第36話 約束
ドアの向こうには、相変わらずの光景が広がっていた。建物という建物は炎と煙を上げ、その上空では3体のドラゴンが死闘を演じている。
この世のものとは思えない。次の瞬間に自分が精神病院にいたとしても、何も疑問に感じないだろう。
だがこれは現実だ。現実に横浜が壊滅し、たくさんの人が殺されたのだ。
「何もかもイカれてやがる……」
式条はやり場のない怒りを込めて呟く。
美しかった夜景も、今はもう存在しない。正体すら分からない生物によって、永遠に奪われてしまったのだ。
――――人間の世界は崩壊した。
異界の如き情景は、そのことを否が応にも感じさせた。
「くっ……ヘリはまだか!?」
周りを見渡しても、こちらに向かってくるヘリは見当たらない。どこもかしこも手一杯なのだろうか。
寺島が、救難信号を兼ねた照明弾を打ち上げる。兵士たちは常に銃を構えるが、この状況では気休めでしかない。実際にできることは、ドラゴンに見つからぬよう神に祈ることだけだ。
「ソヨ……」
美咲も天を仰ぎながら、祈るような気持ちでドラゴン達の戦いを見ていた。
当初は梵たちが優勢だったが、敵の圧倒的な力に、だんだんと防戦を重ねるようになってしまう。
それもそのはずだ。梵たちの攻撃は全く効いていないが、敵は一撃で梵たちを消し飛ばせるのだ。こんな一方的な戦いでは、追い込まれていくのも無理はない。
そんな劣勢の戦いの中、またも梵が敵に吹き飛ばされた。そしてなんと、美咲たちのいる屋上へ落下してきてしまう。
「中佐! サファイアが!!」
「危ない! 走れ!!!」
ドラゴンの巨体が、兵士たちの頭上を覆う。式条はそこで死を覚悟した。しかし、彼らが潰されることはなかった。
梵は落下の直前、変身を解いていたのだ。少年の体が、コンクリートに叩きつけられる。
「ソヨ!!」
美咲は脇目も振らず、少年のもとに駆け寄っていく。式条も若干困惑しながら、そのあとを追った。
――――我々のために、変身を解いたのか?
倒れこむ少年を見て、そんな考えが浮かぶ。彼らは明らかに、富士田を止めるために戦っていた。
だとすれば我々は、取り返しのつかない間違いを犯したのではないか。信じるべき者を疑い、決して信じてはならない者を信じてしまったのではないか……。
「ソヨ……大丈夫?」
「ああ美咲……無事で良かった」
美咲は跪いて、倒れている梵を介抱する。
梵にとっても、それは数ヶ月ぶりの再会であった。インフェルノに襲われたのが横浜だと分かった時から、ずっと彼女のことを気にかけていた。
「まさかこの街が襲われるなんてね……。間に合わないかと思ったよ」
「うん、助けてくれてありがとう。私がまだ生きてるのはあなたのお陰よ」
美咲は優しく微笑む。それを見て、梵も口元を緩ませた。
「今までどこで何をしてたの? 服もボロボロだし……」
梵はそこで初めて、自分の身なりを確かめた。纏っていた薄い検査着も、火事の中を歩いたせいでボロボロだ。思わず、苦笑いを漏らす。
「それは……今度話すよ」
そんな2人の様子を見て、式条は深く後悔していた。
美咲は散々、サファイアは敵ではないと訴えていた。何故自分は我が子ではなく、富士田などを信じてしまったのか。過ちの代償はあまりにも大きい。
「本当にすまなかった」
式条は2人のそばに寄り、本心から謝罪する。
「こんなこと頼める立場じゃないのは解ってる。だが教えてくれ。お前とアルビノはどうやって……アメジストを倒したんだ?」
藁にもすがる思いでそう訊いた。
軍は既に、全ての手札を使い果たしている。だから式条にとって、アルビノとサファイアは唯一の希望だった。彼らだけが、ドラゴンを殺すことに成功したのだ。
梵は少しばかり考える仕草を見せる。
「えっと確か……雪也が、あいつの口の中に火球を撃ったんだ。俺が口をこじ開けて……」
「なるほどな」
式条はそこで確信を持った。
朝霧博士は、熱暴走を誘発させるのが有効と言っていた。口は体内に直接通じているため、戦法としては極めて合理的だ。
アメジストが死んだロジックは不明だが、体細胞が不安定なインフェルノには一層有効であるはずだ。
「でも、それは無理だと思う」
式条の考えを遮ったのは、その一言だった。
「あれは、あいつがたまたま失明してくれたから出来たことなんだ。それに、あんなデカいドラゴンの口をこじ開けるなんて、絶対無理だよ」
梵に言われ、式条は顔をしかめる。
考えてみれば確かにそうだ。インフェルノの体長は約80m、アメジストの倍近くある。対して、こちらのドラゴンはせいぜい20m程度。体格差があまりにも大きすぎる。
――――どうすればいい……!?
他に弱点があるとも思えない。どうにかして、奴の口をこじ開ける方法を考えなければ。
梵は再びドラゴンに変身し、戦いに赴こうとしていた。いつまでも、雪也を1人で粘らせるわけにはいかない。
「ソヨ!!」
不意に自分の名前を呼び止められ、梵は声の主を見下ろした。
「美咲……?」
美咲はドラゴンの瞳をじっと見つめていた。
呼び止めたはいいものの、何を言うべきか分からない。梵も長くは待ってくれないだろうから、必死に頭を働かせた。
「絶対に……生きて帰ってきて」
思いついた言葉はそれだった。それが、最も伝えたいことだった。せっかくまた会えたというのに、すぐに今生の別れが訪れるなど、耐えられない。
「約束はできない。でも、あいつは絶対に倒す。だから安心してくれ」
梵はそれだけ言うと、再び戦火の中に飛び込んでいった。
梵の返答は、美咲の望んだものではなかった。
"必ず帰ってくる"
本当はそう言って欲しかった。喉元につっかえる物を覚えながらも、無理やりに気持ちを押し殺した。
「中佐! ブラックホークです!」
兵士の1人が叫ぶ。
美咲がもう一度空を見ると、大型のヘリコプターが向かってくるのが見えた。ヘリは一旦上空でホバリングすると、ゆっくりと屋上に降下してくる。
「中佐! 要救助者は何人ですか!?」
着陸したヘリから、1人の兵士が顔を覗かせた。
「1人だ!」
美咲は父とともに歩いて行くと、言われるままにヘリに搭乗した。
「え、お……お父さんは?」
ヘリに乗らずに後ずさる父を見て、美咲は驚いた。父と一緒に街を脱出する、そう思っていたからだ。
「俺は乗らない。まだ任務が残ってるからな」
「え……!?」
美咲は思わずヘリを降りようとしたが、搭乗していた兵士に制止される。
「お父さん! 一緒に行こう!!?」
「こうなったのは俺たちの責任だ。俺が逃げるわけにはいかない」
「そんな……」
「サファイアを……見捨てるわけにはいかないだろう?」
そう言われると、美咲は反論できなかった。
「美咲。父さんを信じてくれ」
式条は愛する娘の髪を撫でてやる。美咲は今にも泣き出しそうだったが、一度小さく深呼吸をすると、ポケットから何かを取り出した。
「お父さん……これ」
美咲が渡したのは、一枚の写真だった。10年以上前に撮られた、家族3人の写真だ。その中では、亡き妻も輝くような笑顔を浮かべている。
式条は何も言えぬまま、写真を受け取る。
「お父さんを待ってる間、ずっと持ってたの。それがあれば、天国のお母さんが守ってくれるから」
「ああ……ありがとう」
式条は、零れそうになる涙をグッとこらえた。
「じゃあ、また後でな」
それだけ伝えて、ヘリのドアを閉める。自分と娘の間は、分厚いガラスに隔てられてしまった。もう会話をすることもできない。
上昇を始めるヘリの中で、美咲は敬礼をしていた。式条も力強い笑みを宿しながら、敬礼を返す。
ヘリが遠くへ去ったのを確認すると、もう一度家族の写真を見つめた。前にこの写真を見たときは、猛烈な吐き気に襲われた。しかし今は、優しい温もりで自分を包んでくれるようだ。
――――美咲の言う通り、母さんが守ってくれてるのかもな。
式条の胸に、そんな思いが湧いた。




