第2話 見えざる脅威
国防軍対特殊生物即応特別部隊司令部(旧横浜市街地)-同時刻
ドラゴンの再襲来――――それは、今現在人類が最も危惧している事態だ。およそ1年前、長野県の中見原町を急襲した"アメジスト"ドラゴン。その正体や目的は、未だ明らかになっていない。各国政府は、この"アメジスト"と同種のドラゴンの出現を何より警戒しているのだ。無論、それは日本も例外ではない。当時の日本政府や国防軍は事態の全容を掴めず、結果甚大な被害を招いてしまった。
もう二度と、このような惨劇を繰り返してはならない……そんな決意のもとに新たに創設されたのが、国防軍対特殊生物即応特別部隊だ。この正式名称は長すぎるため、専ら"D-スレイヤー"の通称で呼ばれている。
D-スレイヤーの司令部となっている基地は、かつての横浜市街地に新設されたものだ。非常時には官邸や防衛省、陸海空軍、さらに横須賀の米軍と連携し、敵を迎え撃つという算段だ。
基地の中央には、かまぼこ型の巨大なドームが横たわっていた。航空機の格納庫にしては、あまりに大きすぎる。一般的な軍事基地と変わらない他の施設群に囲まれて、それは異様に目立っていた。
式条憲一大佐がいたのは、そのドームの中だった。簡素な展望デッキの手すりにもたれかかり、眼下に広がる光景に複雑な眼差しを向ける。"それ"は、まるでこのドームの主であるかのように、命を失ってなお周囲に恐怖を撒き散らし続けていた。
「"インフェルノ"……何度見ても慣れないものだな」
隣に立っていた木原勇中将が、畏怖を込めて呟く。
ドームの中に鎮座していたのは、インフェルノドラゴンの亡骸であった。かつて数万の命を奪った災厄は、今は国防軍の厳重な管理下に置かれている。このドームも、インフェルノを外から隠すためのものだ。
「えぇ……今にも動き出しそうです」
式条が声を抑えて答える。
ドームの中には日光は一切届かず、視界は僅かな照明に頼っている。そのため施設内は常に薄暗く、より一層怪物の不気味さを演出していた。
式条は改めて、インフェルノドラゴンを見下ろす。こいつが悪魔のような翼をはためかせ、炎で街を焼き尽くす光景を、この目で見た。自分たちはこいつと戦い、そして辛くも勝利した。
この70mを優に超える怪物が、かつては1人の人間であったとは、未だに信じられなかった。
しばし物思いにふけっていると、不意に横からカツカツと力強い足音が聞こえてきた。振り返ると、そこには軍服をしっかりと着込んだ女性の姿があった。女性は式条たちの前に立つと、力強く敬礼をした。
「式条大佐、木原中将。お取り込み中失礼します!」
別に取り込んでるわけではないが。という突っ込みは、心の中に留めた。
式条と木原は、共に敬礼を返す。
「何かあったか? 鞍馬?」
鞍馬智沙少佐。D-スレイヤー創設にあたり、新たに式条直属の部下となった女性だ。瞳は完全に戦士のそれで、普通に話しているだけでもどこか刺々しさを感じる。見るからに冗談は通じないタイプである。
「大佐……これをご覧ください」
そう言って鞍馬はタブレットを差し出す。そこに映し出されていたのは、何千年も前に描かれたと思われる壁画であった。やや頭部の大きな数名の人間が、筒で何かを飲んでいる様子らしい。
「これは何だ?」
「数日前にイラクで起こった軍と反政府組織の衝突の際、偶然出土した遺跡です。チグリス川流域から3km地点の地中に埋められていたそうです」
「……メソポタミア文明か?」
「おそらく」
式条は壁画の画像をまじまじと見つめる。しかしどこを見ても、特に変わった部分はない。よくある、歴史の教科書に載っているような写真だ。
「これが一体何なんだ?」
「問題は2枚目の写真なんです」
そう言われるままに、式条は画面をスライドさせる。その瞬間、式条と木原の顔が凍りついた。
「ど……どういうことだ……?」
先ほどの写真は、壁画の右半分を写したものであったらしい。そして、2枚目には左半分が写されていた。
そこに描かれていた生き物には、よく見覚えがあった。蝙蝠のような翼が生えた、人間の数倍はあろうかという巨大な爬虫類。赤い体色を持ったそれは、まさしくドラゴンだった。
周囲の人間は跪いて敬意を示しており、さながら神のように扱われていたようだ。
ドラゴンの体からは青紫色の液体が溢れ、古代人の1人がそれを筒で受け止めている。その筒は、1枚目の画像に写っていた筒によく似ていた。
「この青紫の液体はドラゴンの血液か?」
「そう考えて良いでしょう」
木原の質問に答えた式条は、もう一度タブレットに視線を落とした。
実物と酷似したドラゴンのデザインから見ても、壁画の内容が空想の産物ということはまずないだろう。ではドラゴンは、今から5000年も前に人類と接触していたということか?
何故人間がドラゴンを讃えている?
何故ドラゴンが人間に自身の血液を与えている?
人間は何のためにドラゴンの血液を摂取している?
疑問は尽きない。
「大佐。やはり……ドラゴンとの戦いは終わっていなかった、ということでしょうか」
深刻そうに聞く鞍馬に対して、式条は乾いた笑いを向けた。
「終わってなかったか? とんでもない。これから始まるんだよ」
式条たちは再び眼下のドラゴンを見下ろす。もう二度と動かないはずのインフェルノの亡骸は、心なしか邪悪な笑みを浮かべているように見えた。
東京都港区-同日午後3時
帰宅し、シャワーを浴び終えた梵は、Tシャツに膝上の短パンという可能な限り涼しい格好でソファーに寝転がっていた。美咲もほとんど同じ格好で、もう1つのソファーの上で溶けかかっている。
マンションの高層階であり、地上より僅かに宇宙に近いためか、部屋の中には日差しがギラギラと照りつけていた。クーラーをフル稼働させても、ジュースをボトルごと飲み干しても、暑さは消えない。家全体がサウナになっているようだった。
「美咲……」
「なに~……?」
「雪也って何時に来るんだっけ?」
「も~すぐだと思うけど……」
そんな力の無い会話を交わした後、再び沈黙が訪れた。暑さで思考が働かず、互いに次の言葉すら思いつかない。ジメジメとした雰囲気が、部屋全体を包む。
……ガタガタガタ!
そんな静寂を破ったのは、窓が激しく揺れる音だった。竜巻でも起こったのかと思い、2人は驚いて上体を起こす。
だが、ベランダに立っていた1人の少年を見て、すぐに安堵した。永代雪也だ。
「やっぱりね……そうだとは思ったけど」
美咲は呆れ顔で立ち上がる。雪也は何度も来るうちに、屋上に着地することすら面倒になったらしく、最近は直接ベランダに着陸していた。彼は意外に器用なため物を壊すようなことはないが、それでも翼長数十mのドラゴンが迫れば、災害に近い突風が起こってしまう。
「もう! 普通に入ってこれないの!?」
「お前にとっては非常識でも、俺にとっては普通なんだ」
美咲が渋々窓を開けると、雪也が如何にも悪ガキという笑顔を浮かべて家に上がってきた。雪也の服装も半袖短パンの、実に夏らしい服装だ。と言っても彼の場合、身なりは年中通してあまり変化しないが。
「お~いソヨ! 何へばってんだよ!!」
「あーもう……ウザったいからこっち来んな」
雪也が梵をソファーから引き摺り下ろそうとし、梵がそれに決死の抵抗をする。
この1年で、雪也の性格はよく分かっている。いい奴ではあるのだが、色々と他人の都合を考えないところがある。要するに面倒臭い友達だ。
まあ、それに関しては向こうも同じことを思ってるのだろうが。
「なあ美咲! コーラどこコーラ?」
「うるっさいわね! 黙って座ってなさい! アンタ騒いでないと死ぬわけ!?」
代わり映えしない2人のやりとりを、梵は体を起こして眺める。
こんなどうでもいい光景を見ているのが、何故か楽しかった。これまでまともに人と関われなかった梵にとっては、何もかもが新鮮で美しく思えた。
「おいソヨ! 何こっち見てニヤニヤしてんだよ!」
「……へ?」
雪也に指摘されて、ようやく自分が笑みを浮かべていたことに気付いた。
「な……何でもないっての」
梵は慌てて顔を引き締める。自分の心の内を探られるのは、無性に恥ずかしい。そんな思いを知ってか知らずか、今度は雪也がからかうような笑みを浮かべた。
「おやおや、梵くんもようやく自分の気持ちを素直に表せるようになったかな?」
「黙っとけ」
梵は不機嫌そうに再びソファーに転がる。
表面上は顔をしかめていたが、正直悪い気はしなかった。それどころか、一種の安心感すら覚えている。これが人の温もりというものなのだろうか。
もしこれが、自分がずっと望み続けた未来ならば……自分がずっと求め続けた幸せならば……どうか消え去らないでほしい。いつしかそう願っていた。




