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第24話 亀裂

 吹き抜けの構造の、高さ50m以上はある広々とした空間。ここは、サーガ機関地下施設に設けられた実験場だった。実験場の内部は白一色で、そこに様々な機器が置かれている。

 高い壁にはいくつも観覧用の大窓が縦に並んでおり、何階からでも実験場を見下ろせる造りだ。天井は開閉式で、巨大な物を地上から直接出し入れできる構造だった。

 実験場は今、大勢の白衣を着た人間で賑わっている。科学者たちは常に忙しなく動き回り、機材を運んだりパソコンと睨めっこをしたりしていた。

 そして実験場の中央に置かれているのは、数日前に日本を襲った紫の怪物……"アメジスト"ドラゴンの死体であった。

 亡骸は鋼鉄の大きな台の上に寝かされ、いくつもの拘束具で固定されている。その異形の生物を調査する研究者たちの顔には、底知れぬ恐怖が浮かんでいた。


 "この怪物が突然動き出して襲いかかってくるのではないか"


 研究者たちは一様にそんな思いに駆られる。

 生物学上は間違いなく死んでいる。だが、それはあくまで人間の常識での話だ。ドラゴンは既存の生物学を一夜にして崩壊させた。突然生き返って、口から炎を撒き散らしても何ら不思議ではない。

 ドラゴンの存在は、死してなお人間に本能的な恐怖を与え続けていた。

 富士田博士は、体長40mもある巨大な"アメジスト"ドラゴンと真正面から相対していた。

 既に死んでいるとはいえ、ドラゴンの威圧感は凄まじいものだった。


 "こいつには勝てない"


 そう人間に本能で感じさせる姿。人間がまだ肉食獣に怯える類人猿だった時代に、時間が遡ってしまったかのようだ。


「本当に……存在したんだな」


 富士田はそんなことを呟いていた。

 もちろん、ドラゴンの実在は周知の事実だ。だがこうして間近で見ると、未だに現実感が湧かない。


「……朝霧君、これを見てどう思う?」


 富士田は、隣で怯える朝霧葉月に質問を振る。


「正直、未だに信じられません。まるでファンタジーの世界です」


 朝霧も、ドラゴンに対する思いは同じだった。

  ファンタジーの生物……まさに言い得て妙だ。銃弾が通用せず、知能を持ち、炎を吐く。空想の世界から飛び出してきたかのようだ。

 だがこれは現実だ。絵空事ではないのだ。

 数日前からアメジストの解剖を進めていたが、その作業は困難を極めた。何せ、電鋸を用いてもその電鋸の方が砕け散ってしまうのだ。ドラゴンの外皮は、戦車の装甲よりもずっと頑丈だ。


「お前は一体、どこから来たんだ?」


 富士田は畏怖を込め、目の前の死骸に尋ねる。

 この怪物は、太古の昔よりシベリアで冬眠し続けていた。だとすれば、数億年前の地球はドラゴンによって支配されていた可能性がある。

 そもそも進化の系譜から考えれば、ドラゴンが存在すること自体が不自然だ。ミッシングリンクなどという言葉では済まされない。

 数億年にわたって生き続ける生命など、殆どオカルトの領域ではないか。生物の範疇を完全に超越している。

 彼らを表す言葉があるなら、ただ1つだろう。


 ――――神だ。









神奈川県 横浜市-数日前


 式条憲一は、ほぼ1週間ぶりに自宅の敷居を跨いだ。

 時刻は午後5時。1日の終わりが近づき、なんとも言えない侘しさを感じる時間帯だ。西日がリビングを照らし、影が濃く伸びる。外の世界の喧騒とは無縁の、静かで孤独な世界。

 そんな世界の真ん中に、愛娘の姿はあった。ソファーに小さく座って、大きな液晶テレビを眺めている。夕日が逆光となり、その表情は伺えなかった。


「ただいま、美咲」


 美咲はゆっくりと式条の方に振り向く。そして、やや寂寥の念がこもった笑顔を見せた。


「おかえり、お父さん。生きてて良かった」

「お前も元気そうで良かった」


 式条もまた、ぎこちない笑みを返す。

 仕事柄昔から長期任務も多かったが、その度に美咲は赤ん坊のように泣いていた。だがいつの日からか、涙を見せることすらなくなった。

 決して、美咲が成長したとかそんな理由ではない。娘の笑顔は、他人に見せる偽りの笑顔のようだった。それを見る度に、式条は胸が押しつぶされそうになる。


「お父さんも中見原町にいたの?」


 突然そんなことを聞かれ、式条ははっと我に帰る。


「あぁ……まあな」


 式条は慎重に言葉を選ぶ。たとえ娘でも、任務の詳細を明かすわけにはいかない。


「ソヨは……青いドラゴンは生きてるの?」


 やはり聞かれたか、と思った。

 何故美咲がここまで海成梵にこだわるのか、式条にはまるで理解が出来なかった。命を救われたのが事実だとしても、奴が異形の怪物である事実は変わらないのに。


「それは……機密情報だ」


 式条は気まずそうに答えると、美咲は深くため息を漏らした。


「……やっぱりね」

「教えてやりたいが、これは最高レベルの機密なんだ」

「そう」


 美咲のこともなげに相槌を打つ。初めからこの返事を予想していた、という様子だ。

 テレビでは今も、ドラゴンに関するニュースが流れていた。テレビだけではない。新聞もインターネットも、マスメディアと名のつくものは全てこの話題で持ちきりだった。

 式条はおもむろにテレビのリモコンを取ると、電源ボタンを押した。


「美咲……一旦全部忘れろ。事件のことも、ドラゴンのことも。今のお前は普通じゃないんだ」


 美咲は何も答えずに立ち上がる。そして、俯いたまま式条の横をすり抜けていった。


「お風呂入れてくるね。お父さんも疲れてるでしょ?」


 美咲は無感情にそれだけ言うと、足早にバスルームの方に消えていった。

 式条は1人リビングに取り残される。

 ふと、棚の上に置かれた写真立てが目に映った。式条はそっとそれを手に取る。

 写真に写っていたのは自分、美咲、そして今は亡き妻の姿だった。もう10年以上前に撮られたものだ。

 写真の中の家族は、屈託のない笑顔を浮かべている。この上なく幸せで、全てが輝いて見えた頃……。

 だがそんな日々は、闇の中に消えてしまった。

 妻が息を引き取った時、そばにいてやることすらできなかった。病室に到着した頃にはもう、妻は眠った後だった。


 ――――俺は家族を見殺しにした。


 過去を思い出すたび、そんな思いに襲われる。だから自分はずっと、仕事に逃げていたのかもしれない。

 式条は急に強烈な吐き気に襲われた。過去の幸せは、今の自分にとっては猛毒だ。そして思わず、持っていた写真立てを手放してしまう。


「あっ!」


 声を上げた時にはもう、写真立ては床に落ちて鈍い音を立てていた。式条は慌てて拾い上げるが、衝撃でガラスには亀裂が入ってしまっている。

 亀裂はちょうど、自分と娘の間を引き裂くように刻まれていた。

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