第21話 氷雨
家という家は倒壊し、炎を吹き上げ、焦げた匂いが辺り一面を覆っている。無事な建造物は1つとして無く、町は空爆を受けたかのようだった。
耳を澄ましても、辺りに響くのは風の音、緊急車両のサイレンの音、そしてパチパチという火の音だけだ。
梵は疲れ果てた目で、アメジストの死骸を見遣る。
――――こいつ、結局何だったんだ?
よくよく考えれば、この紫の竜はドラゴンの正体への唯一の手掛かりだった。しかし、今やそれも失われてしまった。
雪也も、俯いて依然ゼェゼェと激しく呼吸している。
この辺には国防軍もいる。だから今すぐにでも飛び立つべきだったが、全身を襲う疲労がそれを許さなかった。
思考すら上手く働かないまま、冷たい風を巨体で感じる。
「ハァ……なあ……俺たちって、もしかしていいコンビか?」
沈黙を破り、雪也がそう尋ねてくる。
「まぁ……そうなのかな……?」
上手い返しが思いつかなかったので、梵は極めて凡庸な答えを返した。
結局、謎は一つも解決していない。だが今こうして生き残っているだけでも、今回は万々歳だ。荒削りだが、勝利することができたのだ。
ふと青い鱗に、冷たい何かを感じた。
その感覚は何度も訪れ、やがて地面にも当たってピチャリ、ピチャリという音を立て始めた。
「雨だ……」
梵はそう呟いた。
暗雲から舞い落ちる、銀色の光。
それは荒廃した町に水をもたらし、戦いの熱をゆっくりと冷ましていくようだった。燃え盛る町に注がれる冷たい雨は何だか幻想的だったが、同時に寂しくもあった。
梵は天を仰ぎ、地上に注がれる雨をじっと見つめていた。
その時、遥か上空から耳をつんざく轟音が響いた。それは、心地の良かった雨音を一瞬で消し去ってしまう。少し間を置いて、戦闘機らしき物体が2つ、雨雲の中を通過していくのが見えた。
梵はよく目を凝らした。
戦闘機の他に、何かキラリと光る物が見えた気がしたからだ。
「……何だ?」
戦闘機から分離したと思しき光は、すぐに見えなくなってしまった。気のせいか……そう思い、再び雪也の方に視線を戻す。
その刹那、白竜の背中で大きな爆発が起こった。
爆炎とともに白い鱗や肉が撒き散らされ、横にいた青いドラゴンにもダイレクトに浴びせられてしまう。
「え……?」
梵は状況を全く把握できず、無言で雪也の方を見つめていた。
『バンカーバスター命中! "アルビノ"が倒れた!!』
ヘリの中で無線の報告を聞き、式条は顔を強張らせた。
ここまでは作戦通り。あとは……。
黒煙が晴れると、白竜の背中がクレーターのように大きく抉れているのが分かった。強靭な鱗は完全に吹き飛び、骨と肉が顔を覗かせている。
「グ、ガァ……」
雪也は何とか姿勢を保とうとしていたが、やがて耐えきれずに地面に伏してしまう。
喉から発せられる苦痛の声は、先刻聞いた断末魔によく似ていた。
梵は何もできずに、キョロキョロと周囲を見回す。自分が何をするべきなのか、考えが湧かなかった。
白竜の体は徐々に形を失っていき、光を放ちながら元の少年の姿に戻ってしまう。
次の瞬間、瓦礫の陰から、複数の兵士が現れた。彼らは20人、30人と次々に姿を現し、やがて梵たちの四方を取り囲んでしまう。
雨に濡れた兵士たちは、水の滴る銃口を青いドラゴンに向ける。
「その倒れてる少年を拘束しろ」
誰かがそう命令すると、数人が雪也にも銃を突きつけた。
――――こんな奴ら……!!
梵はそう思い、最後の力を振り絞って口に炎を纏わせた。こいつらが俺たちを捕まえる気か、殺す気かは知らないが、好き勝手されてたまるか。
今の自分でも、こいつらを全滅させ、雪也を助けて飛び去ることくらい出来るはずだ。
すると真上から、けたたましいヘリのローター音が響いた。ヘリはその場で空中浮揚し、機体のサーチライトは梵の姿を照らしている。
ヘリから、戦闘服を着た男がロープで降下してくる。男は梵の目の前に降り立つと、顔を上げてドラゴンの姿をじっと見据えた。
「お前は……」
梵の方も、男に見覚えがあった。
この男とは、既に何度か遭遇している。そして、美咲の父親でもある男だ。
式条はドラゴンに臆することもなく、腰のホルスターから拳銃を抜いた。
「お前には散々苦労させられた。それも今日これまでだが」
ドラゴンと式条は睨み合いつつ、相手の表情を伺っていた。
「美咲は無事か?」
「お前が巻き込まなければ、危険な目に遭うこともなかったんだ」
式条は娘の話題を出されてほんの少し眉を動かしたが、持ち前の精神力ですぐに冷静さを取り戻す。
「海成梵……どうやら新しい友達ができたようだな」
式条はそう言うと、拳銃を持ったまま踵を返し雪也の方に歩いていく。
雨に濡れ、冷たいコンクリートに倒れこむ雪也をしばし眺めると、その拳銃を少年の頭に突きつけた。
「おい、やめろ」
梵は低い声で、怒りを込めて式条を威嚇する。だが、やはり式条の目は据わったままだ。
「5秒以内に人間の姿に戻れ。さもなくばこいつを殺す」
式条は銃を構えたまま、機械的にそう告げる。
雪也は僅かに意識があるようで、言うことを聞かない体に鞭打って梵の方に顔を向けた。
「ソヨ……俺のことはいい……。早く……逃げろ……」
雪也の声は掠れ、今にも消えてしまいそうだった。それでも、友をなんとか救おうという強い意志を見せていた。
「5、4、3……」
無情にも、式条のカウントダウンが進んでいく。一切の躊躇はなく、彼が本気であることは容易にわかった。
梵はそこで決心した。もう、他に手はない。きっと近くには、戦闘機も待機しているのだろう。逃げ切れる自信はなかった。
青竜の鱗が剥がれ、筋肉が消え、骨格が崩れていく。そして眩い光が収まると、梵は人間の姿に戻っていた。
降りしきる氷雨が、少年の体をくまなく濡らす。雨はいつの間にか辺りを覆うほどに強くなっていた。
5~6人の兵士たちが、梵を跪かせ、両腕を後ろに回して拘束した。銃口は依然突きつけられたままだ。少し項垂れると、前髪から雨水がポタポタと滴り落ちるのがわかった。
雪也は地に伏したまま唇を噛み締めて、その様子をじっと見つめている。
「お利口だ」
そう言うと式条は、唐突に雪也に向けて引き金を引いた。パンッ! という乾いた音が、雨音の中に響き渡る。
「な!!?」
梵は愕然とした。
式条は一切躊躇うことなく、雪也に向けて銃を撃ってしまった。そして、今度は梵の方に歩み寄ってくる。
「おい、一体どういう……」
目の前で起きたことが信じられず、思わず式条に問いかけた。
だが式条は何も答えず、銃口だけを梵に向けた。
そして再び銃声が響いた時、目の前は暗闇に包まれた。




