第28話 実行
雪也は落ち着かない様子で、部屋の中を右に左にと歩き回っていた。富士田が何をするつもりなのか、気になって仕方がないという様子だ。いつもの部屋に戻されてからというもの、ずっとこの調子だった。
「雪也……今の俺らにはどうしようもないって」
梵は何をするでもなく、ベッドに仰向けになっていた。ロストレッドの人形を天井に掲げて、それを難しい顔で見つめる。
「なぁソヨ……やっぱり、ここの人間に教えてやった方がいいだろ」
雪也が焦ったように言う。
富士田が良からぬことを企んでいるのは確かだ。もしかしたら、施設の研究員たちにも危険が及ぶかもしれない……雪也はそう考えていた。
「無駄だよ」
対して、梵は素っ気なく言い捨てる。その態度が、雪也を無性に苛立たせた。
「んなこと分かんねぇだろ!」
「分かるだろ。人間がどうかも怪しいガキ2人と、この施設の責任者……普通どっちの言葉を信じる? 脱走するために馬鹿げた嘘を並べた、程度にしか思われないぞ」
「うっ……」
正論を並べ立てられ、雪也は口籠るしかなかった。しかし手を拱いていても、富士田の良いようにさせてしまうだけだ。行き詰まった状況に、やり場のないもどかしさが募る。
「だぁぁぁぁもぉぉおおおおお!!!」
雪也は怒りのままに、自分のベッドへ飛び込んだ。正義感の強い彼にとっては、歯痒いことこの上ないのだ。それは、梵も十分理解していた。
「とにかく、あいつの目的をハッキリさせる。まずはそれからだ」
梵の言葉に、雪也は枕に顔を押し付けたまま頷いた。
地下施設の巨大な実験場内には、ここで働く研究員が集結していた。彼らは皆、慌ただしく今日の実験の準備をしている。
そして壁にある観覧用の窓からは、さらに多くのスタッフが実験場を見下ろしていた。警備兵や清掃員に至るまで、ほぼ全ての職員がこの公開実験に招かれている。
そして朝霧もまた、同僚たちと共に実験の推移を見守っていた。
「お集まりの皆さん、ご注目ください。本日ここで、世界の運命を永遠に変える実験が行われます」
富士田はまるでプレゼンでもするかのような口調で、手元のマイクに話し始めた。
「数ヶ月前、人類はドラゴンの脅威を目の当たりにしました。全世界が未知の存在に恐怖した……しかし同時にドラゴンは、我々に希望も齎しました。その超自然的能力は、現代医療に革命を起こすでしょう。来るべきドラゴンの最襲来に備えても、この研究は偉大な一歩となるのです」
研究員や見物客たちから、割れんばかりの拍手が巻き起こる。彼らは、これが人類の未来のための実験だと信じて疑っていない。
自分たちが利用されているとも知らずに。
「博士、こちらにお掛けください」
白衣を着た青年に誘われ、富士田は歯医者で使うような椅子に座る。その周りには機材がいくつも並び、複数の点滴からは針付きの管が伸びている。
富士田が上半身の服を脱ぐと、全身の火傷や皮膚移植の跡が露わになった。青年は傷だらけの腕に点滴の管を差し込む。この点滴の中身こそ、富士田の開発した血清であった。
「では、早速頼むよ」
研究員が機材を操作すると、すぐに投薬が開始された。液体が管を通り、富士田の体に流れ込む。全身の血管があっと熱くなり、同時にピリピリという痛みも走って苦悶の表情が浮かんだ。
「博士、大丈夫ですか?」
青年が心配そうに尋ねた。
「問題ない。全て予定通りだ」
「何も、博士が最初の被験体になることはなかったのでは?」
「芸術家はまず、自分の作品を自分で吟味する。それと同じだよ」
軽口を叩いているうちに、富士田の体に変化が訪れた。移植された皮膚が、次々に剥がれ落ち、火傷の跡が消え始めたのだ。全身の痛みがますます激しくなるが、富士田は歯を食いしばって耐えていた。
「博士……大成功ですよ!!」
傷が消え、皮膚がどんどん再生するのを見て、青年が興奮した調子で言った。見物人たちも、口々に歓声をあげはじめる。それを聞き、富士田は実験の成功を確信した。
投薬が終わる頃には痛みも消え、そして全身の傷も完全に消滅していた。
今あるのは、美しく血色の良い、普通の人間と同じ体。何も知らない者が見れば、数分前まで大火傷を負っていたことなど信じないだろう。半世紀の時を超え、富士田はようやく蘇った気分になった。
一部始終を見ていた研究員や観客から、成功を喜ぶ大歓声が湧き上がる。その場にいた全ての人間が力強く拍手をし、口々に富士田の業績を称えた。誰もが、夢の時代の到来を確信していた。
「博士! やりましたね!」
さっきの青年も満面の笑みで、嬉しそうに富士田に握手を求めた。
「ああ……ようやく、力を手に入れることができた」
富士田は目を閉じたまま、小さく笑う。そして青年に向け、右手を差し伸べる。
その手で、素早く青年の首元を鷲掴みにした。
「ぐわっ……!? 博士……? 一体何を……!!?」
突如首を絞められた青年は、目を見開いて驚愕する。今起こっていることが、まるで理解できないという顔だった。
見物していた人々の歓声が一瞬で静まり、突然の事態に唖然とする。実験場内の空気が一変し、ただならぬ緊張に包まれた。
「はか……せ……やめ……」
青年は息ができず、徐々に白目を剥く。なんとか引き離そうとしても、万力のような握力に全く抵抗ができない。
「これが未来だ。これが……私の求めた運命なのだ」
青年を掴む右手が、オレンジ色に発光し始める。同時に焼けるような音と白い煙が上がり、ほんの数秒で青年の喉をドロドロに溶かしてしまった。
富士田がようやく手を離すと、青年の体は糸の切れた操り人形の如く崩れ落ちた。
惨劇を起こした張本人が、椅子からゆっくりと立ち上がる。周囲の研究員たちは後ずさり、震えながら富士田の姿を見ていた。彼らの目は、ドラゴンを前にした時のそれによく似ている。
富士田はそんな様子を一通り見回すと、満足げに唇を歪ませた。




