫だ」と言ってやらねばならなかった。自分は妻を喪ったが、美咲は母親を喪ったのだ。その苦しみは計り知れない。
母親は死に、父親は逃げ出してしまった。それがどれだけの絶望だっただろう。考えただけでも恐ろしい。
「……最低の父親だな」
無意識に自嘲の言葉が漏れる。
横浜が襲われた夜、何とか美咲を救い出すことができた。それで父親になれたつもりでいた。だが、過ちというのは一朝一夕で正せるものではない。
以前に比べればだいぶマシになったが、今なお美咲が父親に何かを求めることはない。氷の壁は、想像以上に分厚かったようだ。
ただ幸だったことは、梵や雪也という、美咲の隣にいてくれる存在があるということだ。彼らがいるならば、きっと大丈夫だ。彼らがいれば、美咲も寂しくはないだろう。自分は一歩引いて見守っていればいい。
「し……式条大佐!!」
突然部屋のドアが、乱暴に開け放たれる。そうして飛び込んできたのは寺島だった。
「寺島? いったい何なんだ」
式条が不機嫌そうに聞くが、寺島の顔は冷や汗に濡れ、青ざめていた。
「テレビ……テレビを見てください!!」
「テレビ?」
困惑しながら、式条はテレビにリモコンを向ける。
「これは……まさか……」
映し出された映像を見た瞬間、式条もまた目を見開き、青ざめていった。
「ねぇ、あいつ遅すぎない?」
美咲がさも不機嫌といった様子で尋ねてくる。
雪也が出かけてから、もう30分以上経っている。財布すら持っていないのに、一体どこで何をしているのか。
「まさか……何かあったんじゃ」
「ええ? 何かってなによ?」
「それは分からないけど……」
「カツアゲとかに遭ったのかもって? 大丈夫よ。あいつ手ぶらだし」
そうだ。雪也に限ってそんなことはあり得ない。あいつはドラゴンなのだ。あいつをカツアゲしようと思ったら、軍隊を引っ張ってこなくてはならない。この胸の中にくすぶる不安も、全て俺の思い過ごしだ。
梵はそう自分に言い聞かせた。
「ちょっとテレビでも見ようか。暇だし」
美咲はジュースを飲みながら、チャンネルを地上波に合わせた。
『えー……詳しい情報は入っていません。しかし都内数カ所で、火災と思われる黒煙が確認されています。警視庁は……』
ニュースキャスターが、緊迫した調子で原稿を読み上げる。明らかにただ事ではないという様子だ。
「えっ何なの、これ……?」
美咲と梵は、困惑と不安が入り混じった表情でテレビを見つめる。
『情報によれば、港区内の複数のビルが突然爆発を起こし……またこの直前、付近を未確認の生物が飛行していたとの目撃証言も多数寄せられています』
ニュースを聞いた瞬間、梵の胸がバクバクと波打った。
無確認の空飛ぶ生物……間違いない。ドラゴンが再び現れたのだ。おそらく、1年前に倒した"アメジスト"のようなドラゴンが。
「ソヨ、これって……」
美咲も同じ結論に達したようだった。
梵は立ち上がり、拳を握りしめる。
やはり、危機は去ってなどいなかった。恐ろしい何かが、今まさに始まっているのだ。




