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エピローグ 束の間の安息

太平洋上空-2030年1月2日


 果てしなく続く雲海の上を、1機の小型ジェット機が飛行していた。機体の側面には、サーガ機関のシンボルが刻印されている。

 機内には黄金色の太陽が差し込み、静かな時が流れている。この専用機には当然一般の乗客などおらず、朝霧と他数名のスタッフが搭乗するのみだ。

 朝霧は柔らかいシートに腰掛け、目の前に設置されたモニターと向かい合っていた。壁に掛けられた大きな画面には、スーツを着た白人の男が数名映し出されている。彼らの表情は、一様に硬い。


『朝霧、君が生きて帰ったのは不幸中の幸いだった』


 画面の中の男が口を開く。

 男は椅子の背もたれに身を預けると、大きくため息をついた。


『サーガ機関は、各国政府の援助により成立している。だが富士田の一件で、我々の信用は地に落ちた。アメリカに至っては、支援の打ち切りを示唆しているという有様だ』


 朝霧は沈黙を守ったまま、画面をまっすぐに見つめていた。

 彼女は今、ニューヨークを目指して飛んでいる。画面の男たち……サーガ機関の幹部に直接会い、事情聴取に応じるためだ。


『……富士田の研究データは、本当に一切残っていないのか?』


 男は淡々とした語り口で話す。朝霧は首を縦に振った。


「日本支部にあった資料は全て焼け落ち、ハードディスクも富士田博士によって破壊されていました。残念ながら、博士が何を発見したのかも……」

『そうか……実に悔やまれるな』


 報告自体に一切の虚偽はない。しかし仮にデータが残っていたとしても、朝霧はその一切合切を焼却していただろう。

 生物をドラゴンに変異させる力など、それこそ人類の破滅を招くだけだ。


『何にせよ、ドラゴンが通常の進化を遂げた種ではないのは明らかだ。奴らは古生物のゲノムを改変し、肉体を1から再構築することで生まれた……富士田により、それは事実だと証明されたわけだ』


 今度は別の男が話し始めた。先ほどの男よりも、幾分か老成した雰囲気だ。


『全く信じられん話だよ。まるで、ネズミを白馬に変える魔法じゃないか』


 魔法……まさしくその通りだ。ドラゴンの存在は決して進化の結果ではない。何者かが、古生物たちをドラゴンに変異させたのだ。

 ペルム紀の大量絶滅の原因は、環境の急激な変化だと言われている。だが、その程度でドラゴンが絶滅するはずはない。ドラゴンの誕生と破滅には、何者かの意思が介在していた……と考える他なかった。

 ドラゴンは神の化身……富士田博士の言葉は、あながち間違いではないのかもしれない。


『では、続きはこちらに到着してから話そう』


 モニターが暗転し、交信が終了する。

 朝霧は全身の力を抜いて、窓の外に目をやった。

 雲の向こうに沈む太陽はとても美しく、そしてどこか物悲しさを感じさせるものだった。








東京都 港区-2030年1月7日


 式条と美咲の親子は、とある新築マンションの52階を訪れていた。まだ家具などは無く、部屋の中は殺風景だが、窓からは東京タワーや六本木ヒルズが望め、景色は申し分ない。

 美咲は広々とした空間の中心に立ち、ぐるりと周囲を見渡す。


「どうだ美咲? 新しい我が家は」

「うん、凄く気に入った!」


 父の質問に、美咲は笑顔で答える。それを聞いて、式条はホッと胸を撫で下ろした。

 インフェルノドラゴンの襲撃により横浜は壊滅し、都市機能は完全に失われてしまった。式条親子が住んでいたマンションも倒壊し、しばらくは避難所生活を余儀なくされた。

 そのまま仮設住宅に移転するはずだったが、木原中将の計らいでこの東京のマンションに入居できた、という形だ。

 避難生活が長期に及ぶと、娘の精神衛生上の問題も出てくる。それを心配していた式条にとって、木原中将の心遣いは渡りに船であった。


「ここが新しい家だよ、お母さん」


 美咲は台所のカウンターに写真立てを飾る。その中には、亡き母と共に撮ったあの家族写真が収められていた。


「ありがとう。お父さんを守ってくれて……」


 美咲は両手を合わせ、天国の母に拝んだ。式条も美咲の横に並ぶと、共に合掌した。


 ――――ありがとう。俺はようやく、父親になれたみたいだ。


 心の中で妻に語りかける。

 もちろん返事は返ってこないが、式条の胸は今、この上なく満たされていた。

 もう逃げない。これからは何があっても、美咲を共に歩み続ける。それが父親としての役目だ。

 美咲は合掌を終えると、スマホで時刻を確認した。画面には、16時ちょうどと表示されている。


「あ、そろそろ時間だ! じゃあお父さん、ちょっと行ってくる」

「ああ」


 美咲は嬉しそうに玄関をを飛び出すと、足早に屋上への階段を上がり始めた。この時間、このマンションの屋上で、友達と会う約束をしていた。あの夜以来一度も会えていなかったので、これが念願の再会となる。

 階段を上り、屋上への扉を開けると、そこには2体のドラゴンがいた。それを見ただけで、美咲の顔が綻ぶ。


「久しぶり、ソヨ!」

「うん」


 梵は殆ど表情を変えなかったが、その声は心なしか嬉しそうだった。

 続いて美咲は、白いドラゴンの方に視線を移す。


「あなたが雪也ね?」

「おっと、この白くてハンサムな顔でバレちまったかな?」


 美咲が吹き出すと、白竜も笑みを見せた。


「お前が美咲なのか?」

「ええ、そうよ」

「あのイカついおっさんの娘なんだろ? もっとこう……女子プロレスラーみたいな感じかと思った」

「どんなイメージよ……」


 雪也は長い首をを近づけ、じっくりと少女を観察する。しまいには匂いまで嗅ぎ始めたため、美咲は不審そうに顔を歪めた。


「うん。確かに匂いはそっくりだな」


 すると雪也は何かに気付いたように、再び少女に顔を近づけた。


「あぁ、俺お前のこと知ってるわ!」

「え?」

「中見原駅にいた奴だろ? ほら、ソヨと国防軍が戦っててさ」

「あ~あの時ね! 覚えてる覚えてる。 あの時は本当に怖かったんだから! たちを殺す気じゃないかって思った」

「そいつは悪かった。登場シーンをキメるのに必死でな」


 楽しげに話す雪也と美咲を見て、梵は一安心する。この2人は気が合いそうだと思っていたが、その勘は正しかったようだ。しばらく眺めていると、今度は美咲が白竜の体によじ登り始めた。

 翼を足場にして胴体に上がり、そこから首を伝って頭部を目指す。そしてツノに両手を掛けつつ、ドラゴンの頭の上に仁王立ちをした。


「うわぁ~~~最高じゃない!」


 梵はそこで理解した。彼女は、ドラゴンの目線から東京の街を一望したかったようだ。

 美咲は夕焼けと高層ビル群の共演に瞳を輝かせながら、何度も感嘆の声を漏らしている。


「どうだ? いい景色だろ?」

「うん……とっても」


 西陽がビル群に反射し、キラキラとダイヤのように輝いている。美咲はそれを堪能すると、続いて上半身を仰け反らせ、青色とオレンジ色が混在する空を仰いだ。

 冷たい風が吹き付けるたびに、短めの髪がふわりとなびく。


「ねぇソヨ、初めて会った日を思い出さない?」


 美咲は青竜の方を向き、そう尋ねる。

 梵は景色を眺めながら、この半年間の出来事に想いを馳せてみた。思い返せば美咲に正体を明かした時も、夕焼けの屋上であった。


「なんだか……遠い昔な気がする」


 初めてドラゴンの力が覚醒してから今日に至るまで、本当に色々なことがあった。恐ろしいことや、死にかけたことも幾度となくあった。

 だが、人生で初めて自分の居場所を得た。初めて友達も得た。それだけでも、大きな一歩だ。


「ねぇ、あなた達ってどっちが飛ぶの上手いの?」


 美咲が唐突にそう質問する。


「え? そりゃもちろん俺だな」


 雪也は間髪入れず答えた。

 すると美咲は白竜の首を滑り降り、胴体とのつなぎ目に鎮座した。この時点で既に、彼女が何を言い出すのか予想がついた。


「じゃあ雪也、私を乗せて飛んでよ」


 案の定の提案であった。

 雪也は当然快諾し、美咲は大はしゃぎする。だが、梵だけは不安げだった。


「美咲……それはやめた方がいい」

「え? 何で?」

「そいつの飛び方……かなり危ないから」


 梵の中で、嫌な思い出が蘇る。一度背中に乗った時は、冗談抜きで胃の中のものを戻しそうだった。


「大丈夫よ! 私絶叫マシンとか好きだし」

「そう来なくっちゃ」


 美咲にとっては、梵の忠告などどこ吹く風のようだ。雪也の方も完全に乗り気らしい。


「よーし! じゃあ飛ぶぞ!」


 白いドラゴンはその身を屈め、翼を広げる。その直後、巨体は打ち上げ花火のように飛び上がっていった。


「いやああああああああぁぁぁぁ…………」


 美咲は断末魔のような叫びを轟かせるが、それも瞬く間に空の彼方に消えていく。

 屋上に残された梵は、半ば呆れたように悲鳴の出所を目で追った。


「だから言ったのに……」


 軽くため息をつくと、自身も紺碧の翼を羽ばたかせた。何もかも、今では手慣れたことだ。

 風もなく、雲も少ないため、上空からは大都市の絶景がよく見えた。民家も車も、人の歩く様子まで、全てが透き通っている。

 こうやって縦横無尽に空を飛び続けていると、あらゆる(しがらみ)から解放されたような気になれた。

 青い全身が太陽の色に染まり、穏やかな気流が周囲を包む。梵は目を閉じて、感覚だけに全てを委ねた。


 ――――世界は終わる。ドラゴンこそが、この星の支配者だ。


 ふと、富士田の最後の言葉が脳裏をよぎる。一瞬だけ悪い予感が蘇るが、梵は慌ててそれを振り払った。

 悪夢は終わった。もう恐ろしいことは何も起きない。自分はもう、孤独ではないのだ。


 今はそう信じることにした。








ロスト・ドラゴン・ヒーローズ-第1章- 完

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