第25話 生物を超越した生物
サーガ機関地下施設-2029年10月17日
富士田は今、暗い部屋で椅子に座っていた。この場所に富士田以外の人間はおらず、眼前のモニターだけが鈍く光っている。
モニターには会議室のような場所と、そこに座る人間たちが写っていた。10人ほどの人間たちはスーツを着込み、こちらをじっと見つめている。
モニターの向こう側もまた明かりが少なく、彼らの表情を伺い知ることはできない。
『それで、富士田博士。ドラゴンに関する研究は進んでいるのか?』
モニターの誰かが無機質に質問をした。
富士田は鬱陶しげに見据える。彼らはサーガ機関の幹部らしいが、組織の過ぎた秘密主義のせいで富士田はほとんど何も知らなかった。
「はい。少しずつですが、着実に」
『"アメジスト事件"から既に3ヶ月が経つんだ。そろそろ目ぼしい報告が欲しいところだな』
富士田は僅かに苛立ちを覚える。正体もロクに明かさず、偉そうに命令だけを飛ばしてくる連中など、好きになれるわけがなかった。
「これをご覧ください」
富士田はモニターを簡単に操作し、研究データを転送する。
「これはアメジストのDNAの分析結果です。大半は未知のDNAですが、僅かばかり既存のものも含まれていました。それはつまり、地球の生物のDNAです」
幹部の人間たちが一様にざわつき始める。
『富士田博士、どういうことなんだ?』
「ドラゴンは地球生物から進化、または突然変異した可能性が高いということですよ。もしくはハイブリッドか」
『信じられん……』
信じられないのは富士田も同じだった。
この研究結果が確かなら、石炭紀からペルム紀までの間に進化が分岐したことになる。そして一方は、科学を超越した魔法の生物へと進化した……。そんなことがあり得るのだろうか。
『素晴らしい成果じゃないか。更なる研究の進展を期待しているぞ、富士田博士』
「勿体なきお言葉感謝しますよ」
コロリと態度を変えた幹部たちに対し、富士田は嫌味たらしく返した。
画面が暗転し、通信が終了する。
ここは通信専用の部屋であったが、もう用は済んだ。富士田は無言で椅子から立ち上がり、部屋のドアを出る。
ドアの向こうにあったのは、さっきまでの無機質な部屋とはまるで違う、明るく広々とした空間だった。天蓋付きの大きなベッドが置かれた、豪華な部屋。ここが、富士田の私室であった。
壁には大きな液晶モニターが備えられており、画面には生前のアメジストドラゴンが映し出されている。
町を焼き尽くすドラゴンの映像を見て、富士田は不気味な笑みを浮かべた。
ドラゴンは既存の地球生物から進化した……ならば、人間にもそのチャンスはあるはずだ。現に、アルビノとサファイアは人間から変身しているのだから。
糸口は見えた。神の領域は、もうすぐそこだ。
「それで富士田博士、上層部は何と?」
幹部連中への報告を終えてから数時間後、富士田は助手の朝霧と夕食をとっていた。
施設の地上には小さい軍事基地のような場所があり、富士田と朝霧のいるレストランもその一角に存在している。2人はテーブルを挟んで向かい合い、ディナーのひと時を楽しんでいた。
「ああ、今回の結果に満足しているようだ」
朝霧の質問に、富士田は笑顔で答える。
「本当ですか!?」
期待通りの返答に若い助手は満面の笑みを浮かべ、目をキラキラと輝かせた。感情を一切隠さず、喜びを素直に表現している。
富士田はステーキを口に運びながら、優しい瞳で彼女のことを見ていた。
朝霧は兼ねてより、ドラゴンの能力の実用性を説いていた。もし医療技術に応用できれば、その時人類はあらゆる病気や怪我から解放される。彼女はそんな理想郷を強く願っていたのだ。
「また一歩前進だな朝霧くん。君が思い描く夢の世界へ」
「はい!」
「フフッ……」
朝霧の屈託のない返事を、富士田は鼻で笑う。
「ちょっと、笑わないでくださいよ博士」
「いや、すまんすまん」
富士田はグラスにテキーラを注ぎ、水面に映る自分と睨み合う。そして、ゆっくりと視線を上げた。
「朝霧くん。そもそもどうして、神は人間に病を与え、老いを与え……無数の苦難を与えたと思う?」
「え……?」
脈絡のない質問に、朝霧は戸惑うしかなかった。
「そんなこと、分かるはずがないでしょう? 第一、神なんて非科学的です」
「ははは。科学を超越した存在は、既に我々の前に現れたじゃないか」
朝霧はすぐに、それがドラゴンを示しているのだと理解した。
「確かに、ドラゴンは人智の及ばない生物です。しかし、それが神に結びつくわけでは……」
「46億年の歴史の中で、最も進化した種族は人類である……これまでそれが常識であり、人類のアイデンティティだった。神は自らに似せてアダムとイヴを創造した、と言われるほどにな。だが人類誕生より遥か以前に、人類を超える生物が存在していた」
富士田はテキーラを口にし、「ふぅ」と一息つく。
「……進化論で説明のつかない、未知に染まった生命。これを"神"とは呼べないかね?」
「……」
彼が何故これほどまで"神"という概念に拘りを持つのか、朝霧には全く理解できなかった。富士田という人間は前々から掴み所がなかったが、今日はいつも以上だ。無性に、この場から逃げ出したい衝動に駆られる。
「もし仮に神が実在したとしても、あんなモノではないはずです」
朝霧は席を立ち、足早に食堂を後にした。ハイヒールのコツコツという音が、徐々に小さくなっていく。
去っていく朝霧の背を見つめながら、富士田はグラスに残ったテキーラを飲み干した。




