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第26話 不気味な男

 梵と雪也は、地下施設の実験場に連れてこられていた。ドラゴンには変身せず、適当なデスク用チェアに腰掛けている。相変わらず自由という自由はなかったが、2人ともこの場所での生活にはだいぶ慣れていた。


「はぁ~……ここに来てから何年経ったんだろ……」

「何年まで経ってないだろ。せいぜい何ヶ月程度だ」

「いやぁ~俺はもう10年くらい経った気分だ」


 どうでもいい会話を交わしながら、仕事に励む研究員たちを眺める。一応検査の類は全て終わっているため、後はいつもの牢獄に戻されるだけだ。

 しばらくボーッとしていると、白髪頭の白衣の男が歩いてきた。その両手には、金属のコップが握られている。


「やあ梵くん、雪也くん。オレンジジュースを持ってきたんだが、お口に合うかな?」


 2人はこの初老の男に見覚えがあった。富士田という名の科学者だ。ここに来て最初に話したのも彼だったし、施設全体の責任者も彼らしい。

 富士田は笑顔を絶やさないまま、コップを2人の少年にそっと渡した。


「これ、本当にオレンジジュースか?」

「ははは。今更変な薬を入れるわけがないだろう」


 雪也は富士田を疑いながら、渡されたコップの液体をクンクンと嗅ぐ。しかしその匂いは何の変哲もない、柑橘系の香りであった。

 なおも警戒しながら、液体を喉に流し込む。


「うん。ただのオレンジジュースだ」

「……本当に大丈夫か?」


 心配そうに雪也に聞くと、梵も恐る恐る液体を口に運んだ。懐疑的な表情を浮かべながらも、少しずつジュースを飲んでいく。甘酸っぱい味が口の中に広がると、ようやくその疑念が解消されていった。


「言っただろう。私は君たちを傷つけたりしない」

「首に爆弾埋めといてよく言えるな」


 雪也は腕で口をぬぐいながら、冷たい声で言った。その目には鋭い敵意が篭っている。


「ははは、やはり嫌われているかな」

「"何ヶ月も監禁した挙句爆弾で脅してくれてありがとう!"こんな奴いると思うか?」


 富士田は手頃なデスク用チェアを引っ張ってくると、重そうに腰を下ろした。口からは大きなため息が漏れる。


「おいおい、他の人間が働いてるのにサボる気か?」


 雪也が口元を緩ませ、意地悪く富士田に棘を指す。


「はっはっは……老人に厳しいな、君は」

「ただの老人じゃなくて、マッドサイエンティストか何かだろ?」

「そんな大層なものではないよ」


 それから3人の間に、気まずい沈黙が走る。聞こえる音は他の研究員の話し声や、キーボードを叩く音だけだ。しばらくは誰も口を開かなかったが、富士田がようやく話題を切り出した。


「"アメジスト"ドラゴンが現れた時、君たちはどうして戦ったんだ? 殺されるかもしれなかったのに」


 突然の質問であったが、雪也は迷わず答えた。


「んなもん決まってんだろ。俺が戦わなきゃみんな殺されてたんだ。放っておけるわけない」

「なるほど……まさしくヒーローという感じだな」

「馬鹿にしてんのか?」

「いやまさか。むしろ尊敬しているよ。まだ若いのに人のために戦えるなんて」

「そうかい。そりゃ嬉しいね」


 雪也は皮肉っぽく言った。片足を椅子に乗せて目線を逸らし、富士田のことなど興味もないという様子だ。富士田自身もそのことに気付いてはいたが、口元の笑みを消すことはなかった。


「君はどうなんだ、梵くん?」

「えっ……俺?」


 自分は会話に関係ない、梵はそう思っていたため、突然話題を振られて動揺した。無論、質問への答えなど全く考えていない。


「えっと……雪也が殺されそうだったから……かな」


 当時のことを思い出し、慎重に言葉を選ぶ。


「町や人々を守りたいと思ったのではない?」

「思ったことはないかな。だからって雪也が間違ってるとは思わないけど」

「そうか……」


 梵は目の前の老人の心情を探ろうとしたが、その表情からはなんの感情も感じ取れない。

 経験上、人の心を読み取るのには自信があったが、富士田の顔には人としての決定的な"何か"が欠けているような気がした。

 まるでアンドロイドのような、さもなくば仮面でも被っているような……。そんな印象を抱いた。

 火傷や皮膚移植の跡が多いせいかとも思ったが、老人は瞳からして虚ろであった。常に笑顔を浮かべているが、その裏には厭世観のようなものが見え隠れしている。


「君は今まで、酷いいじめや虐待を受けていたね?」


 唐突にそう言われ、梵は思わず背中に冷や汗をかいた。


「な……何でそれを?」

「記録を読んだ。だから知ってる」

「ああ、そうかい」


 そんなことかと思い、淡々と言葉を返す。


「辛かっただろう?」

「まあな」

「神を恨んだことはあるか?」

「……は?」


 思いがけない問いだった。てっきり安っぽい同情の言葉でもかけてくるのかと予想していたのに、この老人はどういうつもりなのだ?


「どうなんだね、梵くん?」

「俺は神なんか信じてない」


 梵はキッパリと答える。すると、富士田は僅かに口角を上げた。


「神はいるさ。ただ、人間が思うような慈愛に満ちた存在ではないだけだ」

「ふぅん……」


 梵は素っ気なく相槌を打った。

 他人の信仰などに一切興味は無い。神だろうが仏だろうが、勝手に信じていればいい。


「質問を変えよう。君らは、己に宿るドラゴンの力についてどう思っている?」


 これまで以上に答えにくい質問に、少年たちは顔を見合わせる。雪也は腕を組みながら、慎重に答え始めた。


「う~ん……良いもんではねぇぞ? でもまぁ、中見原を守れたし結果オーライだけど」

「俺も……嬉しいとは全然思わない。ドラゴンなんて、ただの怪物だ」


 富士田は笑みを崩さず、仰々しく頷く。


「そうだろうな……だが、私は君らを羨ましく思っている。できることなら私も、神の力を得てみたいよ」

「何だよ? あんたドラゴンになりたいのか?」


 雪也が茶化すように聞いても、老人は真剣な眼差しのままだった。


「そんなところだ」


 梵は怪訝な面持ちになる。自分から怪物になることを望むなど、正気の沙汰ではない。ドラ

 ゴンを研究したいとか、利用したいではなく、ドラゴンになりたい……? この男の思考が、ますます理解できなくなる。

 富士田はおもむろに立ち上がると、白衣を翻して踵を返した。


「私は必ず、神に到達する。絶対に、この命に代えてもな」


 そう言い残して去る老人を、梵は呆然と見送る。結局、真意は分からずじまいだった。


「なぁソヨ……あいつ、何考えてんだ?」


 雪也の方も、ただならぬ違和感を覚えているようだった。

 梵は首を横に振って答える。


「分からない……」


 ただ1つだけ確かなのは、あの男が他の人間とは別の場所を目指しているということだ。

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