第32話 パニック
『ダメだ、火災規模が大きすぎる! 消火活動を中止して地下に退避しろ!』
『松島基地からF-35JとF-3がスクランブル発進。12分以内に横浜に到着する』
『市内全域から、119番通報が1000件以上寄せられており……』
『巨大生物は鶴見区方面に飛行中! 我々ではどうしようもありません! 指示を請う!』
『川崎市・鎌倉市・横浜市には現在、避難指示が出されています!』
『政府はたった今、国民の生命と財産に重大な危険が迫っているとして、国防軍の出動を決定しました』
国民保護サイレンが鳴り響く横浜市内は、全体がオレンジ色の光に包まれていた。街を彩っていた高層ビル群は、煙突のように大量の黒煙を吹き上げている。
数時間前には、こんな事態は誰も予想していなかった。だが今、惨劇は現実のものとして、人々の眼前に立ち現れている。
『横浜市役所の三村さんと電話が繋がっています。三村さん、そちらはどんな状況ですか?』
『えっと……形容のしようがありません。庁舎の周りは炎に包まれていて、真昼間のような明るさです。被害の報告はもはや数え切れません』
『三村さんも危険な状況、ということですか?』
『その通りです。どうやら、巨大な生物が街を破壊しているようで……』
『生物ですか?』
『……すみません。我々もこれから避難し……』
『三村さん? 三村さん聞こえますか? 三村さん!?』
地上にいた何千という人々は、逃げることもできないまま焼き殺された。ビルの中にいた人々は、建物が倒壊する中でコンクリートの濁流に飲み込まれた。男も、女も、大人も、子供も関係ない。死神は一切の情けを持たず、全てを焼き尽くす。
消防士や警察官は何とか市民を地下に逃がそうとしたが、救えたのはごく一部だけだ。大火の中には、今も数多の命が取り残されている。
燃え上がる紅蓮の大地の中に、ドラゴンの巨大な影が照らし出される。それは黙示録の一場面のように恐ろしく、そして美しい光景だった。
東京都練馬区 朝霞駐屯地
駐屯地内では、兵士たちが慌ただしく出撃の準備をしていた。廊下にも人が溢れかえり、部隊に合流するために走り回っている。
『横浜市へ防衛出動命令。駐留中の全歩兵部隊は、装備点検ののち直ちに出撃せよ』
式条は混乱する廊下の隅で、必死にスマホを操作していた。さっきから娘に連絡を取ろうと悪戦苦闘しているが、一向に繋がらない。
『ただ今、回線が混み合っております。しばらく経ってからお掛け直しください』
「くそっ! 何だよ!!!」
何度試しても結果は同じだった。
もうすっかり聞き慣れてしまった合成音声に、焦りと苛立ちを覚える。おそらく、安否確認の電話が一斉に飛び交っているのだろう。さらにニュースでは、インターネットへの接続が困難になっているとも言っていた。
SNSなどはまさにパニック状態だった。ベイブリッジが崩落する瞬間の動画や、炎に包まれたみなとみらい21の画像が多数アップされ、さらにはドラゴンの目撃情報も続々と寄せられていた。
「くっ……美咲……!!」
娘の名を呟きながら、式条は唇を噛み締めていた。ドラゴンの恐ろしさは誰よりも知っている。だから、美咲がどれだけの危険に晒されているかも理解できる。
何もかも自分のせいだ。自分が、美咲を1人で家に置き去りにしたせいだ。
ふと顔を上げると、壁に設置されたテレビから空撮映像が放送されていた。どうやら、横浜の様子を生中継しているようだ。見慣れた街が焼け野原と化し、新たな爆発が次々に起こっている。式条はその映像に釘付けになった。
『信じられません……全く、信じられません! 横浜の沿岸部が、数km四方に渡って炎上しています! 都市機能や消防能力は、既に喪失しているものと思われ……』
『おい! あれを写せ!』
カメラがスタッフの指差す方向にパンすると、さらに衝撃的な光景があった。80m近くあるドラゴンが巨大な首をゆっくりと持ち上げ、口から火炎を吐き出したのだ。
周囲の建物は外壁が一瞬で吹き飛び、数秒後には骨組みも溶けて無くなってしまった。
『こ……これはライブ映像です! 今現在の、横浜の様子です! 巨大な生物の口から、火炎放射のようなものが発射されました! 大変な被害が出ています……!!』
それは想像を絶する状況だった。
あの一撃で、どれだけの人間が死んだのだろう。もしかしたらあの中に、美咲がいたかもしれない……。周りの喧騒が遠くなり、頭が真っ白になる。
ドラゴンはその翼を大きく広げ、獲物を探すように再び飛び立った。
『我々もこれ以上の中継は危険と判断し、ここから退避します! この映像をご覧の皆さん……どんな理由があろうとも、絶対にこの一帯に近づかないでください!』
こうなってはもう、直接娘のもとに行く以外に手段はない。幸いにも出撃命令は出ている。軍とともに横浜に入れば、任務に乗じて美咲を救助することもできるはずだ。
妻が他界した時、自分はこの職を辞するべきだったのかも知れない。軍を離れ、美咲と真正面から向き合っていれば、こんなことには……。
しかし、今は後悔など役に立たない。重要なのは、未来に悔恨を残さないために何ができるかだ。
その答えを、式条は既に知っていた。
防衛省 中央指揮所
大型モニターに映し出された横浜の光景に、誰もが言葉を失っていた。
テレビで放送されたドラゴンの姿は、この中央指揮所でも見ることができた。
ドラゴンの再出現自体は想定内だ。しかし、その破壊力は想定をはるかに超えている。"アメジスト"の倍近くの体長を有し、一撃のブレスで数百m四方を壊滅させる。そんな規格外の怪物が、よりにもよって300万人の住む大都市に現れてしまった。
悪夢……この言葉が何よりも適切だろう。
ドラゴンの映像は繰り返し流され、史上類を見ない大事件の様子を生々しく伝えていた。
「ああ、今見ている。敵は間違いなくドラゴンだ。東部方面隊を可能な限り動員しろ。ここで奴を仕留めなければ、国が滅ぶぞ!」
木原は焦燥を孕んだ口ぶりで受話器に告げる。
指揮所内は今や大混乱に陥っていた。情報が錯綜し、正確な状況を把握することすら困難だった。現地の映像も無しに指揮を執るというのは、目隠しをして将棋を指すようなものだ。
八方塞がりかと思われた時、1人の軍人が報告に現れた。
「木原中将、無人偵察機が横浜市の空域に入りました」
「本当か!?」
木原の顔が僅かに明るくなった。これでやっと、市内のリアルタイムの映像を見ることができる。
「それと、F-3が1分後にバンカーバスターによる攻撃を開始します」
軍人がそう報告すると、木原は力強く頷いた。
バンカーバスターは、"アルビノ"ドラゴンを撃破した国防軍最強の兵器だ。命中さえすれば、確実に敵を殲滅できるだろう。人智を超えた存在といえど、生物であれば殺せる筈だ。
「よし、即応可能な部隊を全て投入。ドラゴン討伐後直ちに救助活動にあたらせろ」
軍人は短く敬礼をした後、再び喧騒の中に飛び込んでいった。
事態収束の兆しが見え、木原はようやく冷静さを取り戻す。多大な犠牲が出てしまったが、これ以上悪化することはない。それだけでも安心できた。
――――この悲劇も、やっと終わるのだ。




