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第34話 ヒーロー

式条の乗るブラックホークは、すでに横浜市内に入っていた。ここは式条にとって故郷であったが、見慣れた街並みは最早どこにもない。あるのは、果てしなく広がる炎の海だけだ。

まばらに残っていたビルも、地面に吸い込まれるように倒壊していく。街の半分以上が焼き尽くされ、別の町が襲われるのも時間の問題だろう。


「本部へ報告……中央区、磯子区、西区、南区、神奈川区、鶴見区、保土ケ谷区は既に壊滅状態。被害はさらに拡大中」


式条は胸が締め付けられる思いだったが、感情を押し殺して端的に報告する。

ヘリ部隊は町中に分散していき、各々逃げ遅れた生存者の救出に当たり始めた。


『式条、こちらからも報告がある』


無線から聞こえてきたのは、木原中将の声だった。


『敵の正体がわかった』

「正体?」

『コードネームは"インフェルノ"。奴は富士田承之介が変異した姿で、詳細は不明だが大量破壊が目的のようだ』

「富士田博士ですって……!?」

『博士はどうやら、ドラゴンに進化するための法術を見つけたらしい』


思い返してみれば、あの男には底知れない不気味さがあった。初めて握手を交わした時から、得体の知れない……非人間的な雰囲気を宿していた。その正体を、今なら理解できる。あれは、世界を消そうとしている人間の目だったのだ。


『式条、"インフェルノ"をそこから確認できるか?』


式条はヘリのドアを開け、そこから身を乗り出した。地上から熱と黒煙が襲いかかり、反射的に手で顔を覆う。

何とか目を開けてみると、数km先の北側はまだ無事なことが分かった。焦土と化した部分と、まだ被害の軽微な部分……この世と地獄の境目がはっきり見える。

そしてその境界線に、ドラゴンはいた。相変わらず炎を手当たり次第撒き散らし、町を侵食し続けている。


「ターゲットを視認。あれが……富士田博士なんですか?」

『その通りだ。気をつけろよ、式条』


交信を終えると、今度は回線をパイロットへと繋いだ。


「港北区の高層マンションに向かってくれ。探したい人間がいる」

『了解です』


数分後、ヘリはタワーマンションの真上に到着した。まず式条がロープで屋上に降り立ち、それに数人の部下が続く。


「スティンガーミサイルはここで待機。残りは俺について来い」


屋上に2人を残し、式条を含む4人でマンション内に突入した。急ぎ足で階段を下りながら、娘の待つ自宅を目指す。

美咲がこのマンションにとどまっていれば、きっと生きている。しかし、地上に降りて逃げ出していたら……見つけることはかなり厳しいだろう。

式条は目的のフロアに到着すると、一直線に自宅を目指した。他の住宅は既にもぬけの殻で、ドアも開けっぱなしになっている。よほど慌てて逃げ出したようだ。

式条は、自宅の玄関ドアに辿り着く。施錠されており、外から開けることはできない。


「寺島、C-4を使え」


寺島は前に出て、手際よくドアに爆弾を仕掛ける。爆弾のスイッチが入れられると、ボンッという音とともにドアに風穴が開いた。

式条はドアの残骸を蹴破り、勢いよく中に突入していく。


「美咲! 美咲、いるか!?」


式条は土足のまま自宅へ上がると、必死の思いで娘の名前を呼んだ。しかし、返事は返ってこない。

廊下を抜け、リビングに入ってみる。やはり電気は通っておらず、全ての部屋は暗闇のままだ。唯一、窓から見える炎だけが家の中を照らしていた。

美しかった横浜の夜景は、もはや見る影もない。火災はわずか数百m手前まで迫っており、このマンションが呑まれるのも時間の問題だろう。


「くそっ……美咲! どこにいるんだ!?」


式条と、他の3人も美咲を探すが、やはりどの部屋にもいない。


「中佐……もう警察や救助隊に保護されたのかもしれません」


寺島の言葉も耳に入らず、式条はその場に立ち尽くした。

状況が状況だ。運良く保護された可能性はそう高くない。こうなる覚悟はしていた。しかし受け入れ難い現実に、目眩がして意識が飛びそうになる。


「おとう……さん……?」


その時、背後から弱々しい声が聞こえた。振り返ると、キッチンの裏に少女の姿があった。その少女は何を隠そう、愛娘の美咲ではないか。


「美咲!!」


式条は転びそうになりながら走り寄り、娘の体をきつく抱きしめた。


「お父さん……来てくれたんだ」

「当たり前だ……俺はお前の父親なんだから」

「怖かった……本当に怖がっだ!!」


震える少女の体が、たくましい腕に包まれる。美咲は涙を流していた。こんな場所で、燃え上がる街をたった1人で目の当たりにしていたのだから、無理もない。


「独りにさせて悪かった。もう大丈夫だ」


式条は父親らしい口調で、娘を安心させるように言った。


「上にヘリが来てる。一緒に逃げよう。歩けるか?」


美咲は子供のような泣き顔のまま、首を縦に振った。そして父に支えられながら、ゆっくりと歩き始める。


「よし、一刻も早く脱出するぞ」


式条は部下達に先導を促す。

美咲は見つけることができた。だが危機を脱したわけではない。油断は絶対に禁物だ。

刹那、どこかから体の芯に響くような爆音が聞こえた。振動で、部屋の家具やら何やらががカタカタと揺れる。

一体何が起こったのかと、5人は不安げに辺りを見回す。屋上にいる部下達から、絶叫に似た通信が入ったのは、その直後だった。


『中佐、聞こえますか!? ヘリが撃墜されました!!』


耳を疑う報告だった。

だが窓の外を見てみると、今しがた乗ってきたヘリが炎と黒煙を吹き、機体をクルクルと回転させて落下していた。式条の体が凍りつく。


『逃げてください!! "インフェルノ"が来ます!!!』


――――まずい!


全身に電撃のような恐怖が走る。その直後、窓が巨大な影に遮られた。

ドシンという大地震のような揺れがマンション全体を襲い、式条たちはその場に転倒してしまう。家具は折り重なるように床に叩きつけられ、ガラスの砕ける音が家中から響いた。

視界がぼやける中、式条はもう一度窓の方に目をやる。そこにあったのは、ゴツゴツとした紫色の鱗。生き物の体の一部だろうが、巨大すぎて全体像は把握できない。外皮のところどころからオレンジの光が漏れていて、それは噴火寸前の火山を思わせた。


――――ドラゴン!!


今自分が目にしてるのは、"インフェルノ"だ……直感がそう告げる。

直後、人間の背丈ほどもある鉤爪が、マンションの外壁を一気に破壊した。式条たちは部屋ごと外気に晒され、そしてドラゴンと直接対峙することとなった。

式条はライフルを構え、一歩ずつドラゴンに近づく。ドラゴンの方もまた、グロテスクな顔面を寄せてきた。


「富士田博士……なのか?」


恐る恐るそう尋ねる。

ドラゴンはかなりの体温があるようで、近づいただけでも焼けるような熱を感じた。


「式条中佐……また会えて光栄だ」


ドラゴンが重々しく轟くような声で答える。その特徴的な話し方は、富士田と瓜二つだった。どうやら、木原中将からの情報は本当だったらしい。

美咲や部下を背に庇いながら、銃の引き金に指を当てる。かつて富士田だった怪物は、そんな式条を嘲るように口角を上げた。


「中佐、あなたは優秀な軍人だが……今回ばかりは判断を誤ったな」


そう言ってドラゴンは、赤々とした灼熱の炎を口に宿した。この街を火の海にし、多くの命を奪った炎だ。


「くっ……」


あんな火炎を食らえば、自分たちなど骨すら残らないだろう。

式条たちに為す術はなかった。一度ヤツの眼光に捉えられれば、絶対に逃げられない。ましてや銃など通用するはずもない。

美咲も、式条の腰に抱きついて怯えている。誰もが迫り来る死を確信した。


――――終わりだ。


式条は敵の姿をじっと見据え、最期をもたらす者の姿を目に焼き付ける。それがせめてもの抵抗だった。


――――ああ、もう少し早くここに辿り着いていれば……もう少しヤツが来るのが遅ければ……生き残れたかもしれないのに。


そんな後悔が頭の中を巡る。だが、全ては手遅れだ。

部屋全体が炎で赤く照らされる。

結局、娘を救うという誓いすら果たせなかった。亡き妻は、こんな自分になんて言うだろうか。

なにもかもがスローモーションだった。目の前にまばゆい閃光が迸ったかと思うと、直後には凄まじい熱風に襲われた。







だが、式条は無事だった。式条だけでなく、美咲や他の軍人たちも。

爆発で吹き飛んだのは"インフェルノ"の方だった。顔半分から白い煙が上がり、苦しそうに喉を鳴らす。紫とオレンジの魔物は、ゆっくりと地上へ崩れ落ちていった。

巨体が地面に転がり、再び地震のような揺れが起きる。


「な……なんだ?」


美咲や軍人たちは、一様に外の世界を凝視する。鬼が出るか蛇が出るか、式条は再び銃を構えた。

現れたのは、紺碧の翼だった。

インフェルノよりもだいぶ小さいが、禍々しさは微塵もなく、全身の鱗は光を反射して輝いている。海を思わせる碧きドラゴンは、炎に包まれた世界では一際美しく思えた。

ドラゴンは式条たちの目の前で滞空し、倒れたインフェルノと睨み合っている。


「サファイア……!?」

「ソヨ……!!」


式条父娘は同時に声をあげる。

かつて抱いた印象は正反対であったが、2人にとって今この瞬間、天から舞い降りた青き竜は、救世主そのものであった。

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