第31話 危機
美咲は高層マンションの一室から、不安そうに外の様子を眺めていた。今この家には、美咲以外の人間は誰もいない。
美咲は市街地のさらに奥、横浜港の方に目を凝らした。つい先ほど、たしかに何かが爆発したような轟音が聞こえたのだ。窓からは何も見えないが、絶対に気のせいではない。
その時、再びドォンという爆音が響いた。数秒置いて、窓ガラスが小刻みに揺れ始める。今度の爆発は、陸で起こったものだった。市街地のすぐ近くで黒煙が上がり、夜空がオレンジ色に染まる。
「何なの……?」
突然の事態に、美咲は恐怖で後ずさる。何がどうなっているのか、まるで分からない。しかし、大変なことが起こっているのは確かだ。事故という感じではない。
美咲はもう1度窓の外を凝視し、状況を知ろうとする。すると、さらに恐ろしい光景が現れた。
倒壊したビルの背後から、巨大な一対の翼が広げられたのだ。
「……!!」
美咲は思わず息を呑む。
その翼は、ドラゴンのものに酷似していた。しかし、梵のドラゴンとは明らかに違う部分もある。高層ビルに匹敵するほど巨大であり、限りなく黒に近い紫色をしている。翼から推測するに、本体の大きさはおそらく70m以上あるだろう。
破壊者の正体を知った途端、全身の毛が逆立った。新たなドラゴンがこの街に現れ、人々を襲っている……。
美咲は即座にスマートフォンを手に取り、キッチンの裏に隠れた。震える手でスマホを操作し、父に電話してみる。
だが数回の呼び出し音の後、
『ただ今電話に出られません。しばらく経ってからお掛け直しください』
という合成音声が流れた。このこと自体は日常茶飯事であったが、今は状況が全く違う。命の危険を感じ、助けを求めるための電話だ。なのに、いつも通りに無視されてしまった。
「もう! 何で出ないのよ!!」
恐怖に誘発され、苛立ちが募る。外からは再び爆音が響く。気休め程度に隠れたキッチンの裏で、美咲は震えながら身を縮めていた。
東京都新宿区 防衛省中央指揮所-同時刻
「おい、何かの間違いじゃないのか?」
木原中将は早足で歩きながら、信じられないという顔で部下に問うた。手渡された報告書には、
"横浜市内で複数の爆発。ミサイル攻撃または大規模テロの可能性あり。"
と記されていたのだ。
「神奈川県庁および横浜市役所に確認を取りましたが、市内複数箇所で火の手が上がっていることは間違いありません」
部下が差し迫った様子で報告する。周囲の軍人たちも、どうにか状況を把握しようと慌ただしくコンピュータと格闘していた。突然の事態に困惑しているのは木原も同じで、その制服は珍しく乱れている。
「本当に武力攻撃なのか?」
「不明です。政府もたった今国家安全保障会議を招集しました。統合幕僚長も、首相官邸に急行しています」
「情報が少なすぎるな。防衛出動も想定する必要がある」
木原はそのままの足取りで、幹部専用の会議室に入った。室内には既に、統合幕僚副長や3軍の長たちが勢揃いしていた。木原も自身の席に腰掛ける。
「まだ全員は揃っていないが、緊急事態につき直ちに会議をスタートする」
この場の議長である、浅井統合幕僚副長が話し始めた。
「既に報せは受けてると思うが、つい先ほど横浜市が何者かに攻撃を受けた。敵の正体・規模は依然不明。我々は官邸の危機管理センターと共同で、この事態に対処する」
続いて、陸幕長が発言をする。
「被害規模は刻々と拡大している模様です。磯子区・中区・西区を中心に、火災発生の報告が次々に寄せられています」
「武力攻撃か? なぜ気付かなかった!?」
「在日米軍のレーダー網でも、我が国の防空識別圏へ侵入する飛翔隊は捉えていなかったと……」
「中国、ロシア、北朝鮮の軍にも、不審な動きはありませんでした」
「じゃあ……」
誰もが胸の内で、1つの結論に達していた。数ヶ月前から、最も恐れていた事態……。
「ドラゴンか……」
木原がその名を口にすると、会議室は水を打ったように静まり返った。
「"アメジスト"とは別の個体ということか?」
陸軍幕僚長の質問に、木原は黙って頷く。
「では、我々は最悪の事態に直面したことになるな」
浅井統幕副長はあくまで落ち着いて、プロとしての意識を忘れずに述べる。
木原も表面上はそうしていたが、内心では焦りが募るばかりだった。
今回襲撃されたのは横浜市だ。地理的に考えて、自ずとさらなる最悪のシナリオも想定されてくる。
「もし、ドラゴンが首都へ侵入したら……」
木原の呟きで、会議室にいる全員が凍りついた。
大量の死者が出るというだけではない。政治経済の中枢が攻撃されれば、国家の崩壊という結果もあり得るのだ。
「バンカーバスターを使って敵を仕留めましょう! 何としてもです!!」
木原は拳を握り締めてそう進言した。
「ハァ……ハァ……よし、なんとか逃げ切れたな……」
梵と雪也は、火の手から離れた木陰に腰を下ろす。そして、朝霧の身体を慎重に寝かせた。
いくつかあった地上施設も、その全てが全壊し、炎を吹き上げていた。地下と何ら変わりない惨状だ。
梵は数ヶ月ぶりに、外の澄んだ空気に身を晒す。長い間監禁されていたが、そこで初めて、施設が人里離れた地にあると知った。
周囲には雑木林しかなく、巨大なハイテク施設には似合わない光景だった。木々に葉が無いところを見るに、どうやら今は冬であるようだ。
「しっかりしろよ……すぐ病院に連れてってやるからな」
雪也は懸命に朝霧を介抱する。治療を施さなければ、命が危ないのは明らかだった。
しかし朝霧は無理やりに体を起こし、首を横に振る。
「ダメ……あなたたちは、富士田博士を追って……」
「お前、マジで死ぬぞ!?」
「私は大丈夫だから……」
「どこが大丈夫なんだよ!!」
雪也はさらに反論しようとしたが、不意に遠くから、ヘリのローター音が聞こえてきた。
「おい雪也……誰か来るぞ。国防軍かも」
梵はそれに気付き、不安げな表情を浮かべる。このまま軍と戦闘になれば、今度は自分たちの命が危なくなる。
だが、すぐに国防軍ではないと察した。轟音に混じって、消防車のサイレン音も響いていたからだ。いくら僻地と言えど、これだけの大規模火災だ。誰かが気付いて消防に通報したのだろう。
「富士田博士はここから南西に飛んだわ……もう、どこかの街を襲っているかもしてない。急いで……」
強がる朝霧を見て、雪也は唇を噛み締める。助けが来ているとはいえ、この場に放置するのは何とも心苦しかった。
「……絶対に死ぬなよ?」
雪也はそれだけ言い残し、星々の輝く夜空を仰ぎ見た。
「行くぞ、ソヨ」
「……うん」
2人の少年はドラゴンに変身し、それぞれの体色に彩られた翼を広げる。ダイヤのような鱗が、月下で煌めきを放った。
「あれ? ソヨ、南西ってどっちだ?」
飛び立とうとした時、唐突に雪也がそう言い出した。
「え? お前知ってるんじゃないの?」
梵は思わず聞き返す。ところが白いドラゴンの方も、間抜け面を披露するばかりだった。
「知るわけねぇだろ。ここがどこかすら分かんないのに」
「俺だって知るかよ」
「え?」
「え?」
2体のドラゴンはしばし見つめ合う。このままでは埒が明かないと悟るや、梵は朝霧を頼ることにした。
「あの、南西ってどっちですか?」
朝霧は南西を指差して答える。
「ありがとうございます」
それだけ告げると、ドラゴンたちは凄まじい加速で天空へと上昇していった。
薄れゆく意識の中で、朝霧は戦いに赴く彼らを見送る。
――――これで、私の使命は終わった……。
出来る限りのことはやった。後は、彼らに全てを賭けるだけだ。施設の燃える音や消防車のサイレン音が、徐々に遠くなっていく。
「おい! 誰か倒れてるぞ!」
「負傷者を発見。直ちにドクターヘリを要請」
「大丈夫ですか? 聞こえますか?」
駆けつけた消防士たちの呼び掛けに答えることもできぬまま、朝霧は暗闇の中へと落ちていった。




